第五十四話 月下草と夜の森②
テントの設置が終わり火起こしをした土筆は、メルが狩ってきた角兎を解体して肉を取り出すと夕食の準備に取り掛かる。
「キャンプと言えばカレーなんだけどな」
残念ながらこの世界にはカレーという料理は存在しない。
メルと街の外へ肉狩りに出掛けてはフェアリープラントのタッツの能力”見識【植物】”を発動して色々と調べてはいるものの、カレーの中に入っている代表的な香辛料であるクミンやターメリックなどの代わりになりそうな素材はまだ発見できていないのだった。
「おっさん、良い匂いがする」
木登りして遊んでいたのか、獣耳や尻尾に枝葉を付けたルウツが臭いに釣られてやってくる。
「お兄さんな。今日はカレーっぽくなるように色々と香辛料を混ぜみた……味見するか?」
鍋の前で座り込んで動こうとしないルウツに見兼ねた土筆が小皿によそって手渡す。
「おっちゃん、おいらも欲しいっ」
少し遅れて木から降りてきたホッツもルウツの横に座り込むのだった。
「お兄さんな。皆で食べる分だから、少しだけだぞ」
土筆はそう言うと、別の小皿によそったカレーらしき物をホッツにも手渡す。
ルウツとホッツが満面の笑みで味見をしている間に、カレーらしき物の煮込み具合もちょうど良い感じで仕上がる。
料理の完成と時を同じくして素材採取をしていたカリアナ達が休憩を挟むため戻ってくるのだった。
「わあ、良い匂い」
弟子達から採取した成分を集め、錬金術を施した特殊な瓶に移し変えたカリアナが鼻をクンクンさせながら近づいてくる。
「酒はないぞ」
カリアナの酒癖を良く知っている土筆は、子供達の前で酒だけは飲ませまいと身構える。
「嫌だなあ、土筆さん。いくら私でも、お仕事中にお酒なんて飲みませんよ」
カリアナがパタパタと扇いでいる手とは逆の手が、腰に巻かれた鞄をさり気なく隠したのを土筆は見逃さなかった。
「そうだよな、さすがに素材採取の最中に飲酒なんてしないよな…………で、これは何かな?」
土筆は電光石火の早業でカリアナの腰鞄から小瓶を抜き取ると、中身が何なのか問い質す。
「ちょっ、まっ、そ、それ、特別なやつだからっ」
カリアナは腰に巻いていた鞄の中から小瓶が消えているのに気付くと、返せと言わんばかりに手を伸ばす。
「確かに……これはいい風味を出してくれそうだ」
土筆は小瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぐと、カレーらしき物にさらなる深みを加えてくれるだろうと考え、そのまま鍋の中へ流し込むのだった。
「ああぁぁぁぁぁ……」
まるで世界の終末を目の当たりにしたかのような表情で注ぎ込まれるお酒を見つめるカリアナは、相当ショックだったのか、手を伸ばした体勢のまま固まると、零れ落ちる涙で地面を濡らし続けるのだった……
夕食のメインとして作ったカレーらしき物は意外にも好評で、いつか本物のカレーを再現して皆に振る舞いたいと土筆は心の中で誓う。
「……鬼……鬼畜……人でなし……」
野外での開放的な食事に盛り上がる中、カリアナだけは沈んだ空気に満たされていた。
「そろそろ機嫌直そうよ……な?」
まさかここまで落ち込むとは思っていなかった土筆は、温かい紅茶の入ったカップをカリアナに手渡すと隣に座る。
「この場所で飲むの楽しみにしてたんだからね……」
紅茶の入ったカップ受け取ったカリアナは、口を尖らせながら呟く。
「ああ、悪かった。ちょっと悪ノリし過ぎたと反省してる」
土筆はそう言うと、申し訳なさそうな表情を見せる。
「今度埋め合わせするからさ。そろそろ機嫌直そうよ……な?」
土筆の言葉にカリアナが顔を上げる。
「本当?」
「何が?」
質問に質問で返した土筆にカリアナの頬が膨れ上がる。
「今度埋め合わせするって言ったこと」
カリアナの性格を考えると、もう一度素材採取の護衛をするか、飲み屋でお酒を奢るかのどちらかだろう。
「ああ、本当さ。俺は嘘を付かないような生き方をしてるつもり」
土筆はどちらを要求されても応じられると考え、誠意を主張して見せる。
「なら、今度奢って」
言葉から察するにお酒の方らしい。
「構わないけど、何を奢ればいいんだ?」
「まだ考えてないけど、今度奢って」
てっきり目的の物があると思った土筆は確認をしようと尋ねたのだが、どうやらカリアナは内容を決めて言ってるのではないようだ。
「まあ、俺が奢れる範囲の物でよければね」
「約束だからねっ」
カリアナは土筆から言質を取ると、漸く機嫌を直してくれるのだった……
「んんんっ……これはっ!? 珍しいお肉発見っ」
カリアナ達が素材採取再開の準備を始め、土筆が夕食の後片付けをしていると、残り物を全て平らげてゴロゴロしていたメルが突然跳ね起きる。
「メル、日の出までには戻って来いよ」
重要なことなのでメルが立ち去る前に土筆が声を上げる。
「うんうん。ちゃちゃっと行って、さっと帰って来るね」
メルはそう言い残すと、残像を残す勢いで飛び出していくのだった。
「……メルさんって、冒険者ギルド以外でも結構有名な人だけど、ほんと雲のような人だね」
土筆とメルの遣り取りを見ていたカリアナが、メルが向かったであろう方角を見ながら声を漏らす。
「そうだね、それを否定はできないな……」
カリアナの的確な表現に、土筆は肯定以外することができなかった。
土筆はメルが遠くに出掛けていったことを受けて風妖精シフィーを召喚すると、安全確保のための索敵をお願いする。
メルが土筆達の近くに居る間はその異質とも言える存在の影響により、この付近に生息する魔物達も本能で避けようとするので近寄ってこないのだが、メルの影響力が及ばなくなるとその限りではない。
「まあ、この辺りに生息する魔物なら俺一人でも大丈夫だろうけど」
月下草は魔素の薄い地域を好んで生息する植物なので、先日のスタンビートのようにイレギュラーな事態でも起きない限り危険度は低い。
とは言え、冒険に絶対は存在せず、その油断が文字通り命取りにも成り得るのだ。
土筆は有事の際に冷静に動くことができるよう、装備している武器や腰に撒いた鞄の中身をもう一度チェックするのだった。
使った食器や調理器具を片付け終わり物音がしなくなると、焚き火の爆ぜる音が周囲を支配し始める。
久々の森を満喫して疲れたのか、ルウツ、ホッツ、シェイラの三人は土筆が用意した簡易テントに潜り込んで直ぐに寝息を立て始める。
ホズミは三人が寝静まったのを確認すると簡易テントから出て、焚き火の灯りが届く場所に持ち運び用の小さい椅子を置いて腰掛ける。
「ちびっ子達はもう寝たのか?」
土筆は温かい飲み物が入ったカップをホズミに手渡すと、テントの中の様子を尋ねる。
「はい、久々に森と触れ合えて幸せそうな寝顔をしていますよ」
ホズミも幸せそうに微笑む。
「まだまだ気付けないことばかりで申し訳ないな……」
子供達を引き取ってから今日まで接してきて、何処かで遠慮しているとは感じていたものの、それが遠慮なのか慣れなのか土筆には判断がつかなかったのが真情だ。
冷静に考えてみれば、前世で育てた二人の愛娘の心情すら理解できていたとは言えないのに、生まれも育ちも違う子供達を完全に理解できるはずがあるわけがない。
「そんな……私は土筆さんに引き取ってもらえて良かったと思ってますよ。シェイラが有りのままの姿で居られるのも土筆さん達のお陰ですし……」
ホズミはそこまで言うと、カップに口を付け焚き火に視線を移す。
「きっと、他の子達も感謝してると思いますよ」
ホズミは飲み干したカップを土筆に返すと「おやすみなさい」と言い残し、簡易テントの中に入って行く。
土筆はホズミが簡易テントに入って行くのを見送ると、焚き火の爆ぜる音を背景に空を見上げ、前世で愛していた家族の姿を思い浮かべるのだった……




