40 しりとり、はいかがですか?
……馬車の中の空気は最悪だった。
いや、窓から吹き抜ける風は心地いいし、もしシュゼットが一人だったら上機嫌に鼻歌なんて歌っていたかもしれない。
シュゼットの真正面の席に座るコレットは嬉しそうに窓の外を眺めながら、細い足をぷらぷらさせている。
その様子は大変愛らしく、少し前までの抑圧されていた彼女の環境を考えると、なんとも喜ばしい変化だ。
……なんて頭で考えつつ、シュゼットは現実逃避していた。
すぐ隣の、どうしようもなく緊迫した男衆から。
「……」
「…………」
シュゼットの隣のユベールと、彼の真正面――コレットの隣に座るアロイス。
互いに決して視線を合わさず、会話も交わさず、存在すらしていないように押し黙るその姿は……呆れるほかない。
(私たち、これから楽しいピクニックに向かうのよね? 決して戦場とか、葬式に行くんじゃないのよね?)
そう自問自答しないと、うっかりシュゼットまでその重苦しい空気に飲まれそうになってしまう。
……まずい。
せっかくユベールと兄妹の仲を取り持とうとピクニックを計画したというのに、開始早々暗雲が立ち込めているではないか。
ここは、発案者であるシュゼットがなんとかしなければ……!
「そ、そうだ! どうせなら到着するまでに何かゲームでもしませんか?」
少しでもこの空気を何とかしたい。
そんな思いで、シュゼットはそう提案した。
「はぁ? そんな気分じゃ――」
「わぁ……! コレット、やってみたい!」
「ぐっ……」
すぐさまシュゼットに突っかかろうとしたアロイスだが、可愛い妹の意志を無下にはできなかったのだろう。
「……ふん、好きにしろよ」
ぷい、とそっぽを向いて、吐き捨てるようにそう口にした。
(よし! 残りはあと一人……!)
期待に満ちた目で、シュゼットはユベールを見つめる。
我関せず、と言った風に涼しい顔をしていたユベールだが、シュゼットの熱視線には耐えられなかったのだろう。
「……わかりました。お好きにどうぞ」
たっぷり数十秒後、彼は諦めたようにため息をついた。
もっと説得が必要かと思っていたシュゼットは、驚きつつも嬉しさを噛みしめる。
(ふふ……ユベール閣下だって、なんだかんだで可愛い二人とのお出掛けを楽しんでるんじゃないかしら?)
あんな涼しい顔をしていても、内心ではデレデレだったりするのかもしれない。
だとしたら、ますますユベールと二人の仲を近づけなければ。
(幼いコレットもいるのだから、あまり複雑で難しいゲームは駄目よね。となると……)
「しりとり、はいかがですか?」
「楽しそう!」
「別に、いいんじゃねーの」
「……どうぞ、あなたのお好きなように」
(もうちょっと楽しそうにしなさいよ、男二人!)
せっかくコレットが喜んでくれているのに、もう少し楽しそうな顔はできないものか。
少しムッとしつつも、シュゼットは明るい笑みを浮かべて続ける。
「それじゃあ私から行きますね。最初は……『ピクニック』です! コレット、『ク』から始まる言葉よ?」
優しく促してやると、コレットは「うふふ」と嬉しそうに笑う。
「えっとね、く、く……クリームブリュレ!」
(か、可愛い……!)
あまりの可愛さに悶えつつも、シュゼットはなんとかコレットの隣のアロイスに順番を振る。
「次……アロイスね。『レ』から始まる言葉よ」
「……レタス。……おい、期待外れっていう顔すんなよ!」
「いえ、案外普通に答えてくれて嬉しいわ」
もっとシュゼットやユベールを困らせるような変な回答をしてくるかと思いきや、アロイスは意外と素直にゲームに乗ってくれた。
(ふふ、そういう素直なところ、とっても可愛いじゃない)
にまにまと笑みが零れるシュゼットに、アロイスは恥ずかしくなったのかキャンキャン喚きだした。
「おい、次はこいつだろ! さっさと答えろよ!」
ビシッと指さされたユベールは、小さく息を吐く。
(まさか、子どもたち二人がちゃんと答えてくれたのに今更やらないなんて言わないわよね?)
少し危機感を覚えつつも、シュゼットはごくりと唾を飲みユベールの回答を待つ。
シュゼットの視線の先で、ユベールはゆっくりと口を開いた。
「SWOT分析」
「……」
「…………」
「…………なんですか、それ」
聞きなれない難しげな単語に、呆然としたシュゼットはおそるおそるそう聞き返す。
すると、ユベールは何でもないことのようにさらりと応えてくれた。
「組織や事業などの内外の要因を評価するために使用されるツールです。Strength(強み)、Weakness(弱み)、Opportunity(機会)、Threat(脅威)の4つの要素で要因分析することで――」
「あー細かい説明は帰ってから伺いますね!」
ユベールは何やら理解不能なことをぺらぺらと述べ始めたので、シュゼットは慌てて制止した。
(小さい子ども二人がいるのになにわけのわからないこと言ってるのよ!)
自分自身もさっぱり理解できなかったことは置いといて、シュゼットはユベールの配慮のなさに憤った。
(まったく、これじゃあ今まで対話が成り立たなかったのもなんとなく理解できるわ……)
「えっと……スウェット分析? でしたっけ?」
「いえ、スウォット分析です」
「どっちでもいいわ! ……じゃなくて、次は『き』ですね」
思わず漏れかけた本音を喉の奥に仕舞い込み、シュゼットは何とか笑顔を取り繕う。
「よし! キャンプ!」
「プディング~」
「草むしり」
「リードクオリフィケーション」
(大丈夫かしら、これで……)
何とも言えない空気が漂う馬車の中、シュゼットは漠然とした不安を覚え「もうどうにでもなれ」とも言いたくなるような気分だった。