56 幻聴ではなかったらしい
「シュゼット様のドレス、とても素敵ですね……。こんなに細やかで美しいレースは初めて拝見しました」
「愛する婚約者をより美しく彩るのが最近の私の挑戦となっておりまして、こちらのレース、実はとある地方の伝統技術を用いたものでして――」
「まぁ、その話詳しく聞かせていただけないかしら!」
「アクセサリーも実によくお似合いで! ここまで大粒で艶やかな真珠はなかなかお目にかかれませんぞ。シュゼット嬢が大規模な舞踏会に姿を現した次の日にはもう、国中のご令嬢がこぞって買い求めるでしょうな! ちなみに、こちらの真珠はどちらから手に入れられたのです……?」
「我が婚約者に似合うものを探し求めるのには苦労しましたよ。なにしろ、並の品では私が満足できないものですから。こちらに関しましては、南の群島国家と交易を始めて――」
ユベールが「僕に任せてください」といった通り、本当にシュゼットはただ微笑んで相槌を打つだけでよかった。
ユベールはシュゼットの隣から離れる素振りも見せなかったし、話しかけてくる者の相手も引き受けてくれたのだから。
(なるほど……こうやって流行は作られるのね……)
ユベールの周囲に集まるものを眺めて、シュゼットは悟る。
たとえば、シュゼットが破ってしまわないかと戦々恐々な細やかなレースだとか。
うっかり傷つかないかと心配になるほど艶やかな大粒の真珠のアクセサリーだとか。
これから流行させたいものをこうして情報通だらけの小規模な集まりに持ち込み、アピールするのだ。
集まった者たちはそれとなく入手先を聞き出し、本格的なブームが来る前に流通を確保しておくのだろう。
そうして本格的なブームがやって来た際には、「なんといち早く我が商会で取り扱いを始めました」と売り出すのだ。
(よくできてるわ……)
ここに集まる者たちは、そうやって「ここだけの情報」を収集しに来ているのだ。
たとえ相手が「死神侯爵」であろうとも、利害が一致すれば問題はない。
(ある意味、私と同じね)
資金援助が欲しかったシュゼットはユベールと「契約」を交わし彼の婚約者となった。
相手が死神だろうが何だろうが、助けてくれるのならそれでよかった。
程度の差はあれど、ここに集まった者たちはそれと同じなのだろう。
(となると、今日の私の役目は……)
今日のシュゼットはいわばファッションモデル……いや、そんな華やかさはないのでせいぜいマネキンといったところか。
とにかく、「死神侯爵の婚約者が今後流行しそうな最先端のファッションで現れた」というところが重要なのだ。
彼らが見ているのはシュゼット自身ではなく、「死神侯爵の婚約者」という立場と今後流行しそうな商品である。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
(思えばメラニーと一緒にいるときは、こんな風に褒められる機会自体がなかったものね)
かつての親友、そしてシュゼットから婚約者を奪い悪女の汚名を着せたメラニー。
彼女とシュゼットが並べば、皆が褒めるのはメラニーの方ばかり。
今思えば、メラニーはぱっとしないシュゼットを自身の横に置くことで、引き立て役にしていたのだろう。
そう考えると……たとえ彼らが見ているのが「死神侯爵の婚約者」という立場とシュゼットが身にまとう次に流行しそうなアイテムだとしても、悪い気はしないのだ。
(いいわ、私でよければ広告塔になりますとも)
これも仕事のうちなのだから、きっちりとやり遂げなくては。
せめて少しでもドレスやアクセサリーを引き立てようと、シュゼットはユベールの隣で朗らかな笑みを浮かべてみせた。
◇◇◇
「本日はご苦労様でした」
「はぁ~、疲れました……。でも、いい経験になったと思います」
無事にパーティーが終わり、帰りの馬車にて。
珍しく自分から声をかけてきたユベールにそう返すと、彼は驚いたように目を丸くした。
「……いつもみたいに文句を言われるかと思いました」
「もぉ……私ってそんなにいつも文句ばっかり言ってます?」
思い返せば彼の言う通りな気がしなくもないので、慌ててシュゼットは話を逸らす。
「ふふ、確かに気疲れしましたが……いい経験になったのは本当ですよ」
シュゼットがあの場で理解した「流行の作り方」について話すと、ユベールはまたしても驚いたような顔をした。
「……あなたは案外鋭いのかもしれませんね」
「あら閣下、案外は余計では?」
「それは失礼しました」
まったく悪びれた様子もなくユベールはそう口にする。
その様子に、シュゼットは苦笑した。
「大丈夫です。閣下のお考えはちゃんとわかっていますから」
……彼の「身内殺し」について、本当のところはわからない。
だが、なんとなくわかったこともある。
彼はむやみやたらに相手を殺そうとしたり、傷つけたりする人ではない。
きちんとやるべきことをやり、節度を持って接すれば、恐れる必要はないのだ。
今日のパーティーに出席していた者たちだって、それがわかっているから「死神侯爵」の下に集まってくるのだ。
「私は閣下の表向きの婚約者兼、新商品の広告塔ということですよね? 似合わないのは百も承知ですが、これも契約ですから。きちんとマネキン役をこなしてみせますよ」
シュゼットが胸を張ってそう告げると、ユベールは何故かあっけにとられたような顔をしていた。
……はて、自分は何か的外れなことを言ってしまったのだろうか。
「流行の作り方」について話したときは、「案外鋭い」なんて褒めてくれたのに……。
首をかしげるシュゼットに、ユベールは少し困ったように視線を逸らした。
「……なるほど、そういうことでしたか」
「え、何がです?」
「いえ……」
ユベールが大きなため息をつく。
シュゼットがその真意を追求しようとしたところで、馬車はアッシュヴィル侯爵邸についてしまった。
「お帰りなさいませ。旦那様、奥様」
使用人に出迎えられ、無事仕事が終わりここで解散……と思いきや、何故かユベールはらしくもないことを言い出した。
「部屋まで送ります」
「え、何でですか!?」
「何でもです」
「…………?」
さっぱり意味が分からなかったが、ユベールの背後にいたレアが必死に「ここは閣下の言うとおりに!」とジェスチャーを送って来たので、シュゼットはよくわからないままに頷いた。
そのままユベールにエスコートされ、シュゼットは自室へと向かう。
(いや、本当になんで? いくら私でも自分の部屋くらいはわかるわよ)
ああいでもないこうでもないとぐるぐる考えているうちに、シュゼットに与えられた部屋の前に着いてしまった。
ユベールはシュゼットに向かいあうと、あらたまった様子で告げる。
「今日はありがとうございました。あなたのおかげで、今後は社交も円滑に進みそうです」
「えっと……それはよかったです」
シュゼットは特に何かしたわけではないのだが、ユベールの役に立ったのならよかった。
そんな思いを込めて頷くと、ユベールがいつになく真剣にこちらを見つめていることに気づき、シュゼットはどきりとしてしまった。
「それと、もう一つ」
ユベールは一度呼吸を落ち着けるように息を吸い、告げた。
「あなたに贈ったそのドレスとアクセサリー、流行させたいという狙いももちろんありますが……それよりも、僕はあなたによく似合うと思ったから贈りました」
「…………へ?」
「似合わないというその認識はあらためた方がよいかと。……それでは、失礼します」
それだけ言うと、ユベールはあっさりと去っていった。
残されたシュゼットは数十秒の間呆然とした後……彼の残した言葉の意味を理解し、じわじわと顔が熱を帯びていくのを止められなかった。
「き……聞きましたよね奥様! 今の! 閣下のお言葉!!」
控えていたレアもユベールが姿を消した途端にキャーキャーと騒ぎ始めたので、どうやらシュゼットの幻聴ではなかったらしい。