24 またしても婚約破棄かしら
突然現れたユベールに、シュゼットも、別館の使用人たちも凍り付いたように固まってしまった。
シュゼットですら、この展開は予想していなかった。
レアに頼んだのは、いざという時はメイド長のイレーヌを呼ぶことだ。
あのユベールであれば、使用人のいざこざになどに興味を示すはずもないと思っていたのだが……。
(そんな、どうして侯爵閣下本人が……)
ユベールはそんな彼らに冷たい視線を送り……驚くシュゼットと視線が合うと、露骨に顔をしかめる。
「……いったい何をしているんですか、あなたは」
額を抑え大きくため息をつくユベールに、シュゼットは少しだけ今の自分の格好が恥ずかしくなった。
なにしろ一応は彼の妻――アッシュヴィル侯爵夫人だというのに、今のシュゼットは思いっきり下級使用人のスタイルなのだから。
だが、恥じらっている時間などない。
ユベールがわざわざやって来てくれたのなら、手間が省けたと考えなくては。
シュゼットは気を落ち着かせるように息を吸い、ユベールの方へと向き直る。
「こんな格好で失礼いたします、侯爵閣下。なにしろ、使用人の不正を調べていたものですから」
「不正……?」
「えぇ、別館の使用人たちによる、長期にわたる横領です」
シュゼットがそう口にした途端、ユベールの登場に呆気に取られていた使用人たちがぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。
「いきなり何を言い出すの!」
「とんでもない濡れ衣だわ!」
「侯爵閣下、このような怪しい女の嘘を信じてはなりません! 彼女こそが、侯爵家を陥れようとしているスパイなのですわ!」
シュゼットは少しだけどきりとした。
もちろん、シュゼットはスパイでも侯爵家を陥れようとしているわけでもないのだが……最近この家に来たばかりのシュゼットと、昔から侯爵家に仕える使用人。
万が一、ユベールが使用人たちの言うことを信じてしまったら……。
だが、シュゼットの心配は杞憂に終わった。
ユベールは冷めた目で騒ぐ使用人たちを見据え、呆れたように吐き捨てる。
「……仮にも、私の婚約者をスパイ呼ばわりとは。アッシュヴィル家に仕える身であれば、未来の侯爵夫人の顔くらい覚えておくといい」
「え? 侯爵夫人……え?」
ユベールとシュゼットの顔を交互に眺めていた使用人たちの顔が、だんだんと蒼白になっていく。
だがシュゼットは、そんな使用人たちの様子よりも先ほどのユベールの言葉に動揺していた。
(わ、私の婚約者……? 侯爵閣下、一応は私のこと結婚相手だと思ってくれていたんだ……)
あまりにもつれなさすぎて、もうシュゼットのことなど忘れてしまったのかと思っていたほどだが……そんなことはなかった。
ユベールはしっかりとシュゼットのことを自らの婚約者。ゆくゆくは侯爵夫人になる存在だと認識してくれていたのだ。
(……っていやいや! そんなの当たり前だから! この契約結婚じたい侯爵閣下から持ち掛けられたんだから当然よ!)
うっかりぼんやりしかけたシュゼットだが、慌てて思考を現実へと切り替える。
「この者たちはアロイス様とコレット様のために作られたデザートを、彼らに提供することなく自分たちの腹に収めていたのです。私が確認したのはデザートのみですが、他にも同様の行為を行っている可能性がございます」
「黙りなさい!」
ついに使用人の一人がシュゼットにつかみかかろうとする。
だが、割って入るようにそれを制したのはユベールだった。
「……証拠は、あるのですか」
「私が先ほどこの目で確認いたしました。本館の厨房の使用人たちと、アロイス様、コレット様へ話を聞いていただければ矛盾が露になるはずです」
「なによ……たかがデザート一つでこんなに騒いで馬鹿じゃないの!? くっだらない!」
自暴自棄になったのが、誤魔化そうとしているのか、使用人が大声でそう喚いた。
……ユベールは何も言わない。
そんな彼に訴えかけるように、真っすぐにユベールの顔を見上げ、シュゼットは続ける。
「侯爵閣下、この者たちは横領という行為以上に、アロイス様とコレット様の心を、尊厳を踏みにじっております。私は、それが我慢できません」
シュゼットの訴えを聞き、ユベールはしばし無言で思案した後……大きくため息をついた。
まさか、使用人たちが言うようにに「デザート一つで騒いでくだらない」などと考えているのだろうか。
そう危惧し、シュゼットは焦ったが――。
「……イレーヌ」
「はい、侯爵閣下」
「警備兵を集め、この者たちを拘束しろ。同時に、治安隊へ連絡を。罪人を捕らえたので、しかるべき対処を行いたいと」
「承知いたしました」
「なっ……!?」
慌てる使用人たちを一瞥し、ユベールは吐き捨てる。
「たとえデザート一つと言えど、アッシュヴィル侯爵家の財を奪った報いは受けてもらう。呪うなら己の愚かな行為を呪うといい」
「そんな……」
顔を青くした使用人たちは、へなへなとその場に崩れ落ちた。
こういった揉め事は、醜聞を嫌う貴族の采配により内々で処理されることも多い。
だがユベールは、処断を司法に委ねることにしたのだ。
……彼女たちは公に罪人として扱われることとなる。
もちろん同情なんてしないが、シュゼットはユベールのその判断を少々以外に思った。
「こちらです。この者たちを拘束して――」
イレーヌの指示を受けたレアが警備兵を連れてきて、一気に場が慌ただしくなった。
こうなると、一応はユベールの婚約者であるシュゼットがここにいるのはまずいだろう。
シュゼットはそろそろとその場を後にしようとしたが――。
「待ってください」
背後から声をかけられ、シュゼットはぎくりと足を止める。
おそるおそる振り返ると、ユベールが感情の読めない目でこちらを見据えていた。
「あなたにはまだ話があります。私と共に来てください」
「…………はい」
シュゼットは観念して頷いた。
幼い兄妹のためとはいえ、シュゼットのしたことは少々……いや、かなり常軌を逸脱した行為だったかもしれない。
的確に証拠を掴んで、ユベールにはシュゼットの暗躍を悟られないように事態を解決してもらおうと考えていたのだが……まさかこんなことになってしまうとは。
(はぁ……またしても婚約破棄かしら)
「金と地位は与えるからおとなしくしていろ」と約束した婚約者が、こっそり使用人に紛れて探偵まがいのことをしていたなんて、ユベールからすれば一発で婚約破棄相当の奇行にあたるかもしれない。
……シュゼットは自分の行いを後悔しているわけではない。
兄妹のあんな状況を目の当たりにしながら、黙っていることなどできるはずがなかったのだ。
だが、もう少し……穏便な方法もあったかもしれない。いまさらそんなことを考えても、後の祭りだが。
しおしおと元気なく、シュゼットは一定の速度で歩みを進めるユベールの背を追った。