65 新しい居場所
「……メラニー、今日は僕の友人も出席しているんだ。そろそろ挨拶に――」
ニコルはそう言ってメラニーを連れて行こうとしたが、メラニーは冷たくニコルを一瞥しただけだった。
「あら、そうなの? でも私、まだシュゼットとアッシュヴィル侯爵とお話ししたいわ。あなただけでご挨拶してきたら?」
「なっ……」
ニコルは信じられないとでもいうように目を見開いた。
きっと今まで、メラニーのこんな冷たい一面を見たことがなかったのだろう。
(裏切られるまでの私と同じね……)
シュゼットもあの時までは、メラニーのことを優しく可愛らしい親友だと信じていたのだから。
「っ……! わかった、そうさせてもらうよ……」
引っ込みがつかなくなったのか、ニコルは悔しそうに唇を噛むと名残惜しそうにメラニーに視線をやった後、この場を立ち去った。
メラニーはそんなニコルを見送ることもせず、にこにこと愛らしい笑みを浮かべたままユベールを見つめている。
「それにしてもシュゼットのそのドレス、本当に素晴らしいわ……。さすが侯爵閣下の審美眼は一流ですね。はぁ、本当に素敵……いいなぁ、私も着てみたい……」
メラニーはそう呟くと、少しだけ悲しそうな笑みを浮かべてみせた。
昔のシュゼットだったらその表情に心打たれて「なんとかしてあげなければ」と奮起していたことだろう。
だが、今は違う。
いかにも庇護欲をそそるその表情の裏に、彼女の計略が潜んでいると気づいてしまったから。
(ユベール閣下……!)
一度痛い目を見たシュゼットはともかく、ユベールはメラニーの罠に引っ掛かってしまうのではないかとシュゼットは気が気じゃなかった。
おそるおそるユベールの方を確認してみたが……。
(あれ……?)
ユベールは相変わらず冷めた目でメラニーを眺めている。
「ではあなたのために特注のドレスを贈りましょう」などと言い出す気配は微塵もなかった。
それどころか――。
「失礼ですが、このドレスはシュゼットのために特別に仕立て上げたものなので。他人が袖を通すのはありえないことです」
ユベールがはっきりとそう告げた途端、今まで取り繕っていたメラニーの表情がひきつった。
その隙を見逃さず、ユベールはシュゼットの手を取りにこやかに告げる。
「それでは、我々はこのあたりで失礼いたします、ラヴェル嬢」
「えっ」
一瞬反応が遅れたメラニーには構わずに、ユベールはシュゼットを引っ張るようにしてさっさとその場を離れてしまう。
「あの、ちょっと……!」
背後から慌てたようなメラニーの声が聞こえたが、ユベールはすがすがしいほどに無視を決め込んでいる。
「あなたも振り返らないでください」
ユベールにそう囁かれ、シュゼットはドキドキしながらもこくりと頷いた。
「わざわざ時間を割いて相手をする価値はありません。放っておきましょう」
その余裕な態度に、シュゼットは驚いてしまった。
思えば、彼は皆がうらやむような地位と遺産を相続した侯爵なのだ。
取り入ろうとするものなど、シュゼットの想像以上に大勢いることだろう。
この、ある意味冷淡ともいえる態度が、彼なりの処世術なのかもしれない。
「あなたは侯爵夫人となる女性なのですから。これからあんなのは鬱陶しいほど湧いてきます。相手をしないという選択を持つのも大事だと覚えておいてください」
念を押すようにユベールはそう告げる。
その言葉で、シュゼットはなんだか……今まで胸につっかえていたものが一つ、とれたような気がした。
(そっか。もうメラニーやニコルに囚われる必要はないんだ……)
ずっと、何をしていても、どこにいても二人へのもやもやした気持ちがつきまとっていた。
だが、やっと……二人の存在を「過去のこと」として置いていけるかもしれない。
そんな予感がしたのだ。
(今の私には新しい居場所がある。やらなければならないこともたくさんある。いつまでも過去のことをぐちぐち考えている暇なんてないわ)
シュゼットは顔を上げ、まっすぐに前を向いた。
ユベールとシュゼットに気づいた人々が声をかけてきて、その応対へと意識を向ける。
徐々に、シュゼットの意識からメラニーの存在は消えつつあった。
だが――。
(あれ?)
不意に強い視線を感じ、シュゼットは反射的にそちらへ振り返ってしまう。
その瞬間、シュゼットは戦慄した。
人ごみの向こう……少し離れたところに、メラニーの姿があった。
彼女は、怒りと憎悪の入り混じった苛烈な視線でこちらを睨みつけていたのだ。
その表情を見た途端、背筋がぞくりとしてしまった。
シュゼットと視線が合ったことに気づいたメラニーは、すぐにいつもの愛らしい笑みを取り繕う。
シュゼットは見てはいけないものを見てしまった気分で、慌てて彼女から視線を外した。
(相手にしない、相手にしない……)
先ほどユベールから言われたことを反芻したが、それでも胸の中がざわついて仕方がなかった。
ユベールの言う通り、シュゼットは以前のようにメラニーと友人付き合いを続けるつもりはない。
社交の場で会ったら挨拶程度はするだろうが、それだけだ。
だが……本当のそれで済むだろうか?
その夜はできるだけメラニーの方を見ないように気を付けていたが、それでも時折彼女の方から強い視線を感じずにはいられなかった。