37 付け入る隙
そして今、シュゼットはユベールと対峙している。
「……今度は何ですか」
相変わらず、ユベールは面倒くさそうな態度を隠そうともしていない。
いきなり暗雲が立ち込めているような気がするが、「じゃあ出直します」とやっても事態が好転するとは思えない。
シュゼットは気を落ち着けるように息を吸い、ゆっくりと口を開く。
「まず、本日は私のためにお時間を割いていただきありがとうございます」
「……? まぁ、はい」
いつになくかしこまった態度のシュゼットに、ユベールは不思議そうな顔をしていた。
少なくとも、今すぐ追い出されることはなさそうだ。
いつものように喧嘩腰にいかなくてよかった……と安堵しながら、シュゼットは用意した言葉を舌に乗せる。
「まず今回申し上げるのは、すべて私の今後に必要なことであるとご留意ください」
「……今後に必要、とは?」
「侯爵閣下と結婚する際に、『公の場ではパートナーとして振舞ってほしい』と伺いました。そのために必要なカリキュラム、とでもお考え下さい」
「……なるほど」
ユベールは納得したように頷いた。
「どうぞ、続きを」
そう促され、シュゼットは続ける。
「侯爵閣下がどこまで私の身辺調査を行ったかは存じ上げませんが、私には圧倒的に貴族令嬢としての経験と教養が不足しています。その穴埋めを行いたいのです」
それらしい理由を並べ立てると、ユベールは得心がいったとでもいうような顔をする。
「わかりました。ですが、その程度のことなら僕の許可を取らずに勝手に進めていただいて構いませんが。必要であれば教師でもなんでも雇ってください」
「もちろんそのつもりです。ですが……今回の件に関しては、侯爵閣下自身の協力が必要不可欠なのです」
力強くそう宣言すると、ユベールは驚いたように目を瞬かせる。
「僕の……?」
「えぇ。どうしても、私の夫となる閣下にしかできないことです」
そう告げると、ユベールはどこか気まずそうに視線を逸らした。
少し押しつけがましかったか……とシュゼットは慌てたが、ユベールはすぐになんでもないように告げる。
「……わかりました。僕にできることなら、協力させていただきます」
(来たー!)
まさかこんなに早く、言質が取れるとは。
本当はもっとお涙ちょうだいのストーリーを交えたシュゼット式プレゼン原稿を用意していたのだが、まさかこんなに早くチャンスが降って来るとは。
今すぐ部屋中を踊りまわりたいのを堪え、シュゼットはしおらしく念押しする。
「お願いです、ユベール閣下。本当にユベール閣下のお力が必要なんです。だから……断らないでくださいね?」
「まぁ……僕にできることなら、協力しますよ。あなたは、僕の……妻となる女性なので」
シュゼットがよくよく聞いていれば、この時のユベールの言葉にいつになく感情が乗っていたのに気付いたかもしれない。
だが浮かれていたシュゼットは、そんな些細な変化に気づくはずもなかったのです。
「ありがとうございます、閣下! では……私と一緒に、ピクニックへ行きましょう!」
「…………は?」
その時のユベールの顔を、シュゼットはしばらく忘れることはできないだろう。
とても「死神侯爵」の名にそぐわない、ひどく間抜けな表情を浮かべていたのだから。
「……今、なんと?」
「ピクニックです、閣下! どうぞこの図をご覧ください!!」
ぽかんとするユベールに向かって、シュゼットは持参した資料をばっと広げて見せた。
「『貴族令嬢に聞いてみた! 婚約者と行きたいデートとは?』の第三位にピクニックが堂々とランクインしているでしょう?」
「……は?」
「ピクニックデートこそが今の貴族令嬢のトレンド! 私にとっての必須カリキュラムなのです!」
「……で?」
「私が閣下のパートナーとして社交界に繰り出しても、ピクニックデートの一つもしたくのない女だと思われれば馬鹿にされてしまいますわ。あぁ、そうなればアッシュヴィル侯爵家の名声も地に堕ち、私は閣下に合わせる顔がありません……」
さめざめと泣いたふりをしながら、シュゼットはちらりとユベールの方を窺う。
彼は明らかに困惑していた。
目の前でわけのわからないことを熱弁したかと思いきや、急にしおらしくなったシュゼットの態度に戸惑っているのだろう。
もしも彼が平静を取り戻せば、「何をくだらないことを」「貴族の婚姻などそんなものです」「言いたい者には言わせておけばいい。不都合があるのならこちらで対処します」などと非常に現実的な答えを返してくれたことだろう。
そうでないということは……付け入る隙があるということだ。