第三十二話 土筆と八人の孤児④
深い森をイメージしてデザインされたであろうホズミとシェイラの部屋に置かれたベッドの上で、苦しそうにしているシェイラが横たわっていた。
シェイラがエルフ族の子だと気付いていたコルレットは、シェイラの守護獣であるホズミの様子から事態の深刻さを瞬時に感じ取っていたのである。
「これは魔力溜まりっすねっ」
コルレットは神力を宿した右目でシェイラの状態を確認すると、空間から空っぽの高位魔石を取り出しシェイラの胸に当て魔力を吸い取る。
魔力溜まりとはハイエルフにのみ発症する幼年期から少年期に見られる疾患の一つで、魔力の扱いに不慣れなことが災いして体内を循環する魔力を上手に放出する事ができず、滞った魔力の暴走により高熱を引き起こしてしまうのである。
「高位魔石でも容量足りないっすか……」
コルレットは土筆達が到着した事に気付く素振りも見せず、空間から新しい空っぽの高位魔石を取り出すと、再度シェイラの胸に当て魔力を吸い出すのだった。
「……何とかなったっすねー」
コルレットは止めどなく溢れ出る大粒の汗を拭うと、さすがに疲れたのか隣に並ぶように設置されているもう一つのベッドに力無く腰掛ける。
結局、シェイラの魔力溜まりは空っぽの高位魔石四つを満たして収まったのだった。
体に溜まった魔力による高熱でうなされていたシェイラも、今では安らかに寝息を立てている。
コルレットと入れ替わるようにシェイラの元へ歩み寄ったホズミは、シェイラの様子を見て安心したのか、その場に両膝を落とすとシェイラの小さな手を両手で包み込み涙を流すのだった……
土筆とコルレットはホズミが落ち着くのを待ってから食堂兼休憩室へと移動する。
厨房では踏み台に乗ったポプリが、土筆の代わりに浮かんでくる灰汁を丁寧に掬い取っているのだった。
その可愛らしい姿に土筆とコルレットが思わず笑みを浮かべ顔を見合わせると、それに気付いたポプリはむっとした表情でテーブルに戻り、苛立ちを抑えるように本を開く。
「ポプリ、ありがとうな」
土筆は素知らぬ顔で本に視線を落としているポプリにお礼を言うと、厨房での砂糖抽出作業に戻る。
コルレットが座っている一つ隣のカウンター席に腰を下ろしたホズミは、感謝と共に謝罪の言葉を口にする。
「ありがとうございました。そしてごめんなさい……」
握りしめた拳を太腿の上に置き、申し訳なさそうに俯いたまま小刻みに身を震わすホズミは、自身の取った行動に対して自責の念に駆られているのだろう。
「俺は何もしていないけど、シェイラが無事で本当に良かったな」
土筆は浮かんでくる灰汁を掬い取りながら、暖かい飲み物の準備を進める。
「そうっす、大事にならなくって本当に良かったっすよー。でも凄いっす、高位魔石四つも満たせる魔力なんてハイエルフ並みっすよー」
コルレットの言葉にホズミは思わず息を呑み込む。
その動きを見逃さなかった土筆は、ホズミが話を切り出し易くするためにコルレットが故意に仕掛けたのだと察し、知らぬ存ぜぬを決め込むのだった。
「……コルレットさんが仰る通り、シェイラ様はハイエルフの子供です」
純血同士のエルフの間に生まれた子供の中には、生まれながらにして高い魔力を宿す極めて希有な赤子が誕生することがある。
俗に言う先祖帰りであるが、エルフの世界では奇跡の赤子して崇敬の対象となり、ハイエルフとして大切に育てられるのである。
「そして、私はシェイラ様をお守りする為に遣わされた守護獣なのです」
そう言ってホズミは自身に掛けた魔法を解除すると、その姿を九尾の狐へと変化させる。
土筆はホズミ本来の姿を目の当たりにして、灰汁を掬っていた手が止まるのだった。
「ツクっち。なーに見惚れてるんっすかー」
コルレットは自身の胸の付近を両手で隠し、口許を緩ませて笑いを浮かべる。
「おっと、いけない。余りにも膨らみがなさ過ぎて、つい見入ってしまった」
土筆は慣れた返しでコルレットを軽くあしらう。
「ツクっち、それ酷いっす。コルレットちゃんはまだ成長期っすから。発展途上っすから。将来有望っすから。絶対後悔するっすよー」
ホズミは口を尖らせて猛反論するコルレットと、それを上手に捌く土筆を見てクスっと笑みをこぼす。
土筆とコルレットはその様子をちらりと盗み見ると満足そうに顔を見合わせ、ホズミが話し易くなるまで雑談に花を咲かせるのだった。
砂糖抽出作業も終盤に差し掛かり、透明だった液体は白みを帯びた粘り気のある水飴状に変わる。
火から下ろした鍋の中身をかき混ぜながら、土筆が味見をしてグッドサインを作った頃、幻覚魔法で獣人の姿に戻ったホズミが口を開く。
「土筆さん、コルレットさん、私の話を聞いてくれますか?」
土筆とコルレットはアイコンタクトを取るとゆっくりと頷き、ホズミの話に耳を傾けるのだった……
この大陸の中央を東西に分断している竜の住処と呼ばれる山脈の麓にあるエルフの集落でシェイラは産声をあげた。
エルフたちの常識では、ハイエルフは純血同士のエルフの間でしか生まれないとされているため、シェイラはその身に宿る高い魔力を誰にも調べられる事なく育てられたのである。
長命種族として知られるエルフは子供の出生率が極めて低く、それ故、生まれた赤子は集落全員の祝福を受けて育つ。
シェイラも沢山の愛情を受け、すくすくと育っていくのだが、ある日の夜、突然の高熱がシェイラを襲ったのだ。
魔力溜まり発症による高熱だった。
信仰心が高い事で知られるエルフにとって、例外とは忌むべき事象であり罪である。
その日を境にシェイラを取り巻く環境は一転し、シェイラを身籠った母は森の中で謎の死を遂げ、最愛の妻の死を悲嘆した父はシェイラを残し一人集落を去ってしまう。
その後、両親を失い塞ぎ込んでしまったシェイラは集落の長老達の手によって幽閉されてしまうのだが、それを憂いた女神ヴァナディスは守護獣としてホズミを差し遣わし、シェイラを集落の外へ解き放ったのである。
「私はシェイラ様を抱き抱え、少しでも集落から離れるために森の中を南下しました」
エルフの集落を脱出したホズミは夜通しで森の中を移動し、朝方になって漸く休むことができそうな場所に辿り着く。
「私はそこで結界を張り、衰弱してしまったシェイラ様の回復に努めました」
献身的なホズミの手助けもあり、シェイラはゆっくりと回復していった。
日常生活に問題がなくなるまで回復し、徐々に笑顔を取り戻し、会話の頻度も増えていった矢先、森の南方でスタンビートが発生し魔物の大群が北上してきたのである。
「私達は魔物の群を回避しながら、森の中を更に南下しました」
ホズミ達は南下したその先で、魔物の襲撃に遭い壊滅した村に辿り着いたのだった。
「私は悪意のある者にシェイラ様がハイエルフであることを知られるのを恐れ、幻覚魔法を使って獣人の姿に扮装し、彼らの中に紛れ込むことにしました」
その後は開拓村の避難民に紛れ込んでメゾリカの街まで移動し、冒険者ギルドで孤児院の受け入れ拒否騒ぎに巻き込まれ、土筆による大芝居を経て今に至るのだった。
「それは大変だったっすねー」
コルレットは目に涙を浮かべならがホズミの話を聞いている。
「本当は隙を突いて雲隠れしようと考えたのですが、移動中に知り合った獣人の子供達とシェイラ様が仲良しになられたので……騙すつもりはなかったのですが、結果的に騙すことになってしまい本当に申し訳ございませんでした……」
ホズミはそこまで言葉を綴ると、立ち上がって深く頭を下げるのだった。
「君の話の何処に謝らなければいけない要素があるんだ?」
土筆はカウンター越しからホズミ肩に手を置くと、優しい口調で言葉を続ける。
「君は正しい選択をしたんだから、何一つ謝る必要なんてないよ」
ホズミの瞳から一粒の涙がカウンターの上に零れ落ちると、コルレットが優しく背中を擦るのだった……
「それで、ツクっちはどうするんすか?」
土筆が新しく用意した飲み物に口を付けたコルレットが問い掛ける。
「どうするって、何をだい?」
本当なのか、とぼけているのか、見極めるのが難しいから厄介である。
「何をって、シェイラちゃん達の事っすよ」
コルレットはど真ん中に豪速球を投げ込む。
「そんなの、皆に伝える以外の選択肢なんてあるのか?」
普段はとても思慮深い土筆だが、時折一驚を喫するような直感的な発言を繰り出してくる。
「……!?」
この発言には読書にふけっていたポプリも驚いたようで、思わずコルレットと目が合うのだった。
「えっ? だってシェイラは他の獣人の子達と友達続けたいんだろう? それならいつかは話す時が来るわけだから……絶対に早い方がいいと思う」
土筆の正論に納得はできるのだが、認めたくないと言う雰囲気が漂う。
「でもツクっち? 打ち明けるタイミングとかあるんじゃないっすか?」
コルレットは手振りを添えて何とか言葉を絞りだす。
「それは大丈夫だと思うよ。俺はあの子達が違う種族だからと言って急に態度を変えたりはしないと確信してるから」
自信満々に言い切った土筆に対し、もはやこの場に疑問を投げ掛ける者など存在しなかった。
「そうね、話すつもりなら早い方が良いと思うわ」
傍観を決め込んでいたポプリも土筆の意見に賛同する。
「話すも何も、本来の姿で普通に登場して挨拶すればいいと思うけどな?」
土筆の告白すら必要なし発言にどよめきが起きる。
「でも宿舎の外に出る時は、必要に応じて今まで通り幻覚魔法で姿を変えた方が良いかもしれないね」
土筆はそう言うと、出来上がった砂糖をガラスの容器に移すのだった……
話が終わりホズミは肩の荷が下りたようで、土筆達に深々と頭を下げて部屋に戻って行った。
ホズミが立ち去った後、静かに本を閉じたポプリも自室へ戻って行く。
一部始終を見届けたコルレットも心なしか気分が晴れたようで、大きく伸びをすると飛び跳ねるように椅子から立ち上がる。
「あっ、コルレット?」
帰ろうと宿舎の出入り口に向け歩き出すコルレットに対して土筆がウッガーの卵の調達をお願いすると、コルレットは得意気に振り向いた。
「あるっすよ。ウッガーの卵」
そう言いながらコルレットは、空間からウッガーの卵を取りだして土筆に手渡す。
「実は今日ツクっちと別れた後、西の平原でブラブラしてたら偶然見つけたっすよー」
偶然なのか想定していたのかは分からないが、土筆はコルレットからウッガーの卵を有難く受け取ると、明日のおやつにコルレットを招待する。
「本当っすか? コルレットちゃんナイスっす」
コルレットは土筆からの誘いにガッツポーズを決め喜ぶと、鼻歌を歌いながら帰っていくのだった。
「砂糖と卵が手に入ったから、後は以前市場で購入した物と牛乳の代用品さえ揃えばアレが作れるな……」
土筆は材料が置いてある戸棚の前に立つと、頭の中でアレを作るためのレシピを思い出して必要な材料を確認する。
「おやつは大丈夫だけど、昼食の食材は買い出しに行かないといけないな」
土筆は明日買う物を大まかに決めると、照明用の魔法石の魔力を遮断して灯りを消し、就寝するために自室に戻るのだった……




