その力
――と聞こえた。瞬き一つのうちに世界が濃い無色に変わっていく。
あの日の夜同じ、世界の色がパズルピースに変わり、一つ一つの色彩という欠片が剥がれ、色が失われていく。
曇天の空は淀みない灰色に変わり。地面も公園の遊具も、全ての色が失われた世界が再登場した。
寒くも暑くも無いこの世界は、次元の狭間である亜忍空間。唯一色があるのは俺、初芽つぼみ。……あれ?
「おや、これはまた」
そして……神田さん?
「え?」
思わず出たのはその一言だ。神田さんに色がある。どうしてだ? この次元の狭間である亜忍空間では普通の人間は入り込めない。三次元と四次元の狭間にあるこの空間に来ることができずに、灰色の塊りとしてこの次元に存在するはずなのに。
例外があるとしたら初芽つぼみのような忍者か、俺のような魂や気の存在がこの世ならざる者の、はず、なんだけ、ど……え? 神田さん?
「さぁ。その水晶玉をこちらに」
灰色の世界になったにも関わらず、神田さんは何も動じずに手を差し出し、水晶玉を渡すように催促してくる。
おいおいおい。爺さん。それよりももっと言うことが――
「どけぇっ‼」
切迫した声に振り向くと、大質量の滝の音が襲う。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
あの日に見た大きな水竜と大津波を従えた青い忍者が、刀を逆手に走り出していた。
真っ直ぐにこっちに駆け寄る。その迫力と暴力的な光景に俺は尻餅をつき、情けない格好のまま後ずさりしてしまう。
主人の高ぶりに触発されたように水竜が大口を開け叫ぶ。獣の咆哮よりも鳥類の甲高い鳴き声にも似た音が聴覚を脅迫。だが聴覚の機能を失ったことなど関係ない。迫る青の暴力から逃れようと必死に手足を動かし少しでも遠くへと移動する。
初芽つぼみは俺を通りすぎ標的である神田さんに従えていた青色の力を全てをぶつけた。
離れているにも関わらずドスンと腹底に響く衝撃。水の塊りたちは豪快に飛沫をあげ水竜は勇ましく空に昇ったあと、一直線に標的へと落下しもう一度腹底に衝撃が響く。二度にわたる超ド級の振動のせいで今朝の朝食が喉までせり上がるがなんとか押さえる。
衝撃から数秒後にようやく耳が復活していた。それでも耳鳴は止まずに今も音を拾えない。
水の爆発で周囲には霧雨が降っている。忍者の一撃は地面を深く抉り、遊具は衝撃で吹き飛び、公園内は半壊状態となった。
こんなのをまともにくらったら生きていられるはずが無い。立ち上がり首を伸ばして覗き見る。
「酷いことをしますね――これだから人間は」
生きていられる筈がないがないのに、生きていた。水の核弾頭をくらったのに平然と立ち声を発している。飛沫舞う灰色の世界で傷一つないように見える。しいて言うなら燕尾服が汚れているくらいだ。陥没した地面の中心地に立つ神田さん。大きなため息を吐いたあと歩き出した。
「神田の顔を立てて殺すのは一人だけにしようと思ったんだがな――誠にすいません」
なんだ? 誰と話しているんだ? 話しているというか、声が重なっているような言葉の掛け合いが耳に届く。これは聴覚がイカれたせいかとも思ったが違う。言葉は明確に届いている。神田さんは誰かと会話しているように聞こえるがこの場所には悠長に会話できる奴なんていない。
「全部お前のせいだ神田、もう変われ――致しかたありません」
この灰色の世界に怒りに溢れた、擦れた老婆の声が聞こえる。
「だから昨日のうちに融合していればよかったんだ。そうすればこんな面倒なことにならずにすんだ――言葉もありません」
婆と爺の声が聞こえる途中で燕尾服が忙しなく動き膨らむ。まるで暴風に煽られているように見えるが、この世界に風は吹いていない、勝手に燕尾服が暴れている。
膨らみ、虫が這うように数カ所が動いた後はバキンボキンという音。まるで硬質の何かを砕くような――骨を砕くような音。その異常な状態でクレーターから歩み出てきた人物を見て言葉を失う。
「………………」
まるで笑えない。なんなんだこれは? 仮想大賞でも始まるのか?
「か、神田さん?」
腹部にいる神田さんに声をかける。
「はい。お見苦しい姿ですみません。水晶玉を渡して頂けますか? ――神田。もうお前は黙ってろ」
映画シャイニングのパッケージのような顔が下向き、腹部にある神田さんを窘める。
「いや、は⁉︎ ど、どうなってるんですか? か、顔が二つありますけど?」
燕尾服が黒い皮膚へと変わっていた。テラテラと光る黒皮膚。下半身が細く小さいのに上半身は大きく太い。あまりにも上半身に対して下半身が細いので、地面に立つ二つの足はそのうち折れてしまいそうだ。体長は見上げる程大きい。上半身同様に顔もでかい、耳、鼻、口も大きい。鳩尾には神田さんの顔のみがやや突き出した状態で癒着している。
何がなんやらさっぱりついていけんが、この場で俺が変わり果てた神田さんである、あの黒い者に指摘が許されるのであれば、上側にあるでかい顔の髪型がパンチパーマであり、それが相まり関西のおばちゃんのように見えるので――豹柄を着こなす関西のオバハンか! とつっこむべきかどうかという事だ。
縦に閉じる目が俺を見ていた。
真っ暗な何もない目だ。ただの黒だ。暗闇だ。闇――やみ、ヤミ、そうだ、俺は、これからㇱなナkyぁ――
「あの目を長い時間見ないで。つれていかれる」
エ、おㇾh――――――‼
薄幕を突き破るように意識が明瞭になり、止まっていた呼吸を再開する。酸素が足りず今にも死にそうな気分だ。空気を貪ると喉がついてこれず嗚咽が漏れる。何だ? 今、俺はどうなっていたんだ? 肩にのった暖かな温もりで我に返ったのか。隣を見ると青い忍者となった初芽つぼみがいた。彼女は額から汗を流し。荒い呼吸を吐き出している。
「チッ! めんどくせぇな。自分で死んでくれたら楽だったのによ――穏便に済ませたいものです」
また上下で会話する化け物。絵面的にあったらダメだろこんなの。というかこいつ俺を殺そうとしたのか? じょうだん……だよね? 全く笑えないこの場面で相手が冗談を言うとは思えないが、そうとでも思わなければ恐怖でどうにかなってしまいそうだ。
今この状況では死という言葉があまりにも近すぎる。
「良かった。君の知り合いじゃなみたいだね?」
「化け物の知り合いなんているか!」
忍者のズれた発言に声が荒くなる。今は忍者にかまっている場合じゃない。でも助けてくれてありがとうございます!
「神田さん!」
「はい。こんな状態ですいません。今はおとなしくしてくださっていますので、早急sに水晶玉をお渡しください」
いや、それよりもあんた今、顔しかないんですけど⁉
「そんな顔しなくても、私は大丈夫ですよ。今は体を悪魔に貸しているだけですので」
あ、く、ま? 俺の聞き間違いじゃないなら、さっき悪魔と聞こえたが。
「私は死神実行委員会でもあり悪魔実行委員会でもありますので~」
知るかそんなこと⁉ 死神実行委員会だけでもやんわりとしか信じてないのに急に悪魔実行委員会とか言われてもついていけねぇから‼ あとなんだ最後の、ので~って。語尾を伸ばすな! 緊迫感を持て緊迫感を!
「有名な実行委員なの? あの爺さん」
「いや、お前は知ってんのかい!」
またまたズれた発言をする忍者に激をとばす。だが初芽つぼみの表情は苦渋に満ちている。その顔はこれからどうなるのかを予言しているようである。
「さぁ、水晶玉をお渡しすれば私どもは直ぐに立ち去りますので」
悪魔になんか渡せるわけねぇだろ! 正気かこのクソ爺!
「水晶玉を渡したら、俺はどうなるんですか?」
「日常に戻ると思います」
おい何で目を逸らす! 全然信用できないぞ。こんなオチで死ぬのなんてまっぴらだぞ!
「怪異な存在の言葉は信じても無駄。邪魔だから早くどっか行って、じゃないとほんとに死ぬよ」
初芽つぼみが刀を構えると刀身から水が溢れ出す。水の流れは綺麗な渦となって使用者の周囲を踊るように下から上へと流れていく。
やる気だよこの忍者。悪魔と戦う気だよ。でもその強気な発言とは裏腹にどうしてそんな顔をするんだ? そんなのまるで――。
「お嬢さん。退いてくださいませんか? あなたはこの場においては第三者でしかないでしょう? どうしてそんなに彼を守ろうとするのでしょうか? あなたには手荒な真似をするつもりは――」
「黙れ外法者! この男は蘭水流二十一代目宗家頭目になる男だ。死なせるわけにはいかない」
え? なにそれ? そうなの? 俺そうなるの?
刀を順手に持ち腰を落とし、重心を前に倒し標的に向かって駆けていった。水を纏った刀が悪魔の頭部に突き刺さる――――――。
その光景をありありと目にしたはずなのに、今は右隣で初芽つぼみが絶望の顔で膝をつき苦々しく呟いた。
「そんな、時間の概念まにで、干渉できるなんて」
何があったんだ?
時間の概念?
ババアの悪魔の顔面に刀を突き刺したはずが、どうして直ぐ俺の横にいるんだ? 忍びは瞬間移動でも使えるのか? いやそれは流石にないだろ? だとしたら、さっきの光景は何だったの?
目を閉じていないのに、瞬きだってしていないのに、切りかかったあの映像は何だったんだ?
訳が分からなくなり周囲を見ると違和感に気付く。あれ? 公園が元の状態に戻っている。大滝と水竜に壊されたはずなのに。灰色の世界はそのままだが、抉れた地面も無い。公園内は亜忍空間を発現させた直後の状態へと戻っていた。
分からん。もはや俺には全ての事が理解不能だ。何がどうなっ――。
「ぶ、じ?」
「へ? え? なに? つぼみ、さん?」
さっきまで右隣にいたはずなが、今度は左隣りでげっそりとした初芽つぼみが立っていた。その指先は俺の頬に触れられている。顔色は青白く、目は窪み、頬がこけ。絶対比率の美貌が台無しの状態となっている。
何か納得したように「あぁ」と呻くと項垂れ、色彩を失った瞳が俺を見据えた。
「そうか、普通とは違うから……だから、時間の渦に巻き込まれないのか、ごめん。あいつは、倒せない。三日三晩戦い続けたけど……もう、む、り」
そのまま倒れる初芽つぼみを慌てて抱える。軽くて細い体は傷だらけだ。もし彼女の言葉が本当ならば三日間戦っていたという事になる。
俺にはたった一瞬だったが……信じないわけにはいかない。この傷だらけの体が証明している。
「まぁ、少しは楽しめたかな――趣味が悪いですよ」
悪魔と神田が会話しているがそんな事はどうでもいい。
初芽さんは呼吸があるから最悪のことにはなっていない、良かった。顔を上げると悪魔が笑っていた。酷く不細工で気味が悪い。こんな奴と三日間も、しかも俺の為に、どうして? 出会って間もない俺を救おうとしたんだ?
「もうこいつらは殺すぞ神田――致しかたありません」
無遠慮に近づく気配。怖くて逃げだしたいけれども、それよりも俺は初芽つぼみの顔についた泥を必死で拭く。
「本来ならあなただけを殺す予定だったのですが無駄な犠牲をだしてしまいました。健気な良いお嬢さんです。目の前で絶たれる命は見過ごせないとの美しい言葉で何度も刃を向けられました。正義感が強く立派な方です」
このクソ野郎は最初から俺を殺す予定だったのかよ。
「そちらのお嬢さんとは将来を誓い合った仲のようですね。せめてもの償いにお二人は同じ場所に埋めて差し上げます。」
俺の記憶の無い所で何を言ったんだつぼみタン。
これから死ぬというのにどうして俺はこんなに落ち着いていられるんだ? 不思議……いや、理由は分かっている単純に予感はしていたんだ。死神と出会って俺の中の日常が壊れた日からこうなることを予感していたんだ。
だってそうだろ? 水晶玉が割れたら死ぬなんていう現実は本来あってはならないし、それを受け入れた時点でこういう結果もあるのかなと予想はしていた。理性の関節はもうとっくに外してある、心構えができているから大丈夫だ。心残りがあるとすれば家族のことと初芽つぼみを巻き込んだことくらいだ。ごめん。褒められた人生じゃないけど、まぁ悪くは無かった……。
って言うと思うかボケェェェェェェェェェェェッェェェェ‼
死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 嫌だ~~‼ 死にたくないよ‼
こんなアホみたいな理由で死にたくないよ! 冷静に死を受け入れたフリしたけど嘘です。恐怖で頭おかしくなってるんです。嫌だ。死ぬの怖い! 生きる! 俺生きる! 起きてつぼみタン! 目を覚まして! 俺を救ってくれ!
「神田よこの人間は実に人間らしいじゃないか――ここまでふり幅がある方も珍しいですね」
俺の必死な叫びをあざ笑うんじゃねぇよクソ野郎共! あ、ごめんなさい嘘です。助けてください。なんなら靴の裏とか舐めるんで許してください。この八重歯で靴底についたガムとか剥して何の味か当てられる特技があるんですけど見たくないすか? どうすか? 得意な味はブルーベリーだったりしますです。ハイ。
「……本当にそちらのお嬢さんの婚約者なのでしょうか? あまりにも自分を捨てるのが早いような気がしますが――なにを言う神田。これこそが人間だろう。媚びへつらい偽善の仮面を付ける。お前だってそうだろうが? この時の人間が一番面白いぞ――やんごとないです」
目の前の悪魔がニタリと笑う。振り上がる腕が全てを物語っている。
もう駄目だ。俺はここで死――
「遅れて申し訳ございません!」
――な、なかった。熱い。まるで灼熱の砂漠にでも放り出されたように急激に喉の渇きを感じた。
炎が俺と悪魔との間で大きな壁となり轟々と燃え盛っている。チャンスとばかりに悪魔から距離をとる。
「大事ありませんか?」
この亜忍空間に現れた救世主は駅前のスーパーカケモのエプロンを身に着け、頭にはエプロンと同じオレンジ色の三角巾を巻いていた。
「もっちゃん!」
「はい! もっちゃん参上です」
こちらに駆け寄るもっちゃんの体が炎に包まれ、一瞬姿が見えなくなる。地面から上空に渦を巻くように重なりあう炎がひと際大きく燃え上がると、熱を残して炎が消える。赤い残像を残したあとに現れたのは、忍び装束に身を包んだ望月千代の姿。
スーパーカケモのエプロンや三角巾がどこにいったのか聞くのは、無粋というものだ。
「……つぼみさん」
俺が抱える初芽つぼみに視線を落としたあと、鋭い眼光で前方の悪魔を見据える。
「神田……。――もはや何も言えません。お好きにどうぞ」
パンチパーマをさらにチリチリにした悪魔が、大儀そうに炎の壁を乗り越えててきた。悪魔には水の攻撃だけでは無く炎もきかないようだ。
「休憩中でしたが駈けつけて正解でした。こんな異様な気は初めてです。それにあの腹部のご老人には見覚えがあります」
「あいつ、昨日俺に話しかけてきたやつだよもっちゃん! でも今悪魔だからあの爺! ぶっ殺しちゃってくださいもっちゃんパイセン!」
「……悪魔ですか。見た目もそうですが、かなり異常な気です。こんなのは初めてです。どうして昨日のうちに気付かなかったのでしょうか?」
「なんか融合がどうとか言ってたけど。んなことよりもっちゃん気をつけて! あの悪魔、俺らを殺そうとして、つぼみタンがやられちゃって。なんか時間とか操るみたいで」
「……勝手にキモいアダ名で、呼ぶなし」
うっすらと目を開けるつぼみタン。俺の体を弾くようにして立ち上がると。反動で俺は尻餅をつく。俺、尻餅つきすぎじゃね?
「千代遅すぎ。異常な気を感知したら直ぐ来なさいよ」
「すみません。店長がなかなか休憩にいかせてもらえず」
忍者同士が当たり前に会話をする。悪魔の脅威を意にも返さないように。
そして始まる第二ラウンド。悪魔VS忍者の戦いが始まった。
そして唐突に訪れる絶望。




