51 奥様、大変です!
それからしばらくの間は、穏やかに時間が過ぎていった。
シュゼットは家庭教師として、アロイスやコレットと思いっきり遊んだ。
侯爵邸の中で遊ぶこともあったし、ユベールの許可を得たうえで街に社会見学に行くこともあった。
初めて青空市場を見た幼い兄妹は目を輝かせていて、シュゼットは微笑ましい思いでいっぱいになったものだ。
そうしているうちに、いつの間にかアロイスは遊びだけではなく勉強にも真面目に取り組むようになった。
驚いたことに、彼は非常に賢かった。
今までもやんちゃっぷりはどこへ行ったのか、シュゼットの弟のロジェにも負けない秀才っぷりを発揮しているのだ。
初めてその姿を目の当たりにしたときは、シュゼットは驚きで言葉が出なかったほどだ。
「な、これ……どうしちゃったのアロイス! 熱でもあるの!?」
「失礼だな、お前。こんくらいやればできるんだよ、俺は」
「じゃあなんで今までやらなかったのよ!」
「……なんとなく」
問い詰めようとするシュゼットに、アロイスはぷい、とそっぽを向いてしまう。
そんな兄を見て、コレットはくすくすと笑っていた。
「たぶん、シュゼットといっしょにいたいからじゃないかな」
「……え?」
「おいコレット、余計なこと言うなよ!」
焦る兄の言葉など気にも留めず、コレットは無邪気な声で告げる。
「この前ね、大人が話してるのをきいちゃったの。シュゼットは遊んでばっかりだから、そろそろちゃんとして家庭教師に来てもらった方がいいんじゃないかって」
「そんなことが……」
確かに、シュゼットの第一目標は幼い兄妹に元気を出してもらうことだった。
その観点から言えば成功を収めているだろうが、「家庭教師」本来の役割からはずれていると捕らえられてもおかしくない。
前任の家庭教師が辞めた後の繋ぎのポジションでもあるし、そろそろ本職への交代の話が出るのも当然だ。
少し寂しさを覚えたシュゼットに、コレットは興奮した様子で伝える。
「それから、おにーさま一人でこっそりお勉強していたの! それって、シュゼットといっしょにいたいからだよね」
「アロイス……」
思わずアロイスの方へ視線をやると、彼は顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。
……つまりは、シュゼットの代わりに別の家庭教師が来るのが嫌だから、彼はやっと本気を出してくれたということだろうか。
そう気づいた途端、胸の奥から熱いものがこみ上げる。
「もー! なんでそう可愛いことするのよー!」
「かわいくねーよ! バカ!」
「そういうところが可愛いのよ!」
「おい、抱き着くな!!」
二人まとめてぎゅぎゅっと抱きしめると、コレットは嬉しそうにはしゃぎ、アロイスはきゃんきゃんと喚いていた。
「奥様、大変です!」
二人の授業を終え本館に戻ってくると、レアがいつになく慌てた様子で駆け寄ってくる。
「どうしたの、レア」
「あの、旦那様から伝達がありまして……」
レアの手はわなわなと震えている。
シュゼットも嫌な予感に息をのんだ。
まさか、ユベールはやっぱりシュゼットのような女は妻としてふさわしくないと判断を下したのでは――。
「そろそろ奥様もこのお屋敷になれたようなので、次は閣下のパートナーとして社交界に同伴するようにと……」
「……え?」
想像していたのとはまったく別の言葉に、シュゼットはぱちくりと目を瞬かせた。
「社交界? 私が?」
「はい、その通りです」
「なんで?」
「侯爵閣下の婚約者でいらっしゃるからです!」
(そうだった!)
失念しかけていたが、シュゼットは家庭教師ではなくユベールの婚約者である。
しかも最初に話を持ち掛けられた時からずっと、「公の場でユベールのパートナーとして振舞うこと」というのも条件にあったというのに。
今日までユベールはシュゼットを社交界に連れて行こうとはしなかったから、てっきりその気がないのかと思っていたが……。
(単にタイミングを計っていたってこと? 一応は私を婚約者扱いする気はあるのね……)
ユベールが提示した契約事項に含まれている以上、シュゼットに拒否権はない。
公の場でもユベールの婚約者として振舞うことに異論はないのだが……。
「……どうしよう、レア」
「奥様?」
「私、侯爵の婚約者としての振舞い方なんてわからないんだけど……!」