50 ただの、契約妻なのに
「……それは、なぜ」
「本当に地位や財産が目当てなら、アロイスやコレットのことだって……自分の邪魔にならないようにどこかへやっているのでは? それに、あなたがそんなに地位や財産に執着するような人間には見えませんし」
シュゼットの目から見て、ユベール・アッシュヴィルは侯爵位にふさわしい気品を兼ね備えた人物である。
もちろん普段の装いも立場にふさわしい高品質なものを取り揃えているようだ。
だが……成金貴族にありがちな無駄に貴金属をジャラジャラさせて、下品な装いになっているということは一切なかった。
むしろ、品はあれどもどちらかというと地味な部類と言えるだろう。
女性や賭け事に入れ込んでいる様子もないし、財産目当てで親族を殺したにしては、ユベールの生活はあまりに慎ましすぎる。
むしろ、侯爵位という重荷を背負っただけのようにも見えるのだ。
だがユベールは、的外れだとでもいうようにため息をついた。
「……買い被りすぎですよ」
彼はシュゼットから視線を外し、窓の外を眺めている。
いや、彼が見ているのは外の景色ではない。
……シュゼットにはわからない、「何か」を見ているのだろう。
「僕はあなたが思うよりずっと俗な人間です。権力を握るのに邪魔な人間を殺し、侯爵の座に居座った。あの二人を殺さなかったのは、幼子に手をかければさすがに世間の目が厳しくなるだろうと踏んだだけです」
ユベールは静かにそう告げる。
迷いも、戸惑いもない声だった。
だがどうしても……シュゼットには、彼が本心を口にしているようには思えなかった。
「私には……話してくださらないのですね」
思わず、ぽろりと本音が漏れてしまう。
その途端、ユベールは驚いたように目を見開いた。
それは、彼がこの部屋に入ってから初めて……「死神侯爵」の仮面が剥がれ落ちた瞬間なのかもしれなかった。
「……お戯れを」
ユベールは素顔を隠すかのように、シュゼットに背を向けた。
「僕とあなたは互いを利用する契約によって繋がれた関係。最初からそのはずです」
「っ……」
シュゼットは何も言えなかった。
ユベールの言葉は、至極まっとうなものだ。
ユベールは最初からシュゼットに「契約」を持ち掛けてきただけ。
別にアロイスやコレットとの関係を改善したいとか、そんなことを頼まれただけではない。
シュゼットが勝手に、首を突っ込んで憤っているだけなのだから。
「……わかりました」
小さくそう口にすると、ユベールはシュゼットの方を振り向かないままに、扉へ向かって歩き出す。
「子どもたちに関わることを止めるつもりはありません。あくまで『ユベール・アッシュヴィルの婚約者』という仕事をしてくださるのなら、今まで通りこの屋敷で自由に暮らしていただいて結構です。それでは」
ユベールは部屋を出ていき、扉が閉まる音がむなしく響く。
残されたのは、シュゼット自身と腕の中に抱える花束だけだ。
シュゼットは黙って腕の中の花束を見つめた。
ここに来る前は、花屋で働いていたこともある。
だからこそ、わかった。わかってしまった。
花の種類、数、バランス……すべてが美しく、恐ろしいほどに手の込んだ花束だ。
(この大きさだと……特注ね)
少なくとも、店頭にもともと用意してあったものを適当に買ったわけではない。
もちろん実際に手配したのは使用人だろうが、ユベールはシュゼットのためにわざわざ豪華な花束を用意させたのだ。
……ただの、契約妻なのに。
(私には、あなたがわからない……)
突き放すのなら、冷たく突き放せばいいのに。
こんな風に、さりげなく気を遣われると……心が揺らいでしまう。
ただの仕事なのに、契約でしか繋がれない関係なのに……そう、徹することができなくなってしまう。
もっと、彼自身に深く踏み込みたいと思ってしまうのだ。
(ユベール閣下にとっては、迷惑でしかないのに)
自身の難儀な性分に、シュゼットは自嘲の笑みを漏らさずにはいられなかった。