42 選手交代です!
池に浮かんだ小さな小舟は、水面を滑るようにゆっくりと進んでいく。
基本インドア派のユベールにオールの操縦などできるのだろうか……とはらはらし、何かあったらいつでも変われるようシュゼットは尻を浮かしかけているのだが、今のところユベールは危なげなく舟を操っている。
さすがは名門侯爵家の貴公子。こういうのも社交スキルとして幼少時から身についているのかもしれない。
「見て! お魚さんがいた!」
「あらあら、あんまり乗り出すと落ちちゃうわよ」
シュゼットの隣で勢いよく水面を覗き込もうとしたコレットを慌てて支え、シュゼットは安堵の息を吐く。
コレットはこんな風に自然と触れ合う機会が珍しいのか、目を輝かせている。
明るく弾んだ声は、シュゼットの心をも癒してくれるようだった。
ここ一年ほどずっとつらい思いをしてきた少女の明るい様子に、シュゼットの口元にも自然と笑みが浮かぶ。
「コレット、落ちるなよ。お前は泳げないんだから」
「え~、おにいさまだって泳げないでしょ?」
「ぐっ……俺のことはいいんだよ!」
兄貴風を吹かせ妹を注意したはいいものの、逆に痛いところをつかれアロイスは言葉に詰まっている。
きゃいきゃいとはしゃぐ幼い兄妹はとても可愛らしい。
今もシュゼットを間に挟むようにして、他愛もないじゃれあいのような言葉が飛び交っている。
その様子はとても微笑ましい。微笑ましいのだが……。
「……ねぇ、アロイス」
「なんだよ」
「ちょっと、狭くない?」
そう口にすると、アロイスはぷいっっとそっぽを向いてしまった。
この小舟は両端に人が座れるようになっており、四人で乗るのなら片側に二人ずつ乗るのが普通だ。
だがシュゼット真正面には、ユベール一人しか腰を下ろしていない。
反対側のこちらには、狭いスペースに三人がぎゅむぎゅむと詰まっているのだ。
小舟のバランスはなんとか保たれているから問題ないのだが、それはそうとしてこの状況はどうなのだろう。
「ほら、ユベール閣下の隣に行ってきたら? オールの操縦を教えてもらうのもいいんじゃ――」
「はぁ? 嫌に決まってんだろ!」
(あぁもう!!)
せっかく二人の距離を近づけようと気を利かせたのに、この断固拒否である。
ちらりとユベールの方を窺うと、彼は涼しい顔をしていた。
なんだか自分一人がムキになっているようで、シュゼットはむかむかしてしまう。
(元はと言えばあなたたちの問題なのよ? まだ幼いアロイスとコレットはともかく、ユベール閣下はもっとちゃんと向き合うべきじゃないの!?)
勝手に首を突っ込んだのはこちらの方だが、こうも自分一人が空回りしていると怒れてくるのだ。
「もう! そういうことならいいわ。私が漕ぐ!」
「え……っておい! 急に立ち上がるな!」
「きゃ~」
シュゼットが勢いよく立ち上がると、小舟がゆらゆらと揺れる。
アロイスは慌てたような声を上げ、コレットは面白かったのか嬉しそうな悲鳴を上げた。
「閣下! 選手交代です!」
「……女性の手には、少し重労働かと」
「構いません! 今は思いっきり力仕事がしたい気分なので!」
そう宣言すると、ユベールは困ったようにため息をついた。
だがシュゼットに退く気がないと悟ったのだろう。
渋々といった様子で、場所を代わってくれる。
「おい、狭いんだよ!」
まるで緩急材のようにコレットを間に挟み、先ほどシュゼットがいた反対側に腰を下ろしたユベールに、アロイスがそんな憎まれ口を叩いている。
「……全体のバランスを保つためだ。仕方がないだろう」
「ちっ、つまんねぇこと言いやがって……」
(も~、もっと楽しそうにしなさいよ!)
相も変わらずユベールとアロイスの間にはピリピリした空気が流れている。
歯がゆい思いをしながら、シュゼットはやきもきした感情をぶつけるように、思いっきりオールを漕いだ。
「わ~、はや~い!」
やけになって先ほどよりも豪快に小舟を漕ぐシュゼットに、コレットだけが嬉しそうに目を輝かせていた。