狼が唄う後奏曲
どうして、楽しい時間っていうのはこうも簡単に過ぎていってしまうのだろう。
今、私はそれを現在進行形で体験している。
私達は温泉旅行に来ていた。
のんびりと町を回った。疲れたら温泉に入ったりもした。
楽しいと感じた、純粋に楽しかった。
時間が過ぎた、気がつけば…夜だった。
「やっぱり温泉かな、自分じゃよくわからないんだけど周りからよく温泉って言われる。ちなみに彼はお風呂って言われる」
「…何を言ってるのかさっぱりなんですが」
温泉で独り言を喋っていると、向こう側から声がした。
「…永劫か」
「そうですけど…一体なんの話をしてたんです?」
「話もなにも、独り言」
「随分と特殊な独り言ですね…」
「わかる」
「…それにしても先輩」
「なにー?」
「…体調、大丈夫でしたか?」
「………なんのこと?」
「後ろから見た先輩、なんだか頼りなく感じましてね」
「頼りないとは失礼だなー」
「そのままの意味です。弱っているような…それに、足も引きずっていたような」
「……見間違いでしょ。私がおかしいというより、貴方がおかしいんじゃないの?」
「先輩の方が失礼なんじゃないですかね?」
しばらくして、私は立ち上がる。
「あがるんですか?」
「のぼせそうだから」
「先輩、最後に一つ」
「なに?」
「きついと感じたら、頼ってください」
永劫は小さな声で言う、その返答に私は
「……………無理、だよ」
そう答えておいた。
中々、勘の鋭い人だこと。私は夜風を浴びてそう思う。
「……本当に、勘の鋭い人だ」
私は足を引きずりながら歩く。ひっそりと、だが確実にその歩を進める。
なんとかして、ここまで生きてきたけれど
「きついなぁ………」
もう、私の身体はボロボロだった。
春休み中、ろくに動かなかった。ずっと、ベッドの上で過ごしていた。でも、今日だけは……みんなと楽しみたかった。
でも、永劫には気づかれていた。私の体調が優れていないことに。頑張って、振る舞ってはいたけれど、もう限界みたいだなぁ………
自分の終わりは、自分がよくわかる。きっと、私に明日は訪れない。私は明日を拝むことができない。桜を見ることさえも………
「桜は……見たかった…な…」
「どこに」
もう少し生きたい、そう言おうとした時だった。
「どこに、行くつもりなの」
背後から声がして、思わず振り向く。そこに居たのは、ロンだった。
「あはは、散歩だよ散歩」
苦笑いをしながらそう答えた。
「お散歩?じゃあ僕も一緒に行く」
「いいよ」
そうして、姉弟で仲良く散歩をする。会話はしないまま、のんびりと。
「…ねぇ」
「ん?」
「僕が嘘が嫌いなの、知ってるよね?」
「うん、貴方の性格上嘘は…ね」
「だからさ、嘘を吐かずに答えてほしいんだけど」
「…なに?」
「僕…いや、みんなに隠してることとか、ないよね?」
「ないよ」
私も嘘つきになったものだ、息をするように嘘がこの口から出てくる。
「本当に?」
「私が貴方に嘘ついたことある?」
「あるよ」
「…え?」
「嘘をつくとき、お姉ちゃんの瞼がピクピクするの。いつもそう、それがお姉ちゃんの癖。今までは、あえて言わなかった、隠したいことがあるんだろうって思ってたから。でも、見過ごしてたら消えたんだ。霞隠れをするように、お姉ちゃんはその姿を消した。そして、何事もなかったかのように現れた、あの期間…何をしていたのさ?」
「なにもしてないけど?」
「これ以上嘘を吐くなよッ!!!」
「!?」
こんなロンを見たのは、初めてだった。
「どうしたの……ロン…」
「ふざけないでよ…もうお姉ちゃんがわからないよ!いっつも嘘をついて…心配かけさせないようにして……またお姉ちゃんはどこかへ消えようとする!!」
「消えようだなんてそんな…」
「まだお散歩だなんて嘘をつくの?」
「本当にただの散歩だって」
「嘘だッ!」
「どうして?」
「今日のお姉ちゃんは本当に辛そうだった!足も物凄く遅くて…汗もたくさんかいてて!それでも、大丈夫だって嘘ついて……」
「……辛くなんかないよ」
「もう、やめて……嘘をつかないで……あの時から既にわかってるんだから……」
「あの時?」
「アクセサリーを落とした、あの日だよ。お姉ちゃんの部屋に置いておこうとして、そして見えたんだ。教えてよ、『どうしてお姉ちゃんは余命を過ぎてるのに生きてるの』?」
「なっ………見たの、勝手に」
「見た、今僕の目の前に居るお姉ちゃんは誰なの?」
「私は…」
どうする、何て答えればいい。弟に、どう答えれば良いんだ?
「お姉ちゃんは弱音を吐かない、僕達を心配させたくないから。でも、今お姉ちゃんはとっても辛いんでしょ?一人で抱え込んで…とっても苦しくて…どうして、僕を頼ってくれなかったの!!」
どうして、か。どうしてなんだろうね。自分でも、わからないや。
私はこれから孤独に死んでいく、だけどそれでも真実を弟に告げたくなかった。
「ロン」
「……何?」
「お願いがあるんだ」
「お願い?」
「そう、告白の件。付き合えないって言っておいて」
「…どうして?」
「付き合えない、それに理由なんている?」
「それは…」
「それじゃ、お姉ちゃんは行くところがあるから」
「ま、待って!行かないで!!」
「…こんなお姉ちゃんで、ごめん。もう、駄目なんだよ…」
その場を後にする、ロンは追ってこなかった。
どこで最後を過ごそうかな、桜があるところがいいんだけど、生憎まだその時期じゃない。
「苦しそうだね」
「貴方達……は」
例の寂滅とその姉妹だった。
「ははは…最後の私の有様を姉妹仲良く見に来たってわけ?」
「そうだよ」
寂滅はその口で答えた。
「貴方を運ぶためにわざわざ狼の姿で来てあげたんだ。ほら私の背中に乗りなさい、貴方の最後にふさわしい場所に運んであげる」
「どういう風の吹き回し?」
「そんなに私のやってること、おかしい?」
「おかしいに決まってる、私と同じ半獣を殺しておきながら時間を私に構うことに使うだなんて…」
忘れもしない、こいつは私と同じ半獣を殺した。
「貴方とあいつは違うよ」
「…え?」
「いいから、私の背中に乗って。ああ、もう動く力も無いのか。ほら、姉さん達乗せて乗せて」
叡智と幻は何も言わずに、私を寂滅の背中に乗せる。
「これでも、貴方には感謝してるんだよ」
「…何に対して?」
「貴方の人生…かな」
「着いたよ」
「…ここは?」
「見たらわかるでしょ。………って、まさか貴方」
「そうだね」
もう、視覚が機能しなくなっていた。でも、怖くはなかった。
「あらそう、ならこうしようか」
私の全身はふわふわとした柔らかい感触に包まれる。
「…狼の身体は、ふさふさしてるんだね」
「毎日お手入れしてるからね」
「それに、空から何かが降っているような……」
「桜、桜の花びら。私達が貴方のために早めに咲かせておいた」
「へぇ、そんなことができたのか。まさか、私の要望を叶えてくれるだなんて」
「貴方には感謝しているからね。姉さんも、幻も」
「あの二人も?」
すると叡智と幻の声が聞こえた。
「一応な。妹に人間の可能性を教えてくれた唯一の人間だし」
「私からしても、貴方はすごい面白い人だったよ」
「他の半獣は…みんな自分勝手に生きていた。どうせ死ぬから、それだけを言い訳にして。でも、貴方は違った。その力を酷使しなかった。自分を犠牲にして、嘘をつき続けた。だから、最後くらい私達が居ても良いんじゃないかってね」
「なるほど…それなら納得だよ。……寂滅」
「何」
「……死にたくないよ」
「知ってる」
あの人達に会えなかったことが、寂滅には言えた。そういう関係だったから。
「ああ……ロンのことはどうしよう……これからも、一人で生きていけるのかな……」
「……そんなに心配するのなら、私達があの子を見守ってあげるよ」
すると、耳に音楽が流れてくる。私は、泣いた。
「なんで…私だけなの…不公平だ…理不尽だ……」
「そうだね、理不尽だね。でもね、私から見たら貴方の人生は……とても、輝いていたよ」
「そうだと……良いなぁ」
枯れた笑みが出てきた。
「私の人生……意味があったのかな?」
「……意味があったから、私がここまで―――」
「―――最後まで、言わせてやれよ人間。全く、最後まで意味のわからないやつだ」
「まぁでも…この人間の人生の価値は私達が見た中で一番だったね、寂滅姉」
「そうだね」
この子のために奏でた後奏曲が終わって、私は遠吠えをして
「さようなら、ツモ」