第七十一話 ユダリルム辺境伯との謁見⑦
二度に亘る轟音に警戒を強める女中達だったが、ユダリルム辺境伯の使いが敷地内に侵入した賊の排除が終わった旨の報告を告げに遣って来ると、土筆の警護を解いて隣室へと戻っていく。
結局、何が起きどうなったかの説明もされぬまま解散となったが、凡その状況を把握できている土筆にとってそれは対して重要なことではなかった。
何事もなかったかのように静まり返った客室に取り残された土筆は、仕切り直しとばかりに装備していた武具を外そうと手を掛けると、風妖精シフィーの広範囲検索に異質な反応が現れる。
「ふっ。中々眠らせてはくれないな……」
土筆は相次ぐ睡眠妨害に対し心情を吐露すると、風妖精シフィーがもたらしてくれた情報を分析し相手に敵意がないことを確認する。
エッヘンの上空、ちょうど二回目の轟音が発生した辺りから飛行して接近していることを考えれば、コルレットと同じ使命を受けて行動をしている天使である可能性が高い。
土筆は装備を装着したままでベッドの端に腰掛けると、間もなく到着するであろう何かを待ち構えるのだった。
「クンクン、あの中ですわね」
天使ミレイアスは土筆の体内を流れるコルレットの香りを嗅ぎ分けると、土筆が待つ客室の窓から中を覗く。
「ほほーう、コルレットの匂いの元は彼ですわね」
天使ミレイアスはベッドに腰掛ける土筆を視認すると、躊躇うことなく壁をすり抜け部屋の中へ入って行く。
「敵意がないのなら、その場で止まってもらえませんか?」
土筆は天使ミレイアスが壁をすり抜けて侵入してきたことを察すると、隣室の女中達の監視があることを考慮し魔力を乗せた小さな声で語り掛けると同時に、自身の前の空間に現在置かれている状況を文字を使って説明する。
「あら? 貴方、私の存在が認識できるようですわね」
土筆との会話が可能だと判断した天使ミレイアスは、神力を解放し客室の内部を空間ごと切り取ると、土筆が視認し易くなるように自身の存在を具現化する。
「これで隣室を気にしなくて結構ですわよ。初めましてコルレットの眷属さん、私は天使ミレイアス、みーたんですわ」
天使ミレイアスは笑顔で自己紹介をすると、窓台の上に腰掛けて足を組む。
「コルレットの眷属? 確かにコルレットとは知らぬ仲ではないけど、眷属になった覚えはないな……」
現時点で天使ミレイアスがここを訪れた意図を把握しきれていない土筆は、認識の違いのみを訂正して相手の思考を読み解くよう意識を集中させる。
「そうなの? だって貴方の体には……」
コルレットの眷属であることを否定した土筆に驚いた表情を見せる天使ミレイアスは、土筆がコルレットの眷属である所以を口に出そうとして思い留まる。
「そうね……それは失礼しましたわ。貴方のお名前を伺っても宜しくて?」
天使ミレイアスは窓台の上に腰掛けたまま、組んだ足を解いてぶらぶらさせる。
「これは名乗らずに失礼しました、私のことは土筆と呼んで下さい。天使ミレイアス様」
相手が名乗った以上名前くらいは明かすべきだと判断した土筆は、偽名を使わず本名を名乗ると、ベッドに腰掛けたままお辞儀をして敬意を示す。
「そう、貴方は土筆さんって言うのね。私、あんまり堅苦しいのは好きじゃないですから敬語は不要ですわ。後、私のことはみーたんと呼んでくださって結構ですわよ」
どうやら、この天使ミレイアスもコルレットやポプリに引けを取らない独特な性格の持ち主らしい。
「では私のことも土筆と呼び捨てにしてもらって構わない……早速だがみーたん、ここに来た目的を教えてくれないか?」
初対面であれば遠慮すべき場面ではあるが、コルレットと類友であれば逆効果になり兼ねない。
土筆は相手の言葉をそのままの意味で受け入れると、二度目の轟音の原因であると思われる天使ミレイアスから情報を引き出そうと試みるのだった。
「特に無いわ。強いて言えば世間話をしに来たって感じかな?」
天使ミレイアスは窓台から飛び降りると、ソファーに腰掛けて身を乗り出す。
「偶然、コルレットの香りがする土筆を見つけたと言ったら信じる?」
天使ミレイアスは艶っぽい表情を見せると、疑問符を二つ並べて問い掛ける。
「ああ、信じるよ。少なくともコルレットの名前が出てきた時点で天使であることは間違いないからね」
コルレットと言う名前は、コルレットがこの世界に具現化している間の秘匿名であり、それを知っていると言うことはコルレットと何かしらの繋がりがあることを意味するのだ。
「フフフ。土筆、貴方は優秀な子ね。でもそんなに警戒しなくてもいいですわよ。私はコルレットと同じ調査……悪魔を退治するために動いてるだけですわ」
天使ミレイアスはそう言うと土筆の目の前まで移動し、人差し指を立てウインクをしてみせる。
「では、先ほどの轟音は貴方によるものなのか?」
天使は嘘を吐くことが出来ないことを知っている土筆は、天使ミレイアスが世間話だけをしに来たわけではないことを理解した上で会話を続ける。
「あれは私ではなくて悪魔の分体による自爆よ。二回目のは奴隷商の地下に幽閉されていた、有翼種族の子供を攫うのが目的だったみたいね。一回目の方は私も音を聞いただけだから何も知らないわ」
天使ミレイアスは情報を隠すつもりなど全くないようで、土筆の質問に淡々と答えていく。
「そう言えば、コルレットが生贄にするために人を攫っていると言ってたな……で、悪魔のテリトリーはまだ特定できてないのか?」
土筆はコルレットから聞いた話と擦り合わせながら、今エッヘンの街で起きているであろう異変についての情報を集めていく。
「街の中、それも地上付近の何処かにあるみたいですわね……あの悪魔、追い詰めると躊躇なく自爆してしまうから、残念ながら特定までは至っておりませんわ……」
悪魔ケルフルのようにテリトリーへ逃げ帰るのであれば、悪魔の持つ瘴気を追跡することで場所を特定できるのだが、エッヘンを騒がしている悪魔は目的を達成した後自爆して消滅するので追跡することができないのだ。
「せめて悪魔が狙う標的に先回りして目印でも付けることができれば、テリトリーを特定することは可能なのですけど……」
天使ミレイアスは人差し指で頬をトントンしながら困った表情をして見せる。
その話を聞いた土筆は、エッヘンで暗躍する悪魔が唯一失敗したであろう一回目の轟音に目を付けると、一つの可能性に辿り着くのだった。
「なあ、その目印ってどうやって付けるんだ?」
悪魔が行おうとしている儀式で必要なのは、贄となる生命と魔力の媒体となる魔石である。
そして、現在このユダリルム辺境伯別邸に悪魔が狙いそうな物は一つしか思い付かない。
「そうですわね……例えばこんな感じの物でしょうか……」
天使ミレイアスは土筆の問い掛けに暫し考えると、神力を解放し羽の生えた小さな生き物を模した何かを創造する。
「この子が対象に掴まって一緒にテリトリーまで移動すれば、場所の特定はできますわ」
土筆は天使ミレイアスとの会話で得られた情報を元に、頭の中で導き出された複数の解の中から最適な解を導出する。
「一つ確認するけど、悪魔のテリトリーを特定さえすれば間違いなく解決できるんだよな?」
土筆の導き出した解はユダリルム辺境伯の協力が不可欠になるため、その見返りとして今エッヘンで起きている問題の解決は絶対条件である。
「それについては天使ミレイアスの名に懸けて約束しますわ。悪魔のテリトリーさえ特定できれば、攫われた者達の救出と悪魔の消滅、この二つを約束するわ」
土筆はその言葉を聞きゆっくりと頷くと、自身が立案した作戦を天使ミレイアスに伝えるのだった。
「……朝になったら俺がユダリルム辺境伯に話を持ち掛けて、今日悪魔が奪おうとして失敗したボウラヴニスの魔石を囮に使うように説得する。今ここで確約することはできないが、十中八九承諾してくれると思う」
ユダリルム辺境伯の動きを見る限り、今エッヘンで起きている事件についてユダリルム辺境伯側がお手上げ状態になっていることは間違いないだろう。
ユダリルム辺境伯は今頃、別邸敷地内に異形のモノが現れた理由を探すのに頭を悩ませているはずである。
「わかったわ。土筆、貴方を信じますわ」
天使ミレイアスは土筆の作戦を聞き終えると、ここに立ち寄った幸運に感謝し、先ほど創造した羽の生えた小さな生き物を土筆に託す。
「フフフ。土筆、やっぱり貴方は優秀な子ね。もしコルレットに飽きたなら私の元に来ると良いわ。満足する待遇で迎えるわよ」
天使ミレイアスは艶っぽい仕草で土筆を誘惑すると、客室の壁をすり抜けて去って行くのだった……




