69 届くことのない手紙
「おじさま、シュゼットと一緒にいるときはいつも嬉しそうにしてるんだもん!」
(どこをどう見たらそうなるの!?)
少なくともシュゼットは、ユベールが自身と一緒にいて嬉しそうだと感じたことは一度もない。
いったいコレットは何を見てそう思ったのだろうか。
「シュゼットのためにドレスをいっぱい買ってるし、綺麗になったシュゼットを嬉しそうに見てるもん!」
「コ、コレット……!」
コレットの勘違いだとしても、シュゼットは赤面せずにはいられなかった。
そんな言い方をすれば、まるで……ユベールが本当に婚約者としてシュゼットを愛しく思っているように聞こえてしまうではないか。
更には事情を知っているはずのアロイスまで、にやつきながらとんでもないことを言い出した。
「残念だけどアッシュヴィル侯爵はこいつにべた惚れだから、あんたのつけ入る隙はないね。こっちはこっちでうまくやってるから、余計な口出しすんなよ、おばさん」
アロイスがそう口にした途端、メラニーの表情があからさまに引きつった。
「アロイス! 何言ってるの!」
シュゼットは慌てて諫めようとしたが、アロイスは反省することもなく「べー」と舌を出している。
シュゼットは恐ろしくてメラニーの顔が見られなかった。
それでも何か声をかけなければ……と思考を巡らせたが、それよりも早くメラニーが立ち上がる。
「……帰るわ」
たった一言そう吐き捨てると、メラニーはさっさと部屋から出て行ってしまう。
「ぁ…………」
シュゼットは追いかけようとしたが、アロイスに引き留められる。
「ほっとけよ、あんな奴。怒ってもう来ないならそれでいいだろ」
(確かに……)
子どもたちの教育にはよくないだろうが、確かにこれでメラニーとの縁が切れるのならそれでいいような気がした。
「うー……」
感情の揺れが収まらないのか、ぼろぼろと涙をこぼすコレットをシュゼットはそっと抱きしめた。
「ありがとう、コレット。私のことを助けてくれたのね」
「だって……シュゼット、だめじゃないもん。……どこにも行かないよね?」
両親を失った幼い兄妹は、さらなる喪失を恐れているのだ。
そんな彼女を安心させたくて、シュゼットはそっと小さな頭を撫でた。
「えぇ、大丈夫。ずっとここにいるわ」
追い出されない限りは……と心の中で付け加えるシュゼットに、その様子を見ていたアロイスがやれやれとでもいうように肩をすくめた。
「まったく……付き合う相手は選べよな。まぁ、あいつがもう来ないならそれでいいけど」
「うっ、肝に銘じておくわ……」
アロイスを諫めるどころか逆に諫められてしまった。
誤魔化すように、シュゼットは明るい声を出す。
「それにしても、メラニーを追い払うためにあんな嘘をつくなんて二人ともやるじゃない。びっくりしちゃったわよ」
シュゼットがそう口にすると、コレットはぱちくりと目を瞬かせた。
「え、嘘って……?」
「ユベール閣下が私のことを大好きだっていう嘘よ。よくそんなの思いついたわね」
褒めたつもりだったのだが、コレットは困ったような顔をしてアロイスは大きなため息をついてしまう。
「嘘、じゃないよ……?」
「やめとけコレット。どれだけ説明してもこいつは理解しない」
「もー! なによぉ!!」
シュゼットにはわからない話をする二人にむくれると、二人はくすくすと笑うのだった。
「なるほど、そんなことが……」
使用人から報告を受け、ユベールは重いため息を吐き出した。
シュゼットを陥れ、以前の夜会でも絡んできたメラニーという女性が、とうとうこの屋敷にまで押しかけて来たらしい。
シュゼットは話をつけるためか彼女を中に招き入れ、短時間でメラニーは帰っていったそうだが――。
「……シュゼットの様子は?」
「いつもとお変わりありません。アロイス様とコレット様のお世話をし、お元気に過ごされております」
「そうか……」
シュゼットが落ち込んでいないようなので、ユベールはほっとした。
使用人がお茶を出す間もなく、メラニーは屋敷を去っていったそうだ。
ユベールとしては、もちろんあんな女性に関わる価値はないと思っている。
シュゼットがうまく決別を告げられたのならよいのだが――。
「屋敷を去る際の、ラヴェル嬢に何か気になる点は」
「使用人が声を掛けましたが、無視をされたそうです。その者の話によれば、随分といらだった様子だったと」
「なるほどな……」
シュゼットが決別を告げたか、もしくは何か気に入らないことがあってわざわざ押しかけて来たのに短時間で帰ったのだろう。
(このままこちらに関わらなければいいが……)
ユベールはちらりと机上に視線をやった。
何通もの折り重なった手紙は、すべてメラニーからのものだ。
シュゼットだけでなく、ユベール宛てのものまである。
最初にこれが届いたとき、ユベールは警戒しながら中身を確認した。
ユベールに充てられたその手紙には、シュゼットがいかに噂通り男癖が悪い女であるか、今までメラニーを虐げてきたのかが長々と綴られていた。
「二人がうまくいっているのならその幸せを壊したくないと思いつつも、アッシュヴィル侯爵閣下を案じ筆を執りました」という押しつけがましい文言には、思わず失笑したものだ。
もちろん、ユベールは何の返事もしなかった。
不快だったのですぐに燃やしてしまおうかとも思ったが、有事の際には証拠にできると思い、しぶしぶ取ってある。
するとメラニーは、今度はシュゼットに充てた手紙を出してきたのだ。
「悪名高い死神侯爵に騙されているのではないかと思うと心配でならないわ。あなたは私の大切な親友だから……」などと書かれた手紙は、当然シュゼットには見せていない。
おそらくメラニーは、ユベールとシュゼットに揺さぶりをかけて二人の不和を招きたいのだろう。
ユベールからすればその手口もずさんすぎると言いたいが、おそらくシュゼットと彼女の元婚約者の時はそれでうまくいったのだろう。
だから、彼女は調子に乗ってしまった。
今の恋人では満足できなくなって、今度はユベールに乗り換えるつもりなのだろうか。
まったく、あさましいとしか言いようがない。
(相手にする価値もないと思っていたが……)
これ以上しつこくするようなら、きちんと対処をした方がよいかもしれない。
メラニーがどうなろうがユベールの知ったことではないが、シュゼットが彼女のことでこれ以上心に傷を負うのは避けたかった。
だが今日、シュゼットが彼女に決別を告げられたというのなら……それでよかった。
シュゼットは「気にしない」と言っていたが、今後は彼女が出席する会合への参加を避け、徹底的に顔を合わせないように取り計らえばそれでいいだろう。
「次に屋敷に押しかけてくるようなら、シュゼットに気づかれる前に衛兵に引き渡すように」
「承知いたしました」
ユベールの意を汲んだ使用人は、丁寧に頭を下げた。
使用人が下がり、一人になった後……ユベールは小さく息を吐いた。
「シュゼット……」
仕事のことなら、いかに効率的に利益を出すかを考えるだけでいい。
それでユベールは成功を収めてきた。
だが……たった一人の女性に関してはそうはいかない。
どうするのが彼女にとっての最善なのか、彼女がこの屋敷から出て行かないようにするにはどうすればいいのかをずっとユベールは考え続けている。
優秀なはずの頭脳は、こんな時に限って役には立たなかった。
いったいいつからこうなってしまったのだろうか。
以前の自分からは考えられない変化だが……不思議とユベールは、その変化が嫌ではなかった。