そういうタイプ
「じぶん幸せになりたいん?」
また、聞こえた。
まてまてまて待て! この家にいるのは俺だけだぞ!
心臓を鷲掴みどころの衝撃ではない。心臓をアイアン・メイデンで串刺しにされたあと、熱々の熱湯風呂に、押すなよ、絶対に押すなよ! のお約束の前触れなく熱湯に突き落とされた衝撃だ。
時間にして数秒固まっていただろう。玄関を見据えたまま思考を緩やかに戻し、鍵を閉めていることを視認する。
雪女さながらのか細い呼吸を吐き出し、首を左右にふる。誰もいない。オーケー。オーケー。第一関門はクリアだ。
次は第二関門である後ろを振り返ってみよう。
大丈夫だ俺。玄関には鍵がかかっているから乱暴者が侵入することは無い。後ろにはいつもの部屋があるだけだ。
落ち着け俺。冷静にいこう冷静に。くーる、クール。COOL‼
そういえば女子がメンソールを吸うと大事な部分から好ましくない匂いがするって聞いたことあるけど、あれって本当なのかな? 都市伝説なのかな? きっと俺が直面しているのも都市伝説の類だろう。恐怖のあまり勝手に脳が誤情報を捉えただけのはずさ、本当は何かの物音だろ? 何てなことで自分を勇気づけ叫んだ。
「グランエスタバイオン!」
小学生の時に考えた必殺技名とともに振り返る。この技は——いや、わざわざ自らの黒歴史は言うまい。なぜなら、恐怖は去ったのだから。
はふん。と胸につかえていたものを吐き出す。振り返ったが誰もいなかった。
いつもの部屋で良かった。六畳間の真ん中にはちゃぶ台、隅には布団。首を戻し改めて左右を確認。
玄関近くの右側には使われていない古くて小さいキッチン。対面には水場に繋がるドア。
「なにもないじゃん。アホらし」
一息つき、目頭を揉みながら考える。
おそらくやったこともない黒魔術のせいで疲れたのだろう。きっとそうだ。疲れていたから幻聴が聞こえた。よし、寝よう。こういう時はさっさと寝て――
「じぶん幸せになりたいん?」
助けて。
はっきりと聞こえた。そう認識すると途端に汗が噴き出すと同時に、ちょっとだけおしっこを漏らすほどの恐怖に襲われ、体が動かなくなる。
目頭を揉んでいた手が少し震えだす。落ち着け。もし声の主が気のふれた奴なら、とっくに俺はボコボコなり刺されているはずだ。
だが声の主はさっきから問いかけている。ということは何らかの話があるに違いない。
というか、そもそも論どこから聞こえる声なんだ? 玄関から部屋を見た時点では誰もいなかったはずだ。水場からか、とも考えたがそれも違う。扉を隔てていない、明確な声が聞こえたからだ。
考えても分からん。意を決し。己の勇気を総動員させゆっくりと目を開ける。
「――うッ!」
喉からくぐもった声が出た。
誰もいなかったはずの部屋に人がいるからだ。テーブルの向かい側に人が立っている!
動揺、恐怖、混乱、戦慄。どの言葉を使おうとも今の俺の表情は表せない。
侵入者は両手を後ろで組み、紳士のような出で立ちだ。その格好もまた紳士的で、黒色のスーツを着用している。
体系は中肉中背。グレーのワイシャツは皺一つ無い。差し色の赤いネクタイがオシャレを演出している。靴は高価そうにテラテラと光っている。我が家は土足厳禁なのだが――今はそんなことは些事といえる。
見た目は紳士の格好。パッと見た限りでは異常性は感じない。あるとするならば人の家に無断で上がり込む常軌を逸した行為と。顔だ。
正確に言うならば顔は見えていない。この紳士。山羊のマスクを被っているからだ。
白い山羊の被り物を頭からスッポリ被り、こっちを見ている。ゴム製の山羊マスクの目が俺をずっと見ている。
こ、これはなんのホラーだ? 誰か教えてくれ⁉
山羊マスクと俺が見つめ合うこと数秒。先に口を開いたのはもちろん。
「じぶん幸せになりたいん? って何回言わすの? じぶんで呼んどいて、そりゃないで⁉︎」
ずっと聞こえていた声と同じ、少しハイトーンな男の声がしっかりと聞こえた。声の感じは明るいオジサンを連想させるのだが。
「えっと、ど、どちらさまで、しょうか? あの、どうやって俺の家に入ったんですか?」
カラカラな喉を使いようやく出た問いかけだった。色々聞きたいことはあるが、今はこれが精一杯。
「え? じぶん知らずに僕のこと呼んだん? 萎えるわ~」
「はい?」
「こんな準備までして叶えたい願いがあったんやろ? せやから僕を呼んだんちゃうの?」
ちょっと待て、ちょっと待て! ちょっと待て‼︎ 脳内容量を軽く超えてきやがる発言をしたぞ、この山羊紳士。
「じゃ、じゃ、じゃ、じゃあ! あなたは黒魔術で召喚された悪魔ですか?」
「ん? 自分なに言うてんの? でもまあ時間無いし、それでええわ。じぶん叶えたい願いがあるんやろ? 願い事言うてみ。さっさと叶えたる、その為に僕来たし、こっちも歩合制やからケツまで予定詰まってるしな。はよしてや」
歩合制? なに言ってんだこいつ? 本当に悪魔なのか? でも、どう家に入った? 鍵はかけていたし。窓も割れてない。本当に悪魔で俺の黒魔術によって生み出された存在だったりするのか? でも何で山羊のマスクを被ってるんだ?
「あっ! じぶん疑ってるやろ?」
「え! いや。えっと、その……」
「いや分かんねん。残念ながら僕くらいの大物になると、分かんねんな。まぁ確かにこんな恰好やしな~。キャバクラのツケさえ無かったらもっとビシッとできてんけどな~残念やわ。分かってくれる、この気持ち?」
「すぅ~。そうっすね。分かります」
「なに? 最初のすぅ~って? 何で息漏れてたん? じぶんちょっとおもろいな。まぁええわ。願いごと言うてみ」
怪しい。非常に怪しい。
だがこの密室に入り込んだのは事実。と考えればやはり悪魔的な力でも使ったのか?
考えても答えは出ない。かなりの不審者感が漂うが今の所は襲われる気配はない。そしてなんだか話しやすい。話しやすい悪魔ってなんだよ?
この状況は全く謎だが、とりあえず願いを言わないと話が進まなそうなので言ってみる。
「——願い事は、恋人という概念を消す事ってできますか? もしくはカップルという認識を消す。とか?」
悪魔さんは首を傾げて返答した。
「ん~まぁ。できへんこともないけど、じぶんの夢はあれやな。思ったよりビッグやな。ちょっと引いてんの分かる? 恋人の概念を、カップルの認識を消すか。ん〜そうやな、それやるとかなりの数の人が死ぬけどええの? 恋人という認識を消すことに繋がるから、この世に存在する恋人たちが世界から消えてしまうという事になるから。おそらく今この世におる恋人やカップルが死んでしまうんちゃうかな? そうなると、じぶんとんでもない数の人間と動物を消すことになると思うで」
「え? そうなっちゃうんですね。なるほど」
チョケた感じ言ってみたら真面目な返答がきてしまった。
「最初の質問に戻るけど。じぶん言うてたよね? 幸せになりたいんとちゃうの?」
「そ、そうですね。俺、彼女にフラれたせいで落ち込んじゃって。幸せになりたいなって思って」
「なるほどな。まぁ、惚れた腫れたも恋のうちっ、てな! 任しとき。可哀想なきみの願い、叶えたるわ」
惚れた腫れたも当座のうち。だけどな。こっちの指摘も待とうとせず、迷言をこぼした悪魔は両手を合わせて。「キェェエエエエエエエエェエエ!」と叫んだ。
「よっしゃ。これで完了や。じぶん幸せになれるで」
極上の笑顔。かどうかは分からないが、声音はなんだか優しい。一切変化の無い山羊マスクも心なしか穏やかに見える。
「うわっ! ごめんな。僕これから別件が二件あるから行くわ。ほなさいなら」
わざとらしく目の高さに上げた左腕に時計は巻かれていなかったが。悪魔はよくある仕草をしたあとに、普通に内鍵を開け玄関から外に出て行った。
どうやって入ったのかは謎だが、出ていくときは普通なんだな。
一瞬開けられた玄関から外気の寒さが部屋を襲うが、エアコンという文明の利器により快適な温度に戻っていく。
感じた寒さは本物であり夢ではない証拠となる。
迷ったすえ、追いかけることは止めておいた。安全第一という答えに至り、鍵をかけ戸締りを確認する。
その後は手持ちぶさたになり布団に寝転ぶ。急激な睡魔に襲われ欠伸を一つ。
己の身が無事であったことに安堵すると同時に、終始感じていた懸念を口にし眠りについた。
「関西弁が嘘くさい」
明け方に睡眠をとったせいか起きたのは夕方近く。
日中は日の光を拒絶するくせに、西日はどんと来い! という非常に腹立たしい六畳間の我が家は茜色に染まっている。
布団から起きあがり窓辺に移動。
こんなに綺麗な夕日ならば、どこぞの高校生が触発されて好きな女子、もしくは男子に告白とかしていそうな雰囲気を感じる。
夕日に微笑みを送り全力でカーテンを閉める。
今の俺にとってはそんな甘酸っぱい青春なんぞクソくらえだ!
もしも目の前にアオくてハライド的な高校生カップルが現れでもしたら、俺は俺でなくなってしまう——我が右腕に封印されしグランエスタバイオンが、高校生カップルを焼き殺してしまうだろうな——って、アホくさっ。
自分の妄想があまりにも虚しさに拍車をかけたので、もう一度寝ようと布団に移動——の前にふり返って確認。
「ない」
ちゃぶ台の上には黒布が広がっている。その上に置いたはずの水晶玉は昨日と同じく見当たらない。
ということは、やはり明け方のアレは現実だったのだろうか? 部屋を軽く探してみるが水晶玉はどこにも無い。現実だった、よな?
寝起きとはいえ山羊マスクを被った男とのやりとりは鮮明に覚えている。
インターホンの連続押し——からの水晶玉無くなる——からの悪魔登場——からの嘘くさい関西弁——そして睡眠へ。
一連の流れをダイジェストにまとめてみたが、悪魔登場だけ現実味がなさすぎて笑う。
とりあえずと思い立ち、俺のような経験をした奴がいるかスマホで調べてみることに。
黒魔術 悪魔 山羊のマスク 関西弁。
このワードだけだがいくつかのサイトがヒットし興味本位で観覧。
しばらく見てみたが、予想通りどれも大した実りは得られず時間だけが過ぎていく。
途中で〝黒魔術のすべて〟というお世話になったイカれブログを再発見。
覗いてみるとブログが更新されていた。
重大発表という題名。
以下ブログ内容。
みんな~今日も元気に黒魔術やってるか~い⁉︎ 突然なのですがここで重大発表がありま~す。なんとなんと! 私リリスは、名誉ある死神実行委員会の一員になることができました~! イェーイ! 嬉しすぎ~! このブログを見てくれるみんなは死神実行委員が何かは分かるよね? もう感激のあまり昨日はパーティーをやってしまったよ。楽しかった~☆★次は悪魔実行委員会にも声を掛けてもらえるようにもっともっと、黒魔術を頑張ろうと決意あらたに日々精進していこうと思いました! 死神実行委員会の証拠写真のせとくね。可愛いからピアスに加工しちゃいました。じゃあみんな、またね~!
By リリス。
画面をスクロールすると右頬、右耳。茶色い髪が映し出されている写真が掲載されている。
雰囲気から察するにイカれブロガーは女のようだ。
写真中央の耳朶には内容通りに、死神実行委員の証拠というピアス。波打つ雫型に鎌が突き刺さっているデザインだ。
ちょっとダサいのは置いといて、きっと雫が人魂の意味なのだろう。そこに死神の鎌を突き立てるという何とも安直なデザインだ。
こんなブログ見せられたらそっとブラウザバックするのは世の常人の常ってもんだな。
ピンポーンと唐突に鳴るインターホンに身を固くするのも世の常人の常ってもんだな。
まぁインターホンはいつも唐突になるものか、だが明け方の一件がある。
居留守を使おうかと思ったが連打の気配は無い。しばらく待機しているともう一度インターホンが鳴る。
郵便物の配達かと思い玄関まで移動。ドアスコープを覗くと誰もいない。
鍵を開け、玄関を開けると誰も——いた。
「なぁ? なんでいっつもすぐ来けへんの? 隠れて脅かそう思たのに全部台無しやん。隠れてた時間返してほしいでほんまに。夜中もあんなにピンポン押させて。人差し指疲労骨折しそうやわ。じぶん何なん? 人間不信なん? 暗いで。最初に来たときも思ったけど。じぶん暗いで」
矢継ぎ早のマシンガントークの主は山羊マスクにスーツ姿。そしてこの微妙なイントネーション。ピンポン連打の犯人はやはりこいつだったか。
そして昨日の一連が夢でなく現実というのが証明されてしまった。
「なにその顔? ハトが豆鉄砲どころかハトがテポドンくろたみたいな顔して。まぁええわ」
「あの、昨日の――」
「言わんでええ、言わんでええ。きみの質問は大体分かるから。とりあえず中入ろか」
どうぞも何も言わないうちにズカズカと中に入り込み、狭いわ。ボロいわ。と文句を垂れながらもちゃぶ台の前に座りだす。
出会いから今までの会話だけでも分かるのは、こいつは確実に人の話を聞かないタイプだという事、加えてウザいタイプでもある。
「なにしてんの? お客さん来てんねんから、茶ぐらいださんと」
そして厚かましいタイプでもある。