第1章 2 『六花大附属高等学校2-4』
学生の本分は学業である。しかし、学生の休み時間の話題はテスト期間を除けばその殆どが学業とは無縁な至って世俗的な話題なのである。
ここ『六花大附属高等学校』も県内有数の進学校の1つではあるが偏差値は中の上程度、良くも悪くも『普通』の高等学校であった。そんな六花大附属高校の普通科2年4組に通う普通の高校生(と、本人は思っている)『入月勇志』は、朝から変わることないクラスの話題から意識を逸らすように、窓側席の特権を使い、窓越しの空を死んだ魚のような目で眺めていた。
しかし、1つの教室の広さで大人数がボリュームが壊れたスピーカーのように話をするため、聞きたくなくてもその話し声は勇志の耳を刺激するのだった。
「ねぇ!聴いた? ガップレの曲!」
「うん!聴いた聴いた、すっごくイイよね~」
「ドラムのマシュ、ちょーカッコよくない!? 顔は隠してるけど、ドラムを叩くときのあの筋肉がたまんな~いッ!」
「え!? 確かにカッコいいけど、私はベースのヨシヤみたいな、なんかフワッとしてて優しそうな感じのがタイプかな~」
「わかってないな~、甘い歌声とアコギのアルペジオが織り成すハーモニー。そして謎に包まれた素顔… ギターボーカルのユウくんこそ、女の子の憧れの的、白馬に乗った王子様よ!!」
「確かに… つい妄想しちゃうもんね」
「ユウの素顔を知っているのは世界でただ1人、身も心も許した私だけ… みたいな~~ッ!」
「でもどーすんのよ? もしあの仮面の下がすんごいブサイクだったら…」
「そーよ、そーよ!あんな趣味の悪いお面を被ってるくらいだもの、何か後ろめたいことがあるに決まってるわッ! 」
(おいこら!勝手に持ち上げといて、最後の最後でボロカス言うのやめなさいよ! 近くで本人が聞いてるんだからね!?)
勇志は歯軋りをしながら、突っ込みたい感情をギリギリのところで押さえ込んでいた。
授業の合間や休み時間の高校生の一般的な話題と言えば、流行りのドラマや映画、雑誌やSNS、好きなアイドルや音楽などのエンターテイメントがその殆どを占める。
そして今日1番の話題と言えば、瞬く間に時の人となった【Godly Place】の面々や歌う曲の話だった。連日テレビやラジオで聞かない日はなく、流行に敏感な学生でなくても話題になる程、良くも悪くも世間を賑わせていた。
クラスメイトたちはまさか同じ学校の同じクラスに、噂の【Godly Place】のメンバーがいるとは夢にも思っていないことだろう。でなければ、本人たちを目の前にして、堂々と悪口など言えるはずもない。
「それにしてもボーカルのミュアって、ちょー可愛いくない!?」
「ねー、モデルみたいにスタイルいいし、歌もちょー上手いし」
「あたしもミュアみたいになりたいなー」
「「ムリムリ」」
「だよねー」
先程までガップレ男性陣の話でワーキャー言っていたそのままのテンションで、ガップレの顔であるメインボーカル『ミュア』について話がシフトする。
「でもさ、ミュアって謎だよね?」
「確かに! 年齢も本名も、なんもわかんないもんね」
「でもさー、テレビで見た感じ、化粧してやっとお姉さんってところだから、化粧とったら案外アタシらと同い年くらいだったりするかもよ~?」
「うそーッ! マジウケる~!」
なかなか鋭い観察力だなと、勇志は感心しながらそのクラスメイトへと横目を向ける。
しかし、その背後には教室前方の入り口から勇志の方へと向かってくる『桐島歩美』が映り、なぜか寒気を感じて身震いをしてしまった。
歩美は自分の話を大声でする女子生徒らを横目に見ながら、普段と変わらず落ち着いた様子で通り過ぎていく。その姿を見て勇志は、先程の寒気から取り敢えずは解放された。
「はぁ…… 勇志のクラスもガップレの話で持ちきりみたいね」
落ち着いた様子で女子生徒の間を潜り抜けたと思っていた歩美だったが、勇志に会うなり開口一番に出たのは「もううんざり」という気持ちが込められた大きな溜息だった。
「そりゃあまあ歩美のクラスも当然だよな…… お疲れー」
勇志はまるで歩美を別の戦場を共に戦い抜いた戦友のように、憐れみと労いを込めて同意しながら答えた。歩美のクラスは勇志のクラスの隣の2年3組で、日に2、3回は特に用もなく勇志の教室を訪れるのだった。
「朝からずっとこんな感じで、さすがにちょっとね……」
今日も歩美は特に用事はないのだが、やり場のないストレスと愚痴を溢す相手にするという名目で、隣のクラスである2年4組を訪れていた。
「耐えられているだけ大したもんだよ、俺は朝のホームルームの時点でもうギブアップだったわ…… それに引き換えこいつは――」
いつになったらこの騒ぎが落ち着くのだろうと、まだ初日だというのにそんな事ばかりを考えている。
普段から全くといって気の合わないガップレのメンバーらも、流石にこればかりは自分と同じ気持ちであろうと、勇志は信じたかったのだが……
勇志は上半身を後ろに振り返らせ、自分の背中に隠れるようにしてドラムマガジンを読んでいた人物を薄目で見下ろした。
「おい真純、どうしてお前はそんな涼しい顔をして、しかも何事もなかったように雑誌なんか呼んでられるんだ?」
「ん? そうだなー」
『真純』と呼びかけられた男子は、縮めていた身体をグッと伸ばしながら、勇志を見下ろすほどまでに上体を持ち上げた。
先程までの勇志に見下ろされていたのとは逆の構図になる。そして、彼は読みかけの雑誌を机に置き、少し考えるそぶりをしてからおもむろに口を開いた。
「ガップレの時の俺たちって、もう1人の『自分』みたいなものだろ? だから今の『自分』とは別の『自分』と考えれば、そんなに気にならないって感じかな?」
「…… 」
勇志も歩美も真純が言った言葉を頭の中で反復させながら、その言葉の真意を探そうと数秒の間沈黙が流れる。
「どうしよう歩美!?真純がそれっぽいこと言ってるみたいなんだけど、何言ってるか俺、全然わからないッ!」
先に折れたのは勇志で、頭を抱えながら隣の歩美に助けを求める。
「つ、つまり気にするなってことよね、真純くん!?」
何とか『真純の哲学』を自分なりに解明した歩美が、一言で簡潔にまとめて真純へと突き返すが「あれ? 俺なんか変なこと言った?」と本人はポカンとしているので、2人もそれ以上は真純に同意を求めることはしなかった。
この勇志のすぐ後ろの席、正確には2年4組の窓側列の前から3番目に座る『林田真純』こそ、【Godly Place】のドラム担当、ピエロ仮面の筋肉くん『マシュ』その人だ。
勇志との付き合いは幼少期からで、幼馴染の歩美に次いで長い。その割にはお互いにこれといって性格も趣味も合わないのだが、自然体でいられて気を遣わなくていいということもあって、事あるごとにお互いにペアを組んでいた。必然的に一緒にいる時間も長くなり、そんな中でお互いに音楽やらバスケやら共通の目的や趣味が生まれ、今ではお互いに『親友』と呼べる数少ない友人でもあった。
【Godly Place】というバンドも、最初は勇志と真純の2人が最寄り駅のロータリーで細々と路上ライブを演奏していたのが始まりだ。
数年前の話ではあるが、勇志にとっては既にいい思い出となっていた。昨日のアリーナライブのことを考えればそれも当然に思える。
さて、この六花大付属高校の2学年に【Godly Place】のメンバーが3人も在籍していて、偶然とは恐ろしいものだなと思うかも知れないが、実は残り2人のメンバーも全員この学校の生徒だったりする。
ベースの『ヨシヤ』の本名は『山崎愛也』で、勇志たちより学年は1つ下の1年生。
そして、存在を忘れている人も多いであろうリードギターの『ショウちゃん』、彼の本名は『白井翔平』勇志たちより1つ上の学年に在籍する3年生である。
初めに断っておくが、これは陰謀とかプロデューサー兼マネージャーの『水戸沙都子』の策略だとか、作者の都合(?)とかそういうわけではない。
では、どうして【Godly Place】のメンバー全員が同じ六花大附属高等学校に在籍かというと、なのかというと、結論から言えばそれは『偶然』だ。
勇志と歩美と真純は中学校も一緒、(勇志と真純に至っては小学校も一緒)で、勇志と真純は家から近い高校を選び、歩美も半分は家から近いという理由で六花大附属高等学校に進学した。
六花大附属高等学校の1年先輩にたまたま翔ちゃんがいて、その翌歳に「僕だけ仲間外れは嫌だ」とかいう理由で愛也も入学してきたのだった。
かくして、1つの学校に今話題の超人気バンドのメンバー全員が在籍ているわけだが、その事実は本人たちとその家族、関係者しか知らない秘密になっている。
「バレたらどうなってしまうか」なんて疑問は、火を見るより明らかだ。それに勇志としては趣味満喫ライフが送れなくなってしまうということだけは何としても避けなければならない超重要事項であった。
「それより勇志、忘れてないよね? 今日はガップレのアリーナライブ成功祝賀ライブで、駅前のタウレコでミニライブとサイン会があること……」
「あー…… 忘れてた」
勇志の耳元にプルっと艶やかな唇を近づけて、そっと小声で今日の予定を教えてくれる歩美に緊張したのか、はたまた本当に忘れていたのか、目を伏せるようにして勇志は答えた。
「そういえば昨日のライブ終わりに水戸さんがそんなこと言ってたような気もしないでもない」
「も〜、本当に忘れっぽいんだから」
呆れ顔の歩美に勇志が「てへぺろ」と可愛いく返す。残念ながらその可愛さには歩美には届かず、逆にムッとした顔でお返しとばかりに額に軽くデコピンをお見舞いされてしまった。
形勢不利と見た勇志は、額を摩りながら話を先に進めることにした。
「じゃあ放課後、直接タウレコに行けばいいな」
「そうね」
「でも30分もしないで着いちゃうか、ライブまでどっかで時間潰すか?」
六花大附属高等学校から最寄り駅まで徒歩10分程、そこからCDショップ【タウンレコード】通称『タウレコ』がある駅は3駅程、電車の時間もあるが掛かっても30分程の距離だった。
放課後にそのまま素直に現地へ向かえば、かなり時間が空いてしまう計算だ。
「私はメイクとかあるから、着いたらすぐ控え室に行くけど、勇志と真純くんはどうするの?」
「俺はせっかくだから楽器屋巡るかな、予備のヘッドもほしいし。勇志はどうする?」
真純の言う『ヘッド』とは【ドラムヘッド】のことで、所謂ドラムを叩く時の面のことだ。ヘッドも消耗品で凹みや音の鳴り方が変わってしまうため、一般的に数ヶ月に1度の頻度で交換する。しかし、パワータイプの『マシュ』こと真純は、数週間から長くても一月に1回は交換している。
『ガップレ』のギターボーカル『ユウ』こと勇志も、愛用のギターたちの消耗品である弦を定期的に変えなければならない。
そうしなければ、いずれ弦は錆びて硬くなり、押さえる指も痛めてしまう。しかし、勇志はパワータイプでもなければ『ギターの虫』でもないため、弦を交換するタイミングはレコーディングやライブの直前で、それ以外では弦が切れることでもない限り余程のことでは交換することはなかった。
そんなこともあって勇志は――
「あー、俺はゲーセンにでも行きますかね」
「ふーん……」
『ガップレ』でも『音楽』でもない、自身の趣味を平気で口に出来てしまうのだった。
歩美はジト目で真純はやれやれといった顔で勇志を見る。別に今に始まった事ではないため、あえて2人とも突っ込まないのであろう。そこにはどうせ言ったところで勇志が聞くわけがないという諦めも含まれているのは明白だった。
「取り敢えず目的地は一緒なんだし、放課後みんなで行きましょう。あとの2人にも連絡しておくね」
「おう、頼のむ」
「ありがとう歩美ちゃん」
気を取り直した歩美が予鈴に急かされるように話を終結させると、来た時とは正反対に軽い足取りで自分のクラスへと戻っていった。
ホームルームが終わり、歩美が2年4組に顔を出したところで3人で駅へ向かった。この3人で下校する姿はあまり珍しいことでもなく、時間さえ合えば何もなくてもこうして3人で帰ることもある。
しかし、歩美と真純もそれぞれ部活に所属しており、時間が合うことの方が珍しかった。なので、今では【Godly Place】の活動日限定の組み合わせといっても過言ではないだろう。
付け加えておくと、『山崎愛也』と『白井翔平』は現地集合である。この2人は基本的に集団行動が取れないタイプだ。
優れたミュージシャンに『常識外れ』だとか『変人』が多いと言われることがあるが、正しくこの2人はそれに当てはまるだろう。
【Godly Place】で言えば、残念ながらまともなのは歩美だけだろう。勇志と真純も『集団行動が取れない』とか、『変人』だとかいう訳ではないのだが、それとは違う意味で『常識外れ』だった。
何故これで【Godly Place】というバンドが成立してるのかは今世紀最大の謎のひとつである。
「なあ歩美、駅着いたら直でゲーセン行ってもいい?」
「ダメ、ちゃんとエスコートして!」
「へーい」
「歩美ちゃん、楽器屋はタウレコと逆方向だから俺はいいかな?」
「大丈夫、勇志がいてくれるから、ね?」
「真純はよくて俺はダメかよー」
「勇志は動機が不純だからでしょ!」
3人は並んで校門を抜ける。仲睦まじい様子は周りの生徒の目を惹きつけるが、その誰もが彼らを【Godly Place】だと思う者は誰一人いなかった。