1 最悪の裏切り
「見損なったよシュゼット、まさか君がそんなにふしだらな女性だったとは」
婚約者は少しもこちらを心配することなく、蔑んだ目でそう告げた。
その言葉を聞いた途端、シュゼットは理解する。
(…………嵌められたのね)
もうすぐ結婚するはずだった婚約者にも。
その隣に寄り添う親友だったはずの少女にも。
シュゼットは裏切られた……いや、ずっと前から裏切られていたのだ。
一瞬で、そう悟るほかはなかった。
シュゼット・マリシェールは貧乏子爵家の長女として生を受けた。
吹けば飛ぶような、それこそ平民に毛が生えた程度の名ばかり貴族だったが、家族には恵まれていた。
明るくお調子者の父に、厳しくも優しい母。少し生意気だけど可愛い弟や妹たち。
特に弟のロジェは幼い頃から周囲が舌を巻くほどの優秀な少年だった。
「もしかしたらロジェは、将来大成するかもしれないな」
父のその言葉に、シュゼットは何としても可愛い弟に勉学の機会を与えようと決意したのだ。
優しいロジェは家族を養うために、少しでも早く働くというだろう。
だがそれでは駄目なのだ。彼の可能性を潰したくない。金銭の工面が必要なら、シュゼットが身を粉にして働けばいいだけだ。
そうして、シュゼットは貴族令嬢でありながらいくつもの仕事を掛け持ちして必死に働いた。
そこで、彼に出会ったのだ。
「……君は、向こうの通りの花屋でも働いていなかったか?」
小さな喫茶店で給仕として働いている時に、不意に常連の一人にそう声をかけられた。
「はい。こちらのお店では週に三日。向こうは週に二日ほど働かせていただいております」
「なんと……その勤勉さは、俺も見習わなければならないな」
そう言って微笑む若き騎士に、シュゼットの胸は高鳴った。
それが、二人の馴れ初めだった。
ニコル・フロベールは宮廷騎士団に所属する将来有望な青年だ。
シュゼットとニコルはすぐに意気投合し、親しくなった。
年頃の二人が婚約までたどり着くのにも、そう時間はかからなかった。
シュゼットは幸せだった。この先もずっと幸せが続いていくのだと信じて疑わなかった。
そんな時、親友の男爵令嬢――メラニーが屋敷へ訪ねてきた。
「もう、シュゼットったら水臭いじゃない。その婚約者さんのこと、親友である私にも紹介してくれるでしょう?」
メラニーは裕福な男爵家の一人娘で、シュゼットの数少ない友人だった。
いつも流行の最先端のドレスを身に纏い、その愛らしい微笑みは誰をも魅了し、多くの者を虜にするような女性だ。
「シュゼットは大変ね。そんな風に働かないといけないなんて」
「またそのドレスを着てるの? 流行遅れだって馬鹿にされちゃうわよ」
「今度の舞踏会、一緒に来てくれない? シュゼットがいてくれると安心できるの」
シュゼットはいつもお洒落で洗練されたメラニーに憧れていた。
彼女がことあるごとに自分を誘ってくれるのは、親友だからだと思っていた。
……心の底では馬鹿にされていたのだと、引き立て役として傍に置いておきたかっただけなのだと、気づくことができなかった。
やがて、シュゼットは婚約者となったニコルを親友であるメラニーに紹介した。
……それが、間違いだったのかもしれない。
「初めましてニコル様。シュゼットの親友のメラニーです。まぁ……聞いていた以上に素敵な方……」
愛らしいメラニーに微笑みを向けられ、ニコルは戸惑いつつも嬉しそうな表情を隠しきれていなかった。
シュゼットも親友と婚約者が仲良くなってくれたようで嬉しかった。
だがそれを機に……ニコルはだんだんとシュゼットに対してよそよそしい態度を取るようになっていった。
「悪い、仕事が忙しいんだ」
「俺のことが信じられないのか?」
「君の仕事とは責任の重さが違うんだよ。軽々しく『会いたい』なんて俺を困らせないでくれ」
シュゼットは我慢した。
彼が自分と結婚するために頑張ってくれているのだと自分に言い聞かせ、寂しさや不安を押し殺そうとした。
そして、久しぶりに一緒に参加することになった舞踏会で。
大々的に二人の婚約を皆に知らせるはずだったその日に。
シュゼットは「相談がある」とメラニーに人気のない場所に呼び出されていた。
(メラニー……いったいどうしたのかしら)
心配しながら約束の場を訪れたが、そこには誰もいなかった。
不審に思ったシュゼットが周囲を見回していると――。
「へぇ……あんた男に飢えているんだって?」
背後からそう声がしたかと思うと、見知らぬ男に背後から抱きすくめられていた。
「誰っ……!?」
シュゼットは慌てて背後を振り返り、相手が見知らぬ人間であるのを確認すると……とっさに相手のみぞおちに向かって渾身の力で肘打ちをした。
「うぐっ……!」
まさか反撃されるとは思っていなかったのか、相手の男はうめき声をあげシュゼットを抱きすくめていた腕の力が緩む。
その隙にシュゼットは相手の腕から抜け出した。
「くそっ、聞いてたのと違うだろ……!」
訳のわからないことを言いながら、相手は更にこちらへ手を伸ばしてくる。
慌てたシュゼットは、渾身の力で男性の急所を蹴り上げた。
声にならない悲鳴を上げて崩れ落ちる相手に背を向け、必死にその場から逃げ出す。
(ニコル、ニコル……!)
ニコルに慰めて欲しかった。もう大丈夫だと、安心させてほしかった。
だが、舞踏会の場に戻ったシュゼットを待っていたのは……「シュゼットが知らない男性と不貞を働いていた」と声高に主張する第三者と、冷たい目でこちらを糾弾するニコルとメラニーだった。
「ひどいわシュゼット……ニコル様のような立派な方と婚約しておきながら、浮気だなんて……」
「君には失望したよ、シュゼット。悪いが君との婚約は破棄させてもらう」
――親友に「秘密の相談がある」と呼び出されたことも。
――その言葉を信じて赴いたら知らない男性に襲われかけたことも。
――なんとか撃退したが、その現場を見ていた者が「シュゼットが不貞を働いていた」と証言したことも。
――……婚約者と親友が、寄り添うようにしてこちらを非難していることも。
いつからそうなっていたのかはわからない。
だがすべては……シュゼットが知らない間に仕組まれていたことだったのだ。
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