15 本当、呆れる
「まったく……あれで侯爵家の嫡子なんて信じられない……」
「あの、何かございましたか?」
いかにも何も知らないという体で声をかけると、その女性も誰かに聞いてほしかったのだろう。
堰を切ったように話し始めた。
「何かあったも何も、アロイス様ときたら話を聞くつもりもないし、口汚いし、まったく授業にならないのよ! 侯爵家の家庭教師だっていうから喜んできたのに、もう十人以上も教師が変わっているのにも納得ね! 私も近いうちに辞めさせてもらうわ……!」
「まぁ……」
不満をあらわにする女性に、シュゼットは同情した。
(どうやら、態度がひどいのは私に対してだけじゃないみたいね)
話を聞いていくと、彼女はアロイスの家庭教師として雇われたのだが、アロイスはまったくいうことを聞かず彼女の手に負えないらしい。
本を投げる、バナナの皮を仕掛けて教師を転ばさせようとする、授業をボイコットすることなどしょっちゅうなのだとか……。
雇用主であるユベールに陳情したこともあるのだが、「そこをなんとかしていくのが家庭教師の仕事でしょう」と取り合ってもらえなかったのだとか。
(本当、呆れるわ……)
ユベールの放置っぷりに、シュゼットは思わずため息をついてしまった。
やはり、思った通り……いや、思った以上に状況はよろしくないようだ。
(何とかしてあげたいけど……あまり大胆に動くと不審に思われそうね)
シュゼットの行動がユベールの耳に入り、別館への立ち入りを禁じられてしまえばそれまでだ。
慎重に、確実に、詰めていかなくては。
悲嘆に暮れる家庭教師に慰めの言葉をかけ、シュゼットはその場を後にする。
「……よし。じゃあ約束通り厠の掃除をして帰りましょうか」
「奥さ――シュザンナにそんなことはさせられません! ここは私が――」
「何言ってるの。私の得意技だから任せておいて」
慌てて止めようとするレアを制し、シュゼットはうきうきとモップを手に取った。
シュゼットは家計を助けるために、今までいくつもの職場で働いてきた。
掃除というのはどこの職場でも基本中の基本の業務。
シュゼットにとっては、侯爵夫人の優雅な生活などよりもよほど身近なものだった。
手慣れた手つきで掃除を進めていくシュゼットに、レアは驚いたように目を丸くしている。
「すごいです、奥様! 貴族の女性でいらっしゃるのに、まるで掃除のスペシャリストのよう……」
「あはは……やっぱり奥様をクビになったらメイドとして働いていけそうね」
果たしてそんな日が来るのかはわからないが、案外うまくいくかもしれない。
そんなことを考えながら仕事をこなし……ピカピカになった厠を前に、シュゼットは満足のため息をついた。
「いい感じね。これからも厠の掃除が必要でしたらすぐにお呼びくださいと、こちらの使用人に伝えてもらえるかしら」
「はい!」
アロイスのコレットの問題は、一朝一夕で解決できるようなものではないだろう。
だからこそ、こうして地道に(使用人のシュザンナとして)信用を得て、別館をうろついていても不審に思われないような体制を構築しなければ。
最後に窓際に花を飾り、シュゼットは自然とユベールのことを頭に思い描いていた。