第二十話 薬草採取の指名依頼
翌日、朝にめっぽう弱いメルは土筆による献身的な働きにより寝坊を免れ、昨晩のメインディッシュの残り物であるボア肉のサンドイッチを頬張りながら、土筆が用意した弁当を持って冒険者ギルドへ出発する。
メルを見送った土筆は運動着に着替えて入念に準備運動をし、日課となっている朝の鍛錬を始めるのだった。
昨日と同じように足場の悪い荒れた土地を自分のペースで駆けて行くのだが、昨日までと違うのは、ランニングの途中で朝食を食べているモーリス達と会い、ちょっとした交流を図ることだ。
土筆が念話を通して会話できるのはモーリスだけであるが、モーリスを介することで他のゴトッフ達の意見にも耳を傾ける事ができる。
昨日の今日で特に何かがある訳ではないが、一先ず、モーリス達は寝床も餌場も満足しているみたいである。
モーリス達との束の間の交流を楽しんだ土筆は、ランニングを終え宿舎に戻るとその足で中庭に移動し、井戸水を使って汗を流す。
その後、失った水分を補給しながら体幹トレーニングを行い、最後に黒鋼鉄と言う樹木で作られた重い木剣を手に、無心で剣を振るう。
全ての鍛錬が終わる頃には午前の大半が費やされるのだが、娯楽と言うものが殆ど存在しないこの世界では、活動に費やされた時間よりも手持ち無沙汰で持て余す時間の方が遥かに煩わしく厄介なのである。
昼になり、ポプリと二人で簡単に食事を済ませた土筆は、夕方までのんびりと過ごそうと自室に向かうのだが、二階へと続く階段に差し掛かった時、宿舎の出入り口から見知った人の呼ぶ声を耳にする。
土筆は昨日メルの話を聞いていた時、こうなる事を何となく予感は感じていたのだが、それが現実になった瞬間であった。
居留守を使ってまで外せない用事がある訳でもなく、ここまで出向いてくれた人を無下に扱うのも忍びない。
土筆は大きめのため息を吐くと、宿舎の出入り口の扉を開けるのだった。
「こんにちは、土筆さん。ギルドから指名依頼が入っているので、お時間頂けないでしょうか?」
土筆が予想した通り、扉の前にはミアが立っていた。
ミアが言う指名依頼の内容は十中八九、魔物に襲撃された開拓村からの避難民に関することだろう。
土筆はミアの問い掛けに了解の意思を伝えると、急いで身支度を整え冒険者ギルド・メゾリカ支店へ向かうのだった……
今回、土筆がミアに案内された部屋はゾッホの執務室ではなく、交渉場所として使われる応接室だった。
ミアの後に続いて土筆が応接室に入ると部屋の中には既に先客がいて、土筆の姿を見ると同時に立ち上がり軽く頭を下げる。
「初めまして。錬金術ギルドのカリアナと申します」
自らをカリアナと名乗る小柄な女性は、簡単に自己紹介を行うと、右手を差し出して土筆に握手を求めた。
「初めまして、土筆です」
土筆は求められるまま握手に応じると、同じ様に自己紹介を行う。
ミアは二人の自己紹介が終わったタイミングで用意していた紅茶をテーブルに置くと、土筆とカリアナは対面するようにソファーに腰掛ける。
二人が座っているソファーの間に設置されたテーブルには依頼書などの羊皮紙が置かれていて、ミアは二人に紅茶を勧めると、指名依頼についての説明を始めるのだった……
今回の指名依頼の標題は”薬草の採取”で、内容は明日から六日間、依頼者から指名された者達でチームを組み、指定した区域で薬草採取を行うと言うもので、依頼主は冒険者ギルドと錬金術ギルドの連名となっているのだった。
「今回は指名依頼になりますので、薬草の買い取り価格に上乗せする形で錬金術ギルドから報酬が支払われます」
ミアは依頼書の内容を一通り説明すると、土筆に質問がないか確認を行う。
「では二つ程……まずこの依頼書を読む限り、依頼期間以外は全て依頼者の指示となっているようですが、それらの指示に不服がある場合、請け負った側は拒否する事が可能ですか?」
この世界でのあらゆる契約は女神ミシエラによって厳格に管理されている。
故に、曖昧な条件での契約を結んでしまうと取り返しのつかない事態を招き兼ねないのである。
「はい、可能です。契約の前に曖昧な部分については詳細を明示しますので、その時点でご納得できなければ断って頂いても問題ありません」
カリアナは物腰柔らかな口調で土筆の質問に答える。
どうやらミアが説明に使用したこの依頼書は、指名を依頼する土筆以外の冒険者達にも繰り返し使われるようで、請け負う者によって内容が異なる部分については曖昧な表記になっているようだ。
「なるほど……それではもう一つ、今回大量に薬草を必要とする理由を伺う事は可能ですか?」
土筆の頭の中ではリエーザやメルから聞いた話を元にある程度の推測は成り立っているのだが、やはり推測ではなく確定にするべきだと考えたのである。
「それについては私からお話します」
ミアはそう言うと、今回の指名依頼へと至った理由を語り始めるのだった……
ミアが語った内容は土筆が想定していたものとほぼほぼ一致していた。
予想外だったのは、開拓村が受けたのは魔物の襲撃ではなくスタンビート、いわゆる魔物による集団暴走だった事である。
通常、開拓村の近辺では安全を確保するために魔物の間引きが日常的に行われている。
多くの場合、討伐を生業にしている冒険者が開拓村に滞在しながら周辺の魔物を討伐するので、スタンビートが起きる前には何らかの兆候に気付くはずなのである。
ミアの話では、冒険者が異変に気付いた時には既にスタンビートが始まっていて、魔物の群れはその規模を拡大させながら竜の住処と呼ばれる北の山脈に向かって進行していたようだ。
この話が真実であれば、スタンビートの発生場所付近に未発見の洞窟や大規模な魔物の巣など原因の元になった何かが存在する事になるのだが、その原因の調査は当然として、スタンビートの進路付近にある街などへの対策も必要になる。
「はい、スタンビートに関する対応については領主様による指揮の下、既に領軍が動いているので心配はありません」
ミアは土筆の指摘に淡々と答えると、指名依頼に至った核心へと舵を切る。
「現在、開拓村へと続く街道沿いにある騎士団の各詰所で、重症者を優先しながら怪我を負った人の受け入れを行っているのですが、既に収容人数を超過している状況です」
メゾリカの街から東の森の奥にある開拓村までは街道が整備されていて、街道の安全確保の為に一定距離ごとに騎士団の詰所が設置されている。
騎士団の詰所は街道を巡回している騎士団員が一時的に待機する為の場所であり、当然の事ながら、一つ一つの規模は小さく収容できる人数も限られる。
「メゾリカの街では今後の対応について話合いが行われ、街の北側の開発地区に受け入れ用の野営場を準備している最中ですが、街の在庫を支援物資として騎士団詰所へ提供した事もあり、早急に物資の不足を解消する必要に迫られたのです」
土筆からの質問が終了した事を確認したミアは、引き続き曖昧だった部分の穴埋めを行う。
「今回土筆さんにはこちらのカリアナさんとチームを組んでもらい、東の森の北側にあるこの付近で薬草採取をお願いしたいと思っています」
ミアはテーブル上にメゾリカの街の周辺地図を広げると、該当する地域を指先して円を描く。
「薬草採取に際しては毎朝冒険者ギルドにて出発の報告と帰還の報告を行ってもらいます。尚、錬金術師であるカリアナさんは非戦闘員扱いとなりますので、今回の薬草採取依頼には護衛業務も含まれていると考えてください」
その他の留意点としては、薬草採取は同行者と共同で行うのだが、その採取した薬草を売る事で売られる金は全て請け負う側が手にする事ができる。
更に請け負った側は、指名依頼の報酬として同額の金額が上乗せして支払われるのである。
「随分と好条件だな……」
報酬の話を聞いた土筆が思わず声を漏らすと、ミアはクスッと笑みを浮かべるのだった。
「確かに土筆さんにとっては好条件だと思いますが、他の冒険者さんにとっては妥当な条件になると思いますよ」
この時カリアナは、ミアが言った言葉の意味を理解する事が出来なかったのだが、今回の依頼を土筆と共に行動することによって、その身を以て知る事になるのだった……




