35 奥様は希望の星
「…………はぁ」
大きくため息を零すと、傍に控えていたレアが素早く反応した。
「何かお悩み事ですか、奥様?」
「えぇ、そうね……。リラックスしたいから、お茶を淹れてもらえるかしら」
「承知いたしました」
素早く要望に応えてくれたレアに感謝しつつ、シュゼットは再び小さくため息を零す。
既に窓の外では日が落ち、ゆったりとした夜の空気が漂っている。
未来の侯爵夫人のために用意された最上級の私室で、特に予定もないのんびりとした時間……。
だが、そんな差し迫ってやるべきことがないからこそ、どうしてもシュゼットは思い悩んでしまうのだ。
――「馬鹿にすんな。俺だって、あんな噂を信じてるわけじゃない。だから、あいつに聞いたんだ。……まさかお前が、父上や母上を殺したわけじゃないよなって」
――「俺は、信じてたのに。あいつは根暗で何考えてるかわからない奴だけど、父上はあいつを『頼りになる弟だ』って言ってたから……」
――「なのにあいつは、俺たちの父上と母上――二人は自分が殺したって言ったんだよ!」
少し前に、アロイスから聞いた言葉が蘇る。
シュゼットはまだ、その言葉をうまく解釈できていなかった。
(普通に考えれば、アロイスが何か勘違いしているってことよね。でも……あの子はああ見えて馬鹿じゃない)
最初はとんでもない問題児だと頭を抱えたものだが、近くにいて接していれば自然とわかる。
彼は、周りが思っているようなわがままなだけの子どもじゃない。
むしろ……同年代と比べてもかなり賢い部類に入るだろう。
彼のわがままは、単にユベールと腹を割って話したいという要求を叶えるため、彼なりに考えて起こしている行動なのだから。
だがそれでも、シュゼットは彼が言うようにユベールが兄を殺したとは思えないのだ。
(だってまず、動機がないじゃない。……いや、客観的に見れば侯爵家の当主の座と財を手に入れるっていうこのうえないメリットはあるけど、ユベール閣下がそれを望んでいたかというと……そうは見えないのよね)
彼がもっと欲深い人間であれば、自身の野望のために身内やシュゼットのことも利用し……邪魔になったら切り捨てるような冷酷な人物であれば、話は早かったのに。
曲がりなりにも彼と関わるようになって、シュゼットはどうしても彼が巷で言われているような血も涙もない人間だと思えないのだ。
「やっぱり、何か行き違いがあるのかしら……」
「行き違い、とは?」
ちょうど淹れたてのハーブティーを運んできたレアが、不思議そうに首をかしげる。
ありがたくティーカップを口に運びながら、シュゼットはぽつりと零した。
「侯爵閣下と兄妹二人のことよ。状況的に話しにくいのはわかるけど……やっぱりもっとちゃんと話し合うべきだと思うの」
そう口にすると、レアは目を輝かせた。
「えぇ、えぇ! その通りです、奥様! 我々使用人一同も、なんとかお三方に心から打ち解け合ってほしいと思っているのですが……」
「侯爵閣下が、そんなことをするわけがないってことね」
「えぇ……我々には侯爵閣下のお心を推し量ることも難しく、どうするべきかと手をこまねいておりまして……」
つまりは、「ユベールが何を考えているかわからないし、使用人にはそんな権限もないしどうしようもない」という状況がここ一年ほど続いていたのだろう。
「だからこそ、我々にとって奥様は希望の星なんです!」
「え?」
「あの侯爵閣下と対等に話せて、坊ちゃまとお嬢様にも慕われていて、そんな奥様ならきっと三人を繋ぐ架け橋になれるのではないかと……!」
「え?」
そう熱弁するレアに、シュゼットは冷や汗をかき始めていた。
(もしかして、知らない間に……私、とんでもない期待を背負っちゃってる!?)