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独りぼっちの卒業旅行

作者: 加茂晶

 シャルルドゴール空港から飛び立ったジェット機は、機体を傾けつつ旋回している。日本へと舵を切っているのだろう。傾いた機体の下に街の灯りが群れて燦めいているのが、窓を通して見えた。日本の夜景よりも暖かく感じるのは、灯りの色が違うせいだろうか?


 だが、私の心は冷え切っていた。大学卒業後にフランスへの旅を約束していた友人が、昨年突然亡くなったのだ。それも、何らかの犯罪に巻き込まれたらしい。

 彼女とは大学のクラスメートで、いつもSNSで連絡を取っていた。だが、ある日に限って連絡が取れなかった。その時は急ぎの話も無かったので放置していた。ところがその翌日、自宅に二人の私服警官がやって来たのだ。一人は若く丁寧に挨拶して来たが、その背後にいた中年の警官は横柄態度で挨拶もせずに私を睨んでいた。

 警察手帳を提示した彼らの内、若く丁寧な方から彼女の不審死を伝えられ、私の過去数日間の行動を尋ねられたのだ。きっと、私は「容疑者」の一人だったのだろう。大学のクラスでは、彼女の行方を誰も知らず、ちょっとした騒ぎになった。しかし「容疑者」にされた私は、彼女の不審死の話を大学のクラスメートに語る気もせず、前からおしえられていた彼女の実家にも連絡を取る気がしなかった。


 機内は満席。エコノミークラスのシートは、一列が三席ずつ三ブロックの構成になっている。私の席は右側のブロックにあり、右側すなわち窓側には東洋人の女性が、その反対の通路側には東洋人の男性が座っている。二人とも三十歳位だろうか?その二人に挟まれながら、私の意識は一人旅の疲れで消えそうになった。


 もう眠ってしまいそうになったその時、機内サービスが始まり、キャビンアテンダントからメニューを選ぶように言われた。そうなると、俄然空腹感が優って眠気は失せた。

 夕食後、すっかりリラックスした私はワインを一杯頼んだ。これを飲んだら眠るだけ。目が覚めたら、羽田空港まで何時間もかからないだろう。

 そう思った気の緩みからか、キャビンアテンダントから渡されたワインは、私の手から滑り落ちた。その後、左隣の男性客にワインが降り注がれるまで時間を非常に長く感じたが、それを阻止することはできなかった。

 男性がどこの国の人かも知れないのに、咄嗟に、

「すみません!!クリーニング代は弁償させていただきます。」

と声に出してしまった。すると、

「まあ、落ち着いてください。」

と、男性客から穏やかな日本語が返って来た。

 せめて服に染み込まない内に拭き取らなければ。そう思った私は、慌ててハンカチで男性のジャケットを拭き始めた。

「本当に大丈夫ですから。」

男性はそう言うと、通りかかった女性のキャビンアテンダントに小声で何かを頼んだ。直ぐに戻って来た彼女はタオルを、彼女の同僚はもう一杯のワインを持ってきた。

 男性はキャビンアテンダントからワインを受け取ると、

「貴女のワインは私の服が飲んでしまったので、これをどうぞ。」

と言って、私に差し出した。

「ど、どうもありがとうございます。」

私は少しドギマギしつつ、それを受け取った。

 彼はその後、自分自身でワインを拭き取ると、パソコンを取り出して何やら作業を始めてしまった。彼の作業を邪魔するのも悪いと思い、彼の様子を横目に見ながらワインを飲み干した。


 それから何時間経ったのだろう?気付くと私はすっかり眠っていたようだ。機内のモニタには、既に日本の地図が映されていた。

 ふと左隣を見ると、彼がパソコンのディスプレイから眼を離して、こちらを見た。

「お目覚めになりましたね。山内(やまうち)さん。」

えっ、どうして彼は私の名前を知っているんだろう?そう思っていると、

「あっ、失礼しました。昨夜、貴女のハンカチに刺繍されていたのを見たもので。間違えてますか?」

私は首を振った。

 間違えていないけど、少し恥ずかしい。いや、何か失礼な男だ。いやいや、とても気がきくステキな男性だ。色々な感情が湧き上がり、自分が何を考えているのか分からなくなった。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼は唐突にこう切り出した。

「それでは、少しずつ貴女のモヤモヤを少し解きほぐして差し上げましょう。」

「えっ?」

彼が何を言っているのか、さっぱり分からない。


 私の当惑を無視するように、彼は語り始めた。

「一年と一か月前のことです。貴女の友人が、あるバイトを始めました。」

彼の言葉に被せるように、機内アナウンスが鳴った。

「当機は、あと十五分程で東京国際空港に着陸します。」

 機内アナウンスが終わると、彼は私の顔を見ながら小声で言った。

「ちょっと、貴女の指輪を貸していただけませんか?」

それは、亡くなった友人が死の直前に送ってきたらしく、およそ一年前に届いたものだった。指輪だけが送られて来て、何の手紙も説明もなかった。そこで、一緒にフランスを巡れなくなった彼女の代わりに、その指輪を身につけていたのだ。

 私は少し躊躇したが、昨夜の不始末もあり、結局彼に手渡した。彼は指輪を手にすると、話を続けた。

「そこで彼女は知ってしまったのです。そのバイト先の秘密を。」

 私は思わず彼の顔を見た。この人は何を言っているんだろう?初対面の私に対して、私の友人のアルバイトの話をするなんて。それに、何の根拠があってそんな事を言うのだ。

 当惑する私を無視して、彼の説明は続いた。

「彼女は身の危険を感じて、保険をかけたのでしょう。」

「保険って?」

「会社の情報です。何かあった時に真実が闇に葬られないようにしたかったのではないでしょうか?」

 唐突な話だし、第一彼女は亡くなって一年も経つのだ。だから彼に、

「何の事かさっぱり分かりません。仮に貴方の言う通りだったとしても、彼女が亡くなって一年も経つのですよ?今更、どうにもならないでしょう?」

と言うと、彼は首を振った。


 窓の外が急に暗くなった。ジェット機が雲海を潜行し、雲の下に出たのだ。やがて機体は傾きつつ旋回した。水面が見える。羽田空港は近い。

 その後も彼は何かを語りかけたようだが、ジェット機のエンジン音が大きくなったので、全く聞こえなかった。ふと窓から外を見ようとすると、窓側の右隣の女性が私の方を見ていた。女性は少し固い表情をしているように見えた。

 ランディング後、機内は静かになった。やがて、ボーディングブリッジが接続され機体のドアが開くと、彼は一言だけ言った。

「私に続いて、速やかに飛行機から降りてください。」

 言いたい事や尋ねたい事はあったが、その時の彼の表情は何故か厳しく、質問や反論を許さなかった。それに、友人から贈られた指輪をまだ返してもらっていない。とりあえず、危険を感じない範囲で、彼の言葉に従うことにした。

 彼に続いて飛行機を降りると、そのまま空港のラウンジに連れて行かれた。彼が受け付けで何かを話すと、プライベートルームに通された。そこには、以前自宅に来た二人の警官のうち、横柄な方がいた。


 警官は私には目もくれず、先ほどまで隣の席にいた男性に握手を求めた。

「貴方が時宮(ときみや)先生ですか?私は警部の加納(かのう)です。上の方から話は聞きましたよ。何でも、例の女子大生殺人事件を解決されたのだとか?」

「時宮先生」は差し出された手を取ると、加納警部の問いに答えた。

「いや、まだ解決した訳じゃ無いですよ。でも、行平(ゆきひら)さんは中野智花(なかのともか)を逮捕されたはずなので、時間の問題でしょう。」

 「女子大生殺人事件」って、友人の滝川翔子(たきがわしょうこ)が亡くなった事と関係があるのだろうか?それに、「行平さん」と言う人が加納警部の上司で「時宮先生」の知り合いなのだろうか?

 そんな私の疑問には二人とも答えてくれないまま、話が進んでいく。

「中野って誰です?」

「行平さんは加納さんには説明されて無いんですね?」

「ああ。何しろ、一時間前に羽田空港へ行って先生と会うように命令されたばかりなので。」

 時宮先生は加納警部を向いて頷くと、今度は私の方を見て言った。

「お待たせしました。説明が遅くなりすみません。何しろ、いろいろと問題があったのです。」

今度は、私が時宮先生を向いて頷く。


 すると、時宮先生が説明を始めた。

「発端は、山内さんのご友人の滝川さんが、一年と一か月前にアルバイトを始めたことでした。アルバイト先の会社の名前は徳洲商事(とくしゅうしょうじ)。」

「翔子から、その会社の名前を聞いたことがあります。徳洲商事で経営しているコーヒーショップで働くことになったとかって、言ってました。翔子がバイトを始めた頃には、誘われたこともあります。」

私が答えると、時宮先生は頷いた。

「徳洲商事には裏の顔があって、麻薬の裏取引をしているのです。そして、滝川さんはそのことを知ってしまったようです。一方、徳洲商事側も滝川さんに秘密が漏れたことを疑い始めたのです。」

 加納警部はそれを聞くと、

「我々でも知らないそんな情報を、何で貴方がご存じなんですか?」

と不満そうに言った。それに対して時宮先生は、

「半分は私の推測です。ですが、間違いは無いでしょうから、続けます。滝川さんは、徳洲商事の社員である中野智花が麻薬取引をしている様子を偶然見てしまったのです。」

加納警部はますます不機嫌そうだ。

 だが、時宮先生がそれを気にするそぶりは無く、話を続ける。

「その時、中野智花も滝川さんの姿を見ていたのです。そして、二人は滝川さんのバイト先のコーヒーショップで出会った。中野智花は徳洲商事の社員として、滝川さんはアルバイト店員として。」

 加納警部はついにキレた。

「どうして、あんたにそんなことがわかる?与太話に付き合うのは、もう結構。」

席を立とうとした加納警部を、年下と思われる時宮先生が宥めた。

「証拠はあるのですから、もう少しお待ちください。」

「証拠だと?」

 いきりたつ加納警部に時宮准教授が見せたのは、私の指輪だった。

「これが何だかわかりますか?」

「指輪だろう?」

 時宮准教授は首を振る。

「見かけはそうですが、本物の装飾品ではありません。中身は、メモリ付きの小型カメラとマイクに、ブルートゥースの送受信装置と体温発電チップを付けたものです。パーツはネット通販で買えますよ。組み合わせて機能を発揮させるには、それなりの知識が必要ですが。」

「だから何だというのだ?」

「だから、ここに徳洲商事の秘密の帳票データと、中野智花の麻薬取引時の動画、滝川さんのバイト先であるコーヒーショップの店員の会話が収められていたのです。」

 今度は私が驚いた。

「どうして、私の指輪にそんな情報があるってわかったんですか?」

「昨日、私にこぼしたワインを拭いてくれた時、貴方の指輪を見てすぐに気付きました。しかも、その指輪を嵌めたまま濡れたものを拭こうとされていたので、指輪の正体をご存知無いこともね。その指輪の防水性能は良く無いので、あまり濡らしてしまうと壊れてしまうかもしれませんので。」

「それでも、私の指輪の情報まではわからないはずでは?」

「それは、貴女の名前です。」

「どういうことですか?」

「通信のパスワードは、貴女の名前だったのです。”yamauchi”ってね。あとは簡単です。パソコンで情報を確認して犯罪に関わっていることがわかったので、旧知の行平さんと連絡を取りました。」

 昨夜、時宮先生がパソコンでやっていた作業は、情報の確認と警察の人との連絡だったのか。ようやく理解できた。そこで、私も指輪について説明した。

「この指輪は、翔子が亡くなって一週間くらいしてから自宅に届きました。何の説明もなく手紙も無かったので、私は単に形見だと思っていました。」

「一つには、信頼する山内さんに重要な情報を預けたかったのだと思います。それともう一つ、貴女には危険な組織や人物から離れて欲しかったのではと思います。」

私は翔子の姿、立ち居振る舞いを思い出しながら頷いた。

 加納警部は腑に落ちた表情で、時宮先生に話しかけた。

「先ほどは失礼しました。警察関係者では無い先生が、関係者のみが知りうる情報をよくご存知だったので、つい…。」

「私には警察関係の知人がいろいろおりますから、わかります。お気になさらないよう。」

時宮先生は気にせずに言ったようだが、却って加納警部には苦い言葉だったのではないか、と私は思った。

 加納警部はさらに続けた。

「それでは、中野智花の逮捕について、行平警視監とどのような話になっているのでしょうか?」

「ご存知のように、私と山内さんは先ほどフランスから到着した便に乗っていました。共に、エコノミークラスの右側のブロックの同じ列で、私は通路側、山内さんは真ん中で隣同士でした。」

加納警部と私は、時宮先生の言葉にいちいち頷いた。

「そして、山内さんの右隣の窓際の席には、中野智花が座っていたのです。山内さんに事のあらましを話し始めて、その隣に動画で見たばかりの中野智花の姿を見た時には、私も驚きました。」

 ランディング中に私を見ていたあの女性が、中野智花だったのか。時宮先生は話を続けた。

「そこで私は、行平さんに中野智花を確保するよう、お願いしました。同時に、山内さんから指輪を受け取り、可能な限り早く中野智花から離れた次第です。」

機内で時宮先生に言われたように、私のモヤモヤはかなり解消した。


 だが一点だけ、知りたくは無いが、友人として知っておかねばと思ったことがある。そこで、時宮先生ではなく加納警部の方へ向き直って尋ねた。

「翔子は、どんなふうに亡くなったのですか?」

「貴女が被害者から秘密を打ち明けられたほど親密な友人だから、お教えしましょう。彼女の死因は、薬物を投与されたことです。通常なら薬物中毒になっても、死ぬことは無かった程度だと聞いています。でも、何らかのアレルギー症状が発生してアナフィラキシーショックを起こして亡くなったようです。」

「薬物中毒になる程度の薬物投与ですって?」

「そうです。今考えると、徳洲商事は滝川さんを薬物中毒にしてコントロールしたかったのだと思います。さらには、その友人の貴女達も取り込もうと考えたのかも知れません。」

その予想が当たっていれば、私も狙われていた可能性があったのだ。翔子は緊迫した状況の中、徳州商事に知られないように私に情報を託したのだろう。

 加納刑事は話を続けた。

「山内さんのことは、滝川さんの親しいご友人としてご両親にもお伝えしたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

「よろしくお願いします。」

私は素直に頭を下げた。


 時宮先生と加納警部との話を終えて空港の外に出ると、眩しい陽の光の中、飛び交うジェット機の轟音が聞こえて来た。綿菓子のような雲が空に浮かんでいるのを見ながら、祥子と過ごした日々を思い出した。大学で初めて出会った日のこと、一緒に遊んだ時のこと、酒癖の悪い彼女に彼氏の愚痴を聞かされた時のこと、喧嘩した時のこと、そしてフランスへ旅行しようと語り合った時のこと…。

 彼女が亡くなって以来、私の心はずっと暗く閉ざされていた。しかし、彼女と約束したフランスへの卒業旅行を終えて、ようやく私の心に陽光が射したような気がする。近いうちに墓参りをして、フランス旅行や近況の報告をしようと思う。

お読みいただき、ありがとうございました。

本作品中の「時宮先生」は、「フォンノイマンのレクイエム」中の「時宮良路准教授」と同一人物の設定です。

よろしければ、「フォンノイマンのレクイエム」もお読みいただけると幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 物語の導入から、秘密が明かされていくまでの流れがとても良いなと思いました。
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