かの有名な
冷蔵庫からお茶缶を取り出し、山羊マスクの前に置く。
「この時期やったら普通は温かいのやけどなぁ~」
文句を言いつつプルトップを開け口元に持っていくが、マスク越しでどう飲むのだろうか?
ジロジロ見ているとまた文句を言われそうなので、気にしていない感を出しつつ観察。
突き出た山羊の口元に缶を当てて飲もうとするが、上手くいかない様で二、三度首を傾げた後に「さて!」と缶をちゃぶ台に置く山羊野郎。
なにがさてだ。マスク取って飲めよ。
「今日はきみに重大な話があんねん。そこ座って」
もったいぶる様子でうんうんと頷き、背広の内ポケットをゴソゴソと漁るのはいいのだが、その重大発表の前に聞いておきたいことがあるので、とりあえず対面に座る。
「あの、その前に質問いいですか?」
「何?」
明るい口調で山羊マスクがこちらを向く。何故だろうか。その間抜けなマスクがだんだん腹立たしく見えてきたな。
「あの、あなたは俺に呼び出された悪魔なんですか?」
「へ?」
俺の発言が以外だったらしく、内ポケットに手を入れたまま固まりだす。マスク越しにおどけた雰囲気出すのやめろ。
「えっと。鍵を開けてないのに急に部屋に居たのは、そのなんていうか。悪魔的な力だったりするんですか?」
まだ返答が無い。とりあえず続けてみよう。
「もしあなたが悪魔で俺の願いを叶えたのだとしたら、その。なんていうか、どういう感じで叶ったんですかね? 幸せになりたい。って願いなんですけど、今のところ特に変化が無くて——」
返答が無いので様子を伺うと、山羊マスクは深~いため息をつく。
「はいはいはいはい。なるほどね! そっちね。そっちの方のパターンね。はいはい。よっしゃ、一つ一つ訂正していこか」
明らかにバカにした口調で告げてきたあと、わざとらしく指先を額に当ててもう一度ため息を吐き出しやがった。飲めもしないお茶を飲むふりするな腹立つ。
「まず。じぶん叶えたい願いがあったやろ?」
「そうですね。恋人という概念を――」
「いや、今はきみの願いの内容はどうでもええから。イエスかノーで答えて。叶えたい願い、あってんな?」
「はい」
「なぁ? なんでイエスかノーで答えてって言うたのに、はい。って言うの? イエスかノーで答えてよ」
「い、イエス」
着ている皺の無いワイシャツ同様、少しばかり神経質のようだ。
「んで。色々準備したやろ?」
「イエス」
「この蝋燭やら黒いバンダナなんかは、はっきりいって全然意味なかったけども。僕を呼んだわけやんか?」
「イエス」
「んで僕が君の願い叶えたやん」
「イエス?」
「なんで疑問形やねん。ある意味正解やけれども。ここまではお互い共通認識でええかな?」
無機質なゴム製の目が是非を問うてきたので頷く。
「じゃあこっからはきみの質問に答えていくけど。まず僕は悪魔ちゃうで」
「イエス」
「なんでやねん。ここはイエスの場面ちゃうやろ。今からは普通の会話でええねんて。何がイエスやねん。頼むでほんま——でも、あれやな。会話の流れ的にはめっちゃおもろいな今の。じぶんたまにホームラン打つタイプなんやな」
よくは分からんが認められたようだ。だが待て。悪魔じゃないのかこいつは? となると何者?
「まず一つ目の訂正な。僕な、悪魔さんじゃなくて、死神さんやねん」
「死神?」
「そう、死神さん」
そうなのか。悪魔ではなく死神だったのか。正直違いはよく分からんが偉ぶっている雰囲気には水を差さない方が良いというのは分かる。
「リアクション薄いなじぶん、まぁええわ。ほんで鍵がかかってるきみの家に侵入できたんは、まぁ言うなれば——あれやな、なんちゅーか、まぁ、死神的な力やと思ってくれればええわ」
説明が雑だ。なんだよ死神的な力って。マスク越しに真剣に言われてもこちらの心に響かないというものだ。
「これで大体のきみの質問には答えられたな。んでこっから大事な話すんで。さっきも言うたけども重大発表や」
内ポケットに突っこんだ右手がテーブルの上に現れると。コトリと音がする。
「これ、憶えてる?」
「あっ! はい。苦労して手に入れたので」
お前が持っていたのか! もはや死神とかではなく泥棒と呼んだ方がいいかもしれない。
「なるほどな。因みにやけど。これ何か分かる?」
「え? 水晶玉、です」
山羊マスク改め、死神がテーブルの上に置いたのは行方知れずだった水晶玉。手のひらサイズの球体は少しだけ転がりテーブルの真ん中に移動した。
「これな。ただの水晶玉ちゃうで。知ってた?」
「いえ、全く」
「これは死神を呼べる水晶玉やねん」
ん? 急に話が飛躍したな。死神を呼べる? なにそれ? とりあえず最後まで聞いてみよう。
「な、なるほど。だから俺の家に現れたんですか?」
「そういうことやな。なんでこの水晶玉が死神を呼べるか、興味あるやろ?」
「いや、それより」
「かなり昔の話になるんやけどな——」
聞けよ人の話。
むか~しむかし。往来に死神が溢れていた時代。
人間の力を軽々と超える超常の力を持つ死神達は、我が物顔で街を闊歩し、たくさんの悪事を働いていました。
強盗、窃盗、殺人、etc.etc.
それに怒った神様は死神達を水晶の世界に閉じ込めてしまいました。
神様は言いました。
死神達の超常の力は人間の世界では使えないように全て封印した。例外として人間達に渡した神からの贈り物——水晶玉を通してのみ力を使えるようにする。だがその力は人間を助ける、または願いを叶えることにのみ使うように。もう一度日の光を浴びたければ人間達を助けて徳を積むようにと。
こうして死神達は、神様が残した特別な水晶玉からしか、人間達の住む世界にいけなくなりました。
人間の呼びかけに応じて現れ、神の力が宿る水晶玉の力を使い人間の願いを叶える。
死神達は神様に許してもらうまで、人間達の願いを叶え、徳を積み続けるのでした。
死神の話を要約するとこんな感じだ。
これでも大分コンパクトに纏めた方だ。目の前のお喋りクソ野郎は脱線につぐ脱線で、自分の元奥さんの愚痴まで話し始めたときは帰ってくれないかなと思ったが。今は横に置いておこう。
死神の話が本当なら俺は幸せになる。という願いを言ったので、悪くない願いではある——話が本当ならだが。
正直今の所は死神というよりは、スーツを着て山羊のマスクを被った変態にしか見えない。
家の中に突然忍び込んだのは、確かに驚くことだが何かのトリックなのかもしれない。
故に次の発言は当然の事といえる。
「あの、その話。本当なんですかね? ちょっと信じられないというか、あなたが、その。死神には見えないんですけど」
今だ喋り続ける死神(仮)に言葉をぶつけてみた。
「まぁ、せやろな。きみ、僕らの存在も知らんと呼んだっぽいしな」
わざとらしく、やれやれのポーズをとりながら言葉が続く。
「僕らの存在は結構有名やけどな。じぶんみたいなしょうもない人生を歩んできた凡人には分からんか。せやなぁ~僕らの力使って偉くなった人間とか言えばピンとくるかな。例えばあの子とか有名やん。知ってるかな?」
「誰ですか?」
「織田信長くん」
「はぁ?」
「あれ? 知らんの信長くん? あの子はもう凄かったね。野心もやる気も満ち満ちてたもん。僕なんて信長くん見てて関心したもん。ようやるなぁ、この子って」
「——えっと」
「あとは秀吉くんもやな。あれ? あんまり響いてへんみたいやな。ちょっと古すぎたか? じゃあ最近の所で言うと、あの子らかな。あの子らも凄かったからなぁ~」
「誰ですか?」
「あの、リンゴとか窓がマークのやつ。あかん、横文字苦手やから名前でてこぉへんわ。じぶんら現代っ子はようつこてるやつ、アレ作ったあの子ら。あの子らはホンマに凄かったわ。僕死神やけど尊敬したもんやで」
「——えっと」
「あとはあれやな。えなりかずき君やな」
待て。どうした急に? 今の並びでえなりかずきが出てくるのは悪意を感じるぞ。
「こんなもんでええか。あんまり言うと自慢になるからな。軽く言ったけどほんの一握りやで。他にも沢山凄い子いるからな」
いや、それよりもえなりかずきが死神になにを願ったのか教えてくれ。
「なんやその顔。まだ信じてへんの? 疑り深い奴やな~」
そんなこと言ったしょうがないじゃないか。
「じぶんどうすれば僕の言うこと信じんの?」
「じゃ、じゃあ。目の前から、俺の目の前から綺麗に跡形も無く消えてみてください」
死神の力というものが本当なら目の前で消えて。また現れるのを見せてくれ。と告げた。そうすれば昨日、この家に唐突に現れたのも説明がつく。できればそのまま永遠に消えてくれ。
「それは一瞬ってことでええの? 今の口ぶりやと永遠に消えてみたいな感じに聞こえるけど?」
「——いえ、一瞬でいいので消えてみてください」
死神はブツブツと「後悔しなや」とか「後で文句いいなや」と言ったあと。掌を合わせて叫んだ。
「キェェエエエエエエエエェエエ!」
そして消えた。
「はぁ⁉」
本当に消えやがった! 冗談で言った事だったが目の前から死神が消えた! ぼんやりとか影が薄くなるとかそういった事もなく、音もなく突然と消えた。
「マジ、か⁉」
こんな陳腐な言葉しか出てこない。初めて理解を超えた現象に開いた口が塞がらない。しばらく動けずに固まる。少ししてから体の拘束が解け、部屋の隅々まで死神を探すがどこにもいない。訳わからず混乱していると死神が戻ってきた。
「どや? 信じる気持ちになったやろ?」
返答に言葉では答えられない。首を縦に振りなんとか返答をする。本物だ! マジックなんかじゃない。だって目の前から消えてまた急に現れるなんて、そんな事ができる人間はこの世にはいない。というかありえない事が起きたからか俺の考えは纏まらない。
「因みにこれ、信じなかった場合に保険かけといたわ」
狼狽する俺を尻目に、死神が胸ポケットから取り出したのはスマホ。画面を見せられた俺の頬は引きつっているだろう。
「——母ちゃん⁉︎」
死神が見せてくれたスマホの画面には、俺の母親と死神が肩を寄せ合って撮られた写メが映し出されている。お互いピースしているのがなんとも緊張感のない写真だ。
「せや。きみのお母さんに頼んで一緒に写真撮ってもろてん。息子さんが疑り深くてって言うたら快く協力してくれたで」
言葉が出ない。驚きもあったが恐怖もあったからだ。
例えばの話だが——目の前の死神が俺に危害を加えようとしたとする。そうなると簡単に家族まで巻き込まれてしまう——という事だから。
「どうして、俺の母ちゃんの場所を知ってるんですか?」
「それは、きみ。僕が死神やからやん」
答えになっていないが、この非常識な輩を信じないといけないようだ。目の前で証明されたんだから。
死神はこっちの動揺なんてお構いなしに床に座ると、スマホを胸ポケットにしまい何度目かのお茶缶を口元に持っていく。
「飲めてるんですか?」
「え?」
「いや、マスク取った方が飲みやすいんじゃないかなと思って——というか死神さんもスマホ持ってるんですね?」
「スマホ持ってるって、当たり前やん! この死神不況時代にスマホ無かったらなんもできへんで」
なんだよ死神不況時代って。
「さて。これで僕が死神やと信じてくれたかな?」
「はい。一応は」
「よっしゃ、じゃあボチボチ大事な話しよか」
そう言うと死神は水晶玉を指差す。手は人間のソレとなにも変わらない。
「これが、神様から人間に送られた、ありがたい水晶玉やって言うのは説明したと思う」
「そうですね」
「この水晶玉に願いを込めれば、僕ら死神が現れて願いを叶えるっていうのは理解できた?」
「まぁ。やんわりと」
「うん。それでな。この水晶玉をよ~く見てみてほしいねんけどな」
真剣な口調なので黙って指示に従うことに。
前屈みになり水晶玉を見つめる。特にこれといった特徴も無い。実際にそこらの雑貨屋にでも売っていそうな感じすらある。実際そこらの骨董屋に売っていたわけだが。
「なにか気付いた?」
死神を見たあと一度水晶玉を見つめる。何か気付いたって、なに?
別にこれといって——アレ? これもしかして。手を伸ばし指先で表面をなぞる。艶々とした球状の一部に少しだけ指先が引っかかる。
「気付いた?」
「これ、ヒビが入ってるんですか?」
水晶玉を手に取り近くで見ると、小さいではあるが亀裂がある。
「せやねん。ヒビがあんねん」
「そうですね」
もう一度指先で表面をなぞる。ヒビは指の第一関節ほどの大きさだ。爪をたてるとカリカリと音がする、と同時に心臓を締め付けられる圧迫感を感じる。急激に早まる心拍がなんだか不幸の前触れのように思えて水晶玉から指を離す。
「これな。かなり不味い状態やねん」
「……そう、なんですか?」
胸を押さえながら声を絞り出す。
「うん。神様からのありがたい贈り物に傷なんてあったら不味いねん。なんとなく想像つくやろ?」
まったく想像はつかなかったがとりあえず頷いておく。
「こんなこと普通はありえへんねん。本来ならこの水晶玉は霊験あらたかな場所にでも供えられて大事に扱われているはずやねん。おそらくやけど。そういった格式高い場所やのうて、空気の通らんジメジメした場所にでも長いこと放置されとったんかなぁ」
汚い骨董屋にありました。
「で、弱り切った時に強い衝撃でもあってヒビ割れたと、僕は予想してんねんけど。どう思う? というかじぶんどうやってこの水晶玉手に入れたん」
「覚えてないっすね。気付いたらこの家にあったような気が、しなくもなくもないので」
強い衝撃というのに心当たりが無いわけでもないのだが、今は何も言わない方が得策だろう。
「そうか。じゃあ水晶玉がきみに助けて欲しくて巡り合ったんかな、そう考えるとめちゃめちゃ素敵やん。考えても分からんしこの話は一旦置いとこ」
うん。誰が何をやったかとか。誰が骨董屋の棚か何かを崩して水晶玉にヒビをいれたとか、そういう犯人捜しは俺もよくないと思う。
「なんで水晶玉にヒビが入ってると不味いのか。というとやな」
「はい」
「きみの願いあったやん。あの幸せになりたいっていうやつ」
「そうですね。今の所実感はないですけど」
「せやろな。だってその願い叶ってへんもん」
「え? そうなんですか?」
「うん。先に謝っとくな。ごめんやで」