29 外で遊んじゃいましょう!
「うわっ、何でお前がここにいるんだよ!」
「わぁ~!」
シュゼットが姿を現した途端、アッシュヴィル侯爵家の幼い少年――アロイスはあからさまに顔をしかめ、逆に妹のコレットは表情を輝かせた。
そんな対照的な兄妹の様子に、シュゼットはふふんと笑う。
例の横領事件が一段落し、別館の使用人も総入れ替えとなった。
空位となった家庭教師のポジションは、シュゼットの更なる暴走を憂いたユベールによってシュゼットへと与えられたのである。
「新しい家庭教師が来る」としか聞いていなかったであろう兄妹の反応に、シュゼットは内心にやにやしながらも頭を下げた。
「御機嫌よう、アロイス坊ちゃま、コレットお嬢様。新しく家庭教師として参りました、シュゼットと申します」
「シュゼット? あれ? シュザンナじゃないの?」
不思議そうに首をかしげるコレットに、シュゼットはにっこりと笑って説明する。
「実は……『シュザンナ』は世を忍ぶ仮の姿。本当の名前はシュゼットで、実はユベール閣下の婚約者でもあるのです!」
「ふわぁ~、すごいのね!」
「おい、騙されんなコレット! どう考えてもただの怪しい女だろ!!」
コレットの方は感嘆したように拍手を送ってくれたが、やはりアロイスは一筋縄ではいかないようだ。
あからさまに敵意を込めた視線で、シュゼットを睨みつけている。
「こいつはとんでもない悪女だ! アッシュヴィル家を破滅させにやってきたに決まってる!」
「おにいさま、『あくじょ』ってなぁに?」
幼い妹の純粋な疑問に、アロイスはうっと言葉に詰まったようだった。
「だから、それは……とにかく悪い奴なんだ! 悪いことばっかりするんだよ!」
「悪いことって?」
「えっと……そうだ! 男を手玉に取るって聞いたぞ!」
「おにいさま、『てだまにとる』ってなぁに? 一緒にお手玉してくれるの?」
「うっ、えっとそれは……」
純粋な妹にあまりよろしくないなことを教えたくないのか、それとも使用人の言葉をそのまま使っているだけでアロイス自身もよくわかっていないのか。
しどろもどろになる幼い少年の姿に、シュゼットは堪えきれずに吹き出してしまった。
「おいっ、笑うな!」
「だって、ふふ……いいですよ。今から一緒にお手玉をしましょうか?」
「くそっ……僕は認めないからな!」
「あっ」
アロイスは悔しそうに憤慨すると、タタッと部屋の外へと走り去ってしまった。
(まぁ……ここまでは想定内ね)
シュゼットも別に、急にアロイスが聞き分けの良い子になるとは思っていない。
当面の脅威は排除した。
ならば、これから少しずつ距離を縮めていけばいい。
「おにいさま、いっちゃった……」
寂しそうにそう呟くコレットに、シュゼットは優しく声をかける。
「大丈夫ですよ、お腹が空いたら戻ってきます。だって、コレット様はここにいるのですから、大事な妹を置いてどこかに行くはずはないでしょう?」
「そう、だよね……。ありがとうシュザンナ、じゃなくてシュゼット!」
「ふふ……」
前に会った時より格段に明るい表情を見せてくれるコレットに、シュゼットはやはり自分は間違ったことをしたわけではないと再認識した。
「あれからね、いいことばっかりなの。怖い人はいなくなって、優しい人ばっかりになったのよ! おやつだって毎日食べられるし、小さい頃に仲良くしてくれた人にもまた会えたんだもの!」
コレットは嬉しそうに、待遇が改善したことを教えてくれる。
シュゼットが横領事件を表ざたにしたことにより、ユベールは幼い兄妹周辺の使用人の総入れ替えを行った。
ユベールの采配には少し不安があったが、うまくいっているということはメイド長のイレーヌあたりに丸投げしたのかもしれない。
「それで……侯爵閣下――ユベール様とはお話されました?」
おそるおそるそう尋ねると、コレットはきょとんとした後……しっかりと頷いた。
「ユベール……おじさまのことね。えぇ、来てくれたわ」
「それは……! えっと、どんなことをお話されたんです?」
あの冷血漢なユベールも、やっと幼い兄妹と向き合う覚悟を決めたのだろうか。
ドキドキしながらそう尋ねるシュゼットに、コレットはにっこりと笑う。
「えっとね……おじさまは、『今まですまなかった、もう大丈夫』だって」
「おぉ……!」
意外とまともなことを言うユベールに、シュゼットは感心してしまった。
「それでね、おじさまは婚約なんてしなくてもいいって言ってくれたの!」
「それはよかったですね……! それで、他には?」
「えっと……それだけ」
「それだけ?」
今まで無関心だったことを詫び、もう大丈夫だと、婚約する必要はないと告げ……そこから、新たな一歩を踏み出すかと思っていたのだが――。
「……ちなみに、ユベール様は何回くらいこちらにいらっしゃいましたか?」
「一回だけよ。わたしと、おにいさまと、十分くらいお話ししてくれたの」
「一回だけぇ!? しかも十分!?」
(全然反省してないじゃない!)
シュゼットは内心でユベールを見直しかけたことを後悔した。
彼は改心したとみせかけて、全然変わっていなかったのだ!
(この調子だと、コレットはともかくアロイスの方には全然信用されてないわね……)
今度はユベールの首根っこを引っ掴んで連れてくるべきだろうか。
だが――。
(私だって、アロイス様に信頼されていないのは同じ。そんな私が仲を取り持とうとしたって、うまくいくはずがないわ)
まずは、あのやんちゃな少年を手懐けなければ。
待っていたってチャンスがやってくるとは限らない。
こちらか出向かなければ、あの子は心を開いてくれないだろう。
「コレットお嬢様、今日は天気もいいことですし……外で遊んじゃいましょう!」
「え? お勉強は?」
「たまにはこういう日があってもいいんです。まずは隠れているお兄様探しで、いかがです?」
そんなシュゼットの問いかけに、コレットはうろうろと視線を彷徨わせたのち……目を輝かせて頷いた。
「うん、行きたい……!」
「よし、決まりですね! それじゃあ出発!」
遠慮がちなコレットの手を取って、シュゼットは足取りも軽く歩き出した。