3 喜んでお受けいたします
「ロジェ、もう一度だけ言うわ。あなたは進学のことだけ考えて」
「姉さん! でも……」
「大丈夫だって言ってるじゃない。これで入学試験に落ちたりしたら許さないわよ? 大丈夫、姉さんには奥の手があるんだから」
不服そうな顔をする弟を追い返し、シュゼットはぐっと拳を握る。
(……やるしかないわ)
鏡の前に立つと、ずいぶんと悲壮な顔をした自分の姿が映っていた。
色素の薄い金の髪に、灰色に近い青の瞳。
顔立ちは十人並みで、メラニーのような華やかさもない。
だが、シュゼットは現在十七歳。
若さを売りにすれば……十分に値段が付くだろう。
(どんな相手でも構わない、できるだけ高く買ってくれる人に、私自身を売るのよ)
……本当はこんなことはしたくなかった。
心から愛する相手と、幸せな結婚をしたかった。
だが、そんな幻想は粉々に打ち砕かれてしまったのだ。
だから、もう何も怖くない。
覚悟を決め部屋を出ると、母とこの家唯一の使用人であるメイドのマノンが顔を突き合わせるようにして、食堂で何やらぼそぼそと喋っていた。
「お母様、マノン、何をしているの?」
「シュゼット……! い、いいえ、なんでもないのよ……」
「そ、そうですよお嬢様! 決してお嬢様のお耳に入れるようなお話では――」
そう言い、二人はテーブルの上に乗っていた種類をシュゼットに見えないように遠ざけた。
……怪しい。あからさまに怪しい。
シュゼットは即座に何か隠していると感づき――。
「あっ、外にすっごく可愛い子猫が!」
「「えっ、どこどこ!?」」
「隙ありっ!」
二人がシュゼットの嘘に引っかかっている間に、さっとテーブルの上の種類をひったくった。
「なになに……えっ、縁談の釣書……?」
「シュゼット!」
二人が止める間もなく、シュゼットは書類の内容に目を通す。
そして、驚きに目を疑った。
「アッシュヴィル侯爵が、私に結婚を申し込み……!?」
それは間違いなく、シュゼットへの縁談の申し込みであったのだ。
(侯爵? 侯爵家の使用人でもなく、侯爵本人が? 私に? どうして!?)
混乱するシュゼットに、母が声を張り上げる。
「シュゼット……そんなの無視すればいいのよ! 相手はあの『死神侯爵』なのよ!?」
その言葉を聞いた途端、シュゼットはやっと相手が誰なのかに思い当った。
今から約一年ほど前に、世間を騒がせた『死神侯爵』……。
その名前は、あまり社交界の情勢に詳しくないシュゼットでも知っていた。
表向きは、事故で両親と兄を失い、若くして侯爵位についた悲劇の青年。
だがその裏では、金と権力に目がくらみ、家族を殺し爵位を奪い取ったのではないかとまことしやかに噂されている。
事故には不審な点があり、調査機関によって真相が明らかになりかけたのだが、彼が汚い手を使い封じ込めたのだとも聞いたことがある。
「あまりの悪評に、きっと誰も嫁に来ないのですよ。だからって、婚約を破棄されたばかりのお嬢様に狙いを定めるなんて……ふざけるにもほどがあります! こんなもの、さっさと破り捨てて――」
「いいえ、受けます」
「そうです! ヤギの餌にでも……って、え?」
驚きに目を丸くする母とマノンに、シュゼットはにっこりと笑ってみせた。
「『喜んでお受けいたします』……そう返事をするわ」
相手が死神だろうが何だろうが構わない。
今のシュゼットにとっては、唯一の救いの手なのだから。