九八話 厳然たる鍋奉行
「――見つけたぞっ!」
そして俺たちは匂いの発生源に辿り着いた。
仰向けに倒れている迷彩服の男。三十代の丸坊主の男という身体的特徴もそうだが、身体から強烈な匂いを発しているので捜索対象である事は明白だ。
意識を失っているのか死んでいるのか遠目では判断できないが……と心中で不安を覚えながら駆け寄り、すぐに遭難者の状態を調べる。
「よし、息はある。気を失っているだけだ」
最悪の事態は避けられたという事で、思わずホッと胸を撫で下ろす。
男は両足を怪我している様子だが、その他には大きな外傷は見られない。足の怪我で移動力を失った事によって帰還が遅れていたのだろう。
「どうやら疲労で昏睡しているらしい。とりあえずはこのまま寝かせておいて、俺たちは今の内に食事の支度といこう」
遭難者の男は見るからに痩せこけている。
怪我をした事で食事量を制限しながら凌いでいたものと思われるので、ここは気を利かせて食事を用意しておくべきだろう。
「おう、オレが肉を獲ってくるぜ!」
食事と聞いてテンションが上がったのか、カンジはスーパーで肉を買ってくるかのような勢いで飛び出した。こちらの返事を全く聞かないのは安定のカンジだ。
完全にキャンプ感覚なのは困ったものだが、遭難者の生存を喜んでいる気持ちも感じられるので責められない。俺の方は火でも起こしておくとしよう。
「しかしそれにしても、調査機関に渡されたサバイバルキットの数々は優秀だな。国がバックに付いているだけの事はある」
「カァッ、流石に樹海関係の予算には金を惜しまないらしいな」
調査機関の人間と面談してから即座に出発した形だが、その際に受け取った非金属製の装備は男心をくすぐるものだった。
強化プラスチック製のナイフ、特殊な耐熱ガラス製の鍋。市販品より品質の高い『樹海御用達』の逸品が目白押しである。
しかも乾燥野菜などの食料品も貰っているので至れり尽くせりと言う他ない。
帰還したら装備品を報酬で貰えないだろうか? などと考えながら上機嫌で食事の準備をしていると、狩りに出たカンジが意気揚々と帰ってきた。
「カァーッ、また大物を獲ってきたもんだな」
「へへっ、なかなか美味そうな猪だろ。ちょうどその辺で見つけたんだよ」
一見すると『牛?』と誤認するようなサイズの猪を狩ってきたカンジ。
この短時間で、それも素手で仕留められるような獲物ではないが、カンジの能力を考えればそれほど不思議ではない。
カンジの能力である『鉄壁』。これは守りだけでなく攻撃にも利用出来るらしく、インパクトの瞬間に拳を硬化させる事で凄まじい威力を生み出せるらしいのだ。……まったくもって村でニートをさせるには惜しい逸材である。
「よしよし、でかしたぞカンジ。とりあえず、ぼたん鍋にするから肉を捌いておいてくれ。俺の方は出汁を作っておこう」
「おうっ!」
鍋を火にかけながら鍋奉行として依頼する。
俺はたとえ野外の鍋であっても妥協はしない。潤沢とは言えない手持ちの食材を活かして最高の鍋を作ってみせよう。
少しずつ湯気を出し始める鍋。
そろそろ昆布を取り出してキノコの出番か、と慎重にシイタケを投入する。沸騰する直前の絶妙なタイミング、俺は鍋奉行として鍋の成功を確信していた。
しかし、そこでカンジが予想外の行動に出た。悪意のない笑顔で「これも入れようぜ!」と――何処かで採ってきた紫色のキノコを投入したのだ!
「――ガッデムッ!!」
「ぐごぉっ!?」
これはいかん、つい反射的に鍋奉行パンチが炸裂してしまった……!
殴られたカンジはニッコリしているが、友人を殴るという意味でも頭脳派探偵という意味でも許されない振る舞いだった。
「悪かった悪かった、少し乱暴な真似をしてしまったな。しかしカンジ、鍋に得体の知れない物を入れてはいかんぞ」
「へへっ、このキノコはなんとなく食えそうな気がしたから大丈夫だ!」
くそっ、この発言からすると自分も食べた事のないキノコを入れている……!
未知のキノコを投入するとは信じ難い暴挙。このようなワンダーフードを飢えた遭難者に食べさせるつもりなのか。
「カァァッ……鍋が紫色に染まってやがるぜ」
そう、俺の鍋は毒々しい色に染まっていた。
驚くべきは着色力。鍋にほうれん草をそのまま入れると、鍋全体が『ほうれん草』という味に染まるが、今回のキノコもそれに近い侵食力を持っていた。
しかし、これはどうしたものか……。
安全性を考えるなら廃棄すべきなのだろうが、折角の鍋を捨ててしまうのは勿体ない。野生の勘を持っているカンジが保障するなら食べてみるべきだろうか。
「仕方ない、少しだけ試してみるか……」
俺は紫色のキノコを掬い上げて検分する。
とりあえず見た目、これは問答無用でアウトだ。どこからどう見ても毒キノコにしか見えない毒々しいカラーリングである。
問題は食べられるかどうかだが……ふむ、軽く齧ってみた感じでは悪くない。舌にピリッと刺激があるのは少々気になるが、味そのものはシメジに近いと言える。
「ふむ、見た目は悪くとも食べられそうだな。今のところは身体に異常も無い」
遅効性の毒がある可能性は残るが、少なくとも即効性の毒は無さそうだ。
この遭難者もそれなりに頑健そうな雰囲気があるので大丈夫だろう。
そんなわけで気を取り直して料理を続けていると、俺たちの声が騒がしかったのか美味しそうな匂いが届いたのか――遭難者が意識を取り戻した。
「…………うぅっ、っく」
「目が覚めたようだな……ああ、大丈夫だ。俺たちを警戒する必要はない。俺はあんたの上役に救出を依頼された者だ」
男が警戒心を見せていたので入森許可証を提示しておく。この入森許可証は所持者が少ないので身分証明には最適なのだ。
果たして、坊主頭の男は表情を和らげて安堵の息を吐いた。
「……かたじけない。よもや助けが来るとは思わなんだ」
「あんたの上役が面子に拘ることなく外部に協力を求めた結果だ。本来ならここまでしないだろうが、あんたは部下思いの良い上司を持ったようだな」
この男は調査員仲間からは疎まれているようだが、俺に仕事の依頼をした上役の人間が心配していた事は間違いない。
実直そうな印象を受ける男なので人柄を好かれているのだろうと思う。
「まぁいい、食事の支度は済んでいるから食事にしよう。細かい話は後だ」
なにはともあれ食事の時間だ。
坊主頭の男は頬がこけているし、カンジもぐつぐつ煮えている鍋が気になっているのか話を聞いていない。料理が完成する頃合いで目覚めたのは実に好都合だと言えるだろう。……だが、坊主頭の男は顔を曇らせた。
「拙僧の臭いは余人の害となる。食事であれば距離を取ってもらえぬだろうか」
一人称が『拙僧』の人間は初めてだ。
坊主頭で荘厳とした顔立ちなので軍服を着た修験者という印象を持っていたが、もしかすると本職が僧侶で副職が調査員なのだろうか……?
……いや、今はそんな事はどうでもいいか。
「何を馬鹿な事を言っているんだ。俺たちはそれほどヤワではない、あんたと一緒に食べるに決まっているだろう」
調査機関の依頼者からも長時間一緒に過ごすのは危険だと言われているが、俺やカンジにとっては問題にならない。むしろ樹海の獣が寄ってこないので快適さを感じていたほどだ。俺の肩にとまっているラスも平気そうなので問題は何も無い。
「…………かたじけない」
男は複雑そうな、どこか寂しげな笑みを浮かべて頭を下げた。
この様子から察するに、強烈な体臭の持ち主だけあって過去に苦労も多かったのだろうと思う。俺も昔から見たくもない負の感情を見せつけられているが……この男の苦労に比べれば楽なものだったに違いない。
明日も夜に投稿予定。
次回、九九話〔拒否権なき提案〕