第1章 4 『後ろめたい事は大抵誰かに見られている』
交通の集合地になっている駅の近辺には、それに伴ってショッピングモールやレストラン、アミューズメントパークなど、休日を過ごす程度なら十分なほどの施設が密集している。
タウンレコードの近場で喫茶店を探していた勇志と時雨は、数十メートル歩いた先に、丁度良い喫茶店が同じ通り沿いにあったため、これ幸いと迷う事なく入店した。
感覚的には夕食に近い時間だったが、店は比較的空いていて、案内されたのは窓際の1番奥の席だった。勇志は1番奥へ、時雨は勇志の反対側にテーブルを挟むようにして座る。ふと窓の外へと視線を送ると、ちょうど大通りがよく見える位置だった。
2人は机の上にメニューを広げて、勇志はアイスカフェオレ、時雨はホットコーヒーを注文した。
5分と掛からず2人の目の前に出された飲み物に、時雨は少しミルクを落とし、勇志はガムシロップを2つ入れ良くかき混ぜた。
勇志としては、本当はストローなど使わずにそのままコップに口を付けてグビグビいきたいところだったが、目の前の時雨に何を言われるかわかったものではないので、大人しくチビチビと上の方からストローで吸い上げて飲み始めた。
(それにしても、やっぱり冷たくて甘いカフェオレは美味いな、荒んだ心と身体を癒してくれる気がする……)
今日1日で勇志の心はかなり荒んでいた。もともと好きではない人混みに揉まれ、踏む蹴る殴る肘鉄と散々な目にあった。それも1度でなく2度も。「親父にも打たれた事ないのに~!」と叫びたい程だ。
挙げ句の果てにその人たちを「はッ、見ろ! まるで人がゴミのようだ!」と思ってしまっていたのだが、その人たちこそが、ガップレを支えてくれているファンの方々ということを今更ながら悔いているためである。
「身から出た錆」「自業自得」そう言われればそうなのだが、何故か納得できない自分がいてモヤモヤしている。今は甘過ぎるくらいのカフェオレが勇志には丁度良かった。
「入月くん、少しお砂糖入れ過ぎじゃないかしら?」
「うむ……」
そんな甘いカフェオレを幸せそうにチビチビ飲む勇志の姿に、小動物的可愛さを見出しそうになった時雨が『虐めたい』という邪心を振り払いながら話し掛けた。
「実は俺、コーヒーはミルクと砂糖を多めに入れないと飲めないんだ。橘は砂糖入れないの?」
恥ずかしそうにカミングアウトする勇志に心を揺さぶられながら、『鉄仮面』の表情は崩さずに口を開く。
「私は逆にお砂糖入れたら飲めなくなるタイプね」
「そ、そうですか……、大人でいらっしゃる」
毅然とした態度を繕っている時雨の姿を見て、勇志は(音を立てずに上品にコーヒーを飲む橘は良い絵になるな~)と、呑気に考えていた。
学校ではこうして向かいあって座ることはなく、お互いに普段よく見ることのできない相手をここぞとばかりに観察している状態だった。
「どうしたの?さっきから私のことをじっと見て、何か言いたい事でもあるの?」
「いや、べつに…… 何でもございません…… 」
先に相手の視線が気になったのは時雨の方で、堪らず勇志に問いかけることで落ち着きを取り戻した。
一方、鋭い突っ込みを受けた勇志は、急いで視線を窓の方に向けて誤魔化したが後の祭りである。
しかし、「時雨に見惚れていた」なんて、口が裂けても言えないので、あくまで白を切り通す構えを見せておく。
そんな勇志を見兼ねたのか、時雨はコーヒーカップをソーサーに置いて一息置くと、勇志の目を真っ直ぐ見つめながら口を開いた。
「入月くんは本当にお子様よね。あまり多量に糖分を摂取するのは感心しないわよ。 今のうちから少しづつ砂糖の量を減らす努力した方がいいわ」
「――は、はい、善処します……」
てっきり、時雨のことをジロジロ見ていたことに対して、文句の一つでも言われるものと思っていた勇志は、間抜けな顔を晒してしまった。
どんどん小さく丸くなっていく勇志の姿に、遂に耐えきれなくなった時雨は、口元に手を軽く当てて、クスっと笑みが溢れる。
どうやら時雨の『鉄仮面』は勇志の前では『コンクリート仮面』くらいにしかならないようだ。
このままでは勇志に軽い女だと思われてしまうと危惧した時雨は、当初の目的としていた「【Godly Place】についての話」を振ることにした。
「今や知らぬ人はいない【Godly Place】が、どうして大して都会でもない音楽ショップの地下ライブスペースで演奏するか知ってる?」
「さ、さあ……?(いや、本当は知ってるけどね!)」
「まだ【Godly Place】が駆け出しだった頃、タウレコのライブスペースが活動拠点だったそうよ」
「へ、へえー……(いや~、よくご存知なこと!)」
「つまり、【Godly Place】の地元は、この辺りということになるわね。ファンの間ではかなり有名な話らしいわ」
「はい、仰る通りです!(へえー、そうなんだー)」
「ん?」
「あ!いや、よく知らべてるね~、流石~(あぶねー!心の声と実際の言葉とが反対になっちゃったぜー)」
「やっぱり入月くんは知っていたのね、流石『大ファン』」
「う、うん、まあねー(はあ、このままボロを出さずに最後までいけるんだろうか……)」
一息つくようにカフェオレに手を伸ばした勇志は、時雨がまさか目の前にガップレの『ユウ』がいると知ったらどんな顔をするのだろうと想像して、身震いした。
ネットやテレビの話だと、ガップレのメンバーはユウだけでなく、全員が美化、または神聖化されていると言い換えても過言ではない。
仮に、自分がガップレのユウだとカミングアウトしたところで、時雨は信じないだろうし、証拠を出して信じてもらえたとしても、あのガップレのユウが実際はこんな奴だったのかと、幻滅されるのが目に見えていたからだ。
「それで、入月くんはガップレの曲で、どれが1番好きなのかしら?」
「うーん、そうだな~……」
突然の『ガップレトーク』を振られたということもあるが、こうして誰かに改めて「好きな曲」と聞かれるとすぐに答えることができない。
普通であれば「好きな曲」は?と聞かれればメロディーの聴き易さや、曲の雰囲気など客観的に答えるものだが、今回は【Godly Place】の曲、つまり自身が作詞作曲した曲、アレンジや構成を考えた曲だ。
そのため【Godly Place】の曲は問われると、どうしても主観的な考えになってしまう。それに、自分たちのバンドが生み出した曲は、言わば自分たちの子供のようなもの、順列をつけることは正直難しい。
結局、「どれが1番好き?」を「どれが1番思い入れがあるか?」で、考えることにした。
とは言っても、『思い入れ』がない曲がない。しかし、その中でも敢えて選ぶのならと、散々「うーん、うーん」と悩んだ末に「やっぱり『start line』かなー」
と答えた。
『start line』は 【Godly Place】のメンバーが5人になって、1番最初に完成した曲だった。
バンドの人数が増えることによって、それぞれの楽器が自由に演奏できる幅が広がり、相乗効果として曲の広さと深さが、より一層増した1曲に仕上がった。
『start line』を演奏する度に、そのことを実感して「バンドサウンドっていいなー」と染み染みと思う程だった。
「 『start line』って、確かまだ音源収録されていない曲じゃなかったかしら?」
「あ……( しまったーッ!!)」
『start line』は実はまだ音源化されていない。ライブのアンコールなどで稀に演奏される、ファンの間では『幻の曲』と言われるものだ。
ライブ初心者の時雨が、その曲を知っているとは考えにくい。余計な勘繰りを入れられると、勇志は焦り始めた。
( 何かそれっぽい言い訳をせねば!)
「いや~、たしか前にガップレのライブで聴いたことがあったような気が……」
「ガップレの『start line』という曲は、ガップレのメンバーが5人になって1番最初に作られた曲で、メンバーそれぞれの個性が生かされているロックチューンの曲である。 まだガップレが駆け出しの頃に、客のほとんどいないライブハウスで演奏していた曲で、ファンの間では『幻の曲』とされており、音源化も未定。入月くんはかなり初期からのファンなのね」
カバンからスマホを出して『ガップレ』で、検索をかける時雨。Wikipediaにガップレに関連することは大体載っており、『start line』も例外ではない。曲ができた経緯も、まだ音源化されていないこともしっかり記載されている。
今のご時世、何でもスマホで簡単に調べられて便利になった反面、こんな弊害があるのかと勇志は思い知り、頭を抱えてテーブルに肘を突く。
「まあ、ほらあれだよ、マイナーなバンドを発掘して応援したいというか、一緒に頑張りたいというか、とにかくそういうタイプなんだよね、俺!(苦しいーッ!なんて苦しい言い訳なんだー!)」
「そんなものかしら?」
「それよりーー(こうなっては仕方がない、奥の手を使うか)」
勇志は、突然真剣な顔をして時雨に向き直ると、徐に口を開いた。
「ーー橘はガップレの曲で何が1番好きなの?(必殺!『話題転換攻撃』)」
説明しよう。 『話題転換攻撃』とは、相手に突っ込みの余地を与えず、さっさと別の話題に切り替えてしまう、泣く子も黙る恐ろしい攻撃なのである!
(さあ、乗ってこい!橘)
「そうね、私は『限りない蒼の世界』かしら」
(よーし!乗ってきたーッ!)
勇志の内心などつゆ知らず、時雨は遠い目を窓の外に向けた。大通りにはいつにも増して大勢の人々が行き交いとても賑わっている。
中でも信号待ちをしている仲の良さそうな親子に視線が止まる。
娘が父親に何かを話しているのだろうか、手を繋いだ先、見上げる視線が交差してお互いが笑顔を向け合う。
窓越しでは外の音は殆ど聞こえないが、その親子の笑い声が、ここまで聞こえてきそうな、絵に描いた『幸せ』そうな親子に見えた。
それを見つめる時雨の表情は何処か儚く、(これは触れてはいけない類の話だな)と、スーパー鈍感男の勇志も気付いたほどだった。
数秒の沈黙の後、勇志は気付かないふりをして会話を続けることにした。
「バラード曲で、しかも『ユウ』のソロ曲なんて、なかなかマイナーな選曲だな」
『限り無い蒼の世界』は『ユウ』こと勇志が作詞作曲した曲で、『ミュア』こと歩美がピアノを弾いて一切歌わないという、ガップレの数ある曲の中でも珍しい曲である。
勇志が『限り無い蒼の世界』を作詞、作曲する際に、昨今のアニメの回想シーンや、心の中の世界の描写としてよく出てくる例の水面。
地平線の彼方まで水面が広がり、澄んだ空と流れる雲が水面に反射して鏡のように映し出されている世界。
その場所をイメージして歌った曲である。
物語の主人公の孤独や痛み、そして哀しみが『限り無い蒼の世界』では「異質な物」、この場に相応しくない物として、より一層強調される。
そして何故かパワーアップして戻っていく……
そう、つまり……、『例の水面に来たら最強になるフラグ』これが『限り無い蒼の世界』という曲のメンバーのみぞ知るサブタイトルなのだ。
この事はWikipediaにも載ってない秘密である。
表向き雑誌やテレビのインタビューでは、「この広い空と比べて自分の抱えている悩みは、なんてちっぽけなんだろうと感じて曲にしました」と、勇志はその場の思いつきで答えていたが、後のメンバーたちへの説明の際は「そう言う一面もあるから、100%の嘘ではない!」と言い訳していた。
「じゃあ何パーくらい嘘なの?」とミュアに聞かれて、「75パー」と答えた時のメンバーたちの呆れ顔と、ヨシヤの「ほぼほぼ嘘じゃん」と言われたことは、未だに勇志の脳裏に焼き付いている。
「確かに、有名どころではないわね」
定番曲や、アップテンポな曲ではなく、どうして『限り無い蒼の世界』が好きなのだろう、というのが勇志の素直な疑問だった。
(聴いていて気持ちが明るくなるわけでもないし、聴きやすい曲でもないだろうに……)
「どうしてその曲が好きなの?」
【Godly Place】のメンバーとして、参考にしたい気持ちもあったが、単純に好奇心から、時雨がどうしてその曲を好きなのかを聞きたかった。自然と身体も少し前のめりになる。
「ユウの歌声は何処か切なくて、儚い感じがするの。それに私の大切な人の歌声と似ている気がして、だからこの歌を聴いていると思い出せそうな気がするのよ、その人のことを……」
時雨の視線は窓の外から離れることはなく、いつの間にか何処かへ行ってしまったのだろう、先程の仲の良い親子がいた場所へと向けられている。
しかし、時雨はそこではない何処か遠く、そこにはいない『誰か』を見ているような…… 勇志にはそのように感じた。
「えっと……」
かける言葉が見つからず言葉に詰まる。もともと「口が上手い」とか「言葉上手」とは思っていないし、向上させようとも考えてなかったが、この時初めて、自分がもう少し口が上手かったら、時雨に気の利いた言葉を掛けることができたかもしれないのに、と後悔した。
時雨は時折、学校でも同じような顔をして窓の外を眺めていることがある。その時に何を考えているのだろうと、勇志はその姿を見る度に思っていたが、それ以上は何もできなかった。いや「しなかった」と言う方が正しい。
実際に、勇志以外のクラスメイトも時雨の様子には気付いていたが、男女問わず彼女に話し掛ける者はいなかった。
理由は、その哀愁が漂う姿でさえも完成された作品のようで、付け入る隙がないということ。そして1番の理由は、時雨自身が身に付けた『鉄仮面』が周囲の者を拒んでいるように見えていたから。
そんな時雨の横顔を見詰めながら勇志は、自分の不甲斐なさを悔やむと同時に(なんか1曲書けそうな気がする)とか不謹慎なことを考えていた。
そういう勇志の2面性は、今に始まった事ではない。これは本人も自身の『罪』として認識している。それが自分でも気付かないうちに表層に現れることがある。
始まりは10年前、儚く崩れ落ちそうな彼女を「救いたい」と願ったあの日……
――同時に感じた「綺麗だ」という相反する想い……
「ごめんなさい、つい余計なことを話してしまったわね」
「――いや、全然!気にしないで!」
時雨は勇志が(自分の話のせいで困らせてしまった)と誤解するほどに思い悩んだ表情をしていた。しかし、実際は違う……
勇志にも人並みか、それ以上には他人に話せないような闇を抱えている。それがたまたま今回、少しだけ呼び起こされたに過ぎない。
勇志は、直ぐに時雨に大振りなジェスチャーを交えながら笑顔を取り繕った。2人の間に何処となく気不味い雰囲気が立ち込める。
グラスの中の氷が「カラン」と音を立てる。それから一拍置いて、勇志が徐ろに口を開いた。
「また会えるといいな、その、橘の大切な人と……」
これもまた、勇志の本心からの言葉だった。それは一瞬だけ驚いた表情を見せた時雨を見てわかるように、時雨の心にもちゃんと伝わったようだった。
彼女にとっては初めて、自分のことを本気で心配してくれる言葉、声。
「そうね、ありがとう……」
「私らしくない」時雨は自分の今の状態をそう思った。何故か彼には自分のことを話してしまう。誰にも話すつもりもないのに、気付いたら話している。
(こうして面と向かって話すのは初めてと言っていいほどなのに…… きっと私がずっと入月くんのことを見ていたから、それで気心が知れていると勘違いをしているのね)
時雨は、もう2年も経つのに、未だに鮮明に思い出せる記憶に視界が切り替わっていった。
――中体連主催の全中バスケットボール冬季大会決勝、まるでスポットライトを1人だけ当てられているかのように、輝いていたその人……
――しなやかな身のこなし、まるでボールを操っているかのようなパスワーク、完璧なまでに洗練されたシュートフォーム……
そのどれもが時雨の瞼に今も鮮明に焼き付いている。
またしても、お互いに黙り込んでしまったが、気まずくならないタイミングで、勇志のポケットの中のスマホが勢いよく着信を知らせる。「これ幸い」とばかりに着信相手も確認せずに、時雨に一言、「ごめん、電話出るな」と伝えると、勇志は通話ボタンを押しながら耳に当てた。
『もしもし勇志、今どこにいるのかな?』
スマホの画面を確認することもなく、通話の相手は歩美だった。しかし、勇志には歩美の声色が、心なしか怒っているような気がした。
「あー、近くの喫茶店にいるけど、何かあった?」
『ふーん、近くの喫茶店で、勇志と同じクラスの橘時雨と、2人で?仲良く?お茶してるわけねー、ふーん』
(なぜバレたーッ!?)
急いで店内を見回すが、歩美の姿は見えない。(千里眼でも持ってるのか、歩美は!?)勇志の全身からじっとりとした汗が噴き出る。
(お、おかしい… だって歩美は、メイクに時間がかかるからって、控室から出られないはずだ!)
歩美は勇志の女性関係には『超』が付くほど厳しい。その理由は勇志以外ならほとんど全員知っているし、誰が見ても分かるのだが。
そう、勇志は『超』が付くほど鈍感だから、もうどうしようもないのである。
そして、怒った歩美は物凄く恐い。水戸沙都子に匹敵するか、もしくはそれ以上かもしれない……
とにかく、勇志は何とかこの場を切り抜けなければならなかった。(命の危険レベルで)
「きッ、気のせいじゃないかなー… ほら、俺みたいな平凡で、なんの変哲もない顔の男なんて、そこら中にいるでしょう?」
「気のせい」「見間違い」この路線で歩美の尋問から逃れようと、勇志は画策する。だが、それも次の歩美の一手で全てに決着がついてしまった。
『さっき、愛也くんがカフェの前を通ったときに、女の子と仲良さそうに話している勇志くんを見つけたって、写メを送ってくれたんですけど?』
(なーにーぃー!?)
餅つき芸人のように、心の声が裏返った勇志は、急いで窓の外に目を向ける。
そこにある窓と、壁の間の辺りから、ひょっこり顔を出して、ニコニコ手を振っている『愚か者』がそこにはいた。
(愛也ぁあぁあ!? 許さんぞ!絶対に許さんぞーッ!!)
特徴的なベージュ色のクルクルウェーブヘアーに、中性的な容姿。大人を駄目にする垂れ目と泣きぼくろ。勇志とは、顔のタイプが正反対の『山崎愛也』こと、【Godly Place】ベース担当の『ヨシヤ』である。
ちなみに時雨は、ニコニコと手を振る愛也に、品良く手を振り返していた。
「そのですね… これにはちょっとした訳がございまして、後ほどしっかり説明いたしますので、どうかお怒りを鎮めては頂けないでしょうか……?」
勇志は愛也への怒りと、何故か窓越しにコミュニケーションを取り合っている2人を、一旦脇に置いておき、スマホの向こうの歩美に丁寧口調で説明をするが、その顔は怒ったまま、窓の外の愛也に向けられている。
『いいでしょう、どうせ今はメイク中で手が離せないから、あとでたーっぷり、誠心誠意、納得ができるまで説明してもらいましょうかしら!?』
( ひぃーッ!?メイク中じゃなかったら乗り込んで来たような言い回し……、恐ろしや恐ろしや……)
そして強まる愛也への怒りの眼差し。それを気にも止めない、満面の笑顔の愛也。
それもその筈、『山崎愛也』が勇志の「偵察」をしたのは、これが初めてではない。もはや、常習犯というレベルである。
山崎愛也は「人の恋沙汰」や、「噂」とかそういう類いが大好物で、特に勇志が関係しているとなると、目の色を変えて飛び付いてくるのだった。
そして愛也自身、自分の趣味を良く理解していて、常々こう考えていた。「僕の生き甲斐は、勇志くんをストーカーすること」
山崎愛也は、自他共に認める、かなり残念な『サイコパスイケメン』であった。
「ブチッ!」と音が聞こえそうなほどに、歩美が通話を切るのを合図に、勇志はその場で糸の切れたマリオネットのように、テーブルに伏せるように倒れ込んだ。しかし、目の前の『問題』はまだ現在進行形で残っている。
「随分と恐そうな人ね、その人」
倒れ込んだ勇志に、時雨が口元に運び終わったコーヒーのカップを持ち上げたまま話しかける。
「まあ、いつものことだから……、その、なんかごめんな、待たせちゃって……」
歩美の怒鳴り声は、テーブルを挟んで反対側の時雨にも聞こえていた。流石に通話相手までは分からないだろうと、勇志が一息吐いた時に、「今の電話の相手は歩美でしょ?」と、見事に言い当てられて、驚愕の顔を隠しきれなかった。
「え!? なんでわかったの!?」
「貴方と歩美、いつも一緒にいるじゃない」
(時雨といい、歩美といい、女子はみんなエスパーか何かなのか!?)と勇志が考えるのも無理はない。
実際にエスパーなら、歩美に関しては愛也を使ってのイカサマなのだが、勇志にしては、どちらも自分のことをズバリ言い当てたエスパーに違いない。
取り敢えず、勇志は落ち着きを取り戻すために、飲みかけのカフェオレをグビッと口に流し込んだ。
「もしかして入月くん、歩美と付き合っていたりするの?」
「ゴボフッ!!?」
カフェオレを飲み込む瞬間に、時雨からとんでもない質問が飛ばされる。飲み込みかけたカフェオレは言うまでもなく宙を舞い散った。気管に入らなかったのだけは幸いだったろう。
「ちょちょちょ、ちょっと!?突然変なこと言わないでくださる!?」
「それはつまり肯定ってことでいいのかしら?」
「いや、付き合ってないし、お互いそんなふうに思ってないよ! むしろ、いいように扱われているというか、面倒を見られているというか、若干保護者みたいな感じというか……」
勇志は自分で言いながら、どんどん自分自身を傷付けていることに気付き、惨めさと情けなさに声のボリュームも徐々に下がっていく。
「そう、入月くんって鈍感なのね」
「へ?」
「気にしないで」
「はあ……?」
時雨が何の話をしているのか、勇志には当然のようにわからない。それよりも、時雨に指摘されたことで、勇志は改めて他人から『自分と歩美が付き合っているように見える』という事実に、頭が一杯になっていた。
結局、勇志も時雨もお互いに『2人きり』で話すという初めてのシチュエーションと、人付き合いが不得意という性格もあり、中身のある話は出来ず時間が過ぎていった。
2人とも、話している時間より沈黙していた時間の方が長いのは、言うまでもないだろう。
「入月くん、そろそろ時間なのだけれど……」
「げっ、もうそんな時間!?」
「ライブ会場にはどれくらいの時間で入場するのがいいのかしら?」
「えーと、今回は1時間前オープンだった気がする、あと座席番号はないから全部立ち見になるね」
「なら早く行きましょう、折角ガップレのライブに来たのだからよく見える場所がいいもの」
「お、おう……、そうだな……」
よく見える場所というが、あまりよく見られると恥ずかしいし、バレてしまうのが心配な勇志は、素っ気ない返事をしてしまう。
未だに、窓の外で顔を覗かせている奴を最後にもう一度睨みつけた勇志は、時雨のすぐ後を追うように喫茶店を後にした。
(フッフッフッ… 愛也、後で目にもの見せてやるからな…… 覚えてろよ!)