54 僕に任せてください
着飾った二人を乗せた馬車がたどり着いたのは、歴史ある佇まいの伯爵邸だった。
――ルサージュ伯爵夫人。
それが、今回のガーデンパーティーの主催者だ。
年配の貴婦人であり歴史ある名家の出身だが、社交界や世間の流行に敏感な方だそうだ。
そのせいか、国内有数の貿易港を所有し諸外国の流行をいち早くキャッチするアッシュヴィル家とも親交が深いのだという。
「死神侯爵」と恐れられるユベールにも臆することのない、穏やかに見えて芯の強い女性なのだとか……。
レアが何度も何度も繰り返し教えてくれた情報を反芻しながら、シュゼットはきゅっと指先を握り締めた。
(うぅ、大丈夫かしら私……。侯爵の婚約者としてふわさしくないと思われたら、アッシュヴィル侯爵家の名に泥を塗るようなことになったら……)
考えれば考えるほど、嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
じっとりと嫌な汗をかくシュゼットに気づいたのか、ユベールがぽつりと声をかけてきた。
「緊張していますか」
「はひゃ!?」
弾かれたように顔を向けると、ユベールはこちらに探るような目を向けていた。
その視線に、シュゼットの心は少しだけ落ち着きを取り戻す。
(……閣下は私を試しているんだわ。これで侯爵夫人として不合格だと思われたら、スパッと契約解除に――)
子爵家で元気にしているであろう弟や妹たちの顔が思い浮かぶ。
……彼らがのびのびと、進みたい道に進めるように。
まだ、シュゼットは解雇されるわけにはいかないのだ。
「……いえ、平気です。閣下の婚約者としてふさわしく振舞って見せますわ」
「そうですか」
シュゼットの決意表明にも、ユベールは淡々とそう返しただけだった。
別に慰めの言葉を期待していたわけではないが……ここまで関心がなさそうな態度を取られるとむっとしてしまう。
そんなシュゼットの内心を知ってか知らずか、ユベールは何でもないことのように告げた。
「あなたがそんなに気負う必要はありません。僕がフォローしますから、あなたはただ僕の婚約者として微笑んでいればそれでいい」
「え……」
いつになくこちらを気遣うような言葉に、シュゼットは思わずどきりとしてしまう。
鼓動が早鐘を打ち、心なしか体温も上がっている気がした。
(お……落ち着け、落ち着け私……!)
シュゼットはぶんぶんと頭を振り、ユベールの姿を視界から外す。
(きっと今の言葉は、べらべら喋るとボロが出るからおとなしくしていろっていう警告よ! だって……閣下があんな風に私を気遣うとは思えないもの……)
――「世間は僕のことを家族殺しの『死神侯爵』と呼ぶ。……あなたはそれを勝手な誤解だと思っていたようですが」
――「僕が兄――二人の父親を殺したことは事実です。残念ながら誤解でも何でもない」
少し前に聞いた言葉が今も頭を離れない。
シュゼットはユベールを見誤っていた。
彼は目的のためなら、容赦なく他者を切り捨てることができるのだ。
役に立たないシュゼットのことだって、殺す……まではいかないだろうが、「契約」を解除して屋敷から追い出すなど造作もないだろう。
(……これは仕事よ。私はユベール閣下の婚約者という役割を演じればそれでいい)
今までだって、様々な仕事をこなしてきたのだ。
今回だって、求められた役割に徹すればいいだけのこと。
そう自分に言い聞かせても……胸の痛みは止まなかった。
◇◇◇
会場となるのは、美しく手入れが施された伯爵邸の庭園だ。
色とりどりの花々が咲き誇り、集まった人々は華やかな衣装を身にまとい会話に花を咲かせている。
老若男女が入り混じるその空間は、伯爵夫人の人脈の広さを存分に伺わせた。
(うっ、失敗しないようにしないと……)
入り口のアーチの陰からその光景を眺めながら、シュゼットは再び冷や汗をかく。
そんなシュゼットに、ユベールは静かに手を差し出した。
「お手をどうぞ。ここへ来る前も言いましたが、あなたがそこまで気負う必要はありません」
「でも私、閣下の婚約者としては美貌も教養も何もかもが不足していて――」
ここまで来て弱気になるシュゼットの手に、そっとユベールの手が触れる。
彼の手は、初めて出会った日に握手を交わしたときと同じく、確かな暖かさを持っていた。
「心配する必要はありません。僕に任せてください」
まっすぐにシュゼットを見つめ、ユベールはそう口にする。
いつになく真摯な態度に、シュゼットは思わずどきりとしてしまった。
冷淡なユベールがこんな風に気遣ってくれるのは、もしかしたら初めてのことなのかもしれなかった。
「ほ、本当に何もできませんからね……」
じわじわと体温が上がっていくのを感じつつ、シュゼットはそっとユベールの手を取る。
そのまま二人は、アーチをくぐりガーテンパーティーの会場へと足を踏み入れた。