11 引き下がってなんてあげない
「あの……世継ぎを産む必要がないというのは、あの子がいるから……?」
「その通りです。元々跡継ぎの予定だった兄の長子なのだから、僕の次に後を継ぐのは自然なことです」
こういう場合は何が何でも自分の子を跡継ぎに……と策略を巡らせているのかと思えば、ユベールはそっちの方面については驚くほど欲がないようだった。
(……やっぱり、地位や財産目当てで父親や兄を殺したようには見えないのよね)
あの子が侯爵家の跡取りになるというのならそれでいい。
シュゼットが口を挟む権利もないだろう。
だが……。
(本当に大丈夫なの? いきなり泥団子を投げつけてくるなんて、ロジェでもやらなかったわ……!)
名門侯爵家の跡取りともなれば、子供のころからそれなりの品格が求められるものではないのだろうか。
だがあの子供ときたら、末端貴族のシュゼットですら驚くほどの悪ガキっぷりだ。
レアが「坊ちゃま」と呼ばなければ、その辺の市井の子どもが入り込んだのかと疑うくらいだった。
(いやだめでしょ、あれは……)
この屋敷の中だけなら、たいした問題にはならないかもしれない。
だが将来、侯爵家の代表として社交界に出ることになった際に……苦労をするのはあの子供なのだ。
社交界で一度悪評が立てば、瞬く間に広まってしまう。
いわれなき行動で「悪女」と呼ばれたシュゼットだからこそわかる。
あの子があのまま社交界に出れば、きっととんでもないことになってしまうだろう。
果たしてユベールは、そのあたりのことをちゃんとわかっているのだろうか……?
「差し出がましいようですが……侯爵閣下。あの年頃の子どもにしては……少し、やんちゃがすぎるのではないでしょうか。私は遭遇した途端に泥団子を投げつけられました。侯爵家の跡取りとなるのが決まっているのであれば、もう少し落ち着きを――」
「あなたには関係ありません」
言葉の途中で、ユベールはシュゼットのおせっかいをぴしゃりと跳ねのけた。
常に感情の読めないポーカーフェイスな彼には珍しく、その表情は不快感をあらわにしていた。
「教育は家庭教師の仕事です。あなたの衣服を汚したというのなら、好きなだけ新しいものを買ってください。先ほども言った通り、あの子は本館には来ないので別館に近寄らなければあなたにとって何の問題もないはずです。それでは、失礼いたします」
早口でそれだけまくしたてると、ユベールはいささか乱暴な足取りで部屋を出て行った。
シュゼットは驚きのあまり、ぽかんと彼が出ていくのを見送ることしかできなかった。
どうやらシュゼットの提言は、ユベールの機嫌を損ねてしまったようだ。
だがふつふつと湧き上がっていくのは彼の機嫌を損ねてしまった恐怖ではなく……純然とした怒りだった。
(何よあの言い方! 確かに私は部外者よ? 雇われただけの存在よ? だからって、あんな言い方しなくてもいいじゃない!!)
ユベールはシュゼットを大人しくさせようとあんなことを言ったのかもしれないが、その行動は逆にシュゼットの心に火をつけてしまった。
(絶対、このまま引き下がってなんてあげないんだから……!)
ユベールは「あの子どもと顔をあわせたくないなら別館に近づくな」と言っていた。
だが逆を返せば、別館に――ひいてはあの子どもに近づくこと自体は禁止されていない。
(どうせ暇を持て余しているんだもの。やれるだけやってみるわ)
ユベールへの反発心ももちろんある。
だが、何よりも――。
(侯爵家の跡取りが、あんな状態で放置されてるなんておかしいじゃない……)
シュゼットやきょうだいたちは、悪いことをすれば両親やメイドのマノンに叱られて育ってきた。
人はそうやって、善悪や状況判断を身に着けていくものではないのだろうか。
あの子どもがどんな状況に置かれているのかはわからない。
だが先ほどのユベールの態度を見る限り……あまり、良い状況だとは思えないのだ。
(まずは、情報収集ね)
さっそく行動に移ろうと、シュゼットは立ち上がった。