九五話 もう一つの故郷
そこは森に囲まれた村。当然のように公共交通機関は存在せず、国道から村までは森の中を二時間以上走らなくてはならない。
およそ現代人が好き好んで訪れるような場所ではないが、その村が視界に入った瞬間、俺は故郷に帰ってきたかのような想いに襲われた。
俺の故郷と呼べる場所は孤児院だけだが、この村は馴染みやすい村だったからかも知れない。そして、懐かしさを感じているのは俺だけではなかった。
「――おっ、ビャクじゃねぇか!」
初対面の時と同じく、その男は木の上から現れた。ズザッと軽やかに着地を決め、心から嬉しそうな笑顔を浮かべて駆け寄ってくる友人。
「久し振りだな、カンジ。というか、なぜお前はいつも木の上に居るんだ」
「へへっ、そんなに褒めんなよ……んん? ビャクからルカの匂いがするな」
「確かに俺一人ではないが、よく匂いなんて分かったな……。ルカはさっきウサギを追っていったが、間もなく戻ってくると思うぞ。カリンやラスも一緒だ」
「そっか、そいつはいいな!」
動物のような嗅覚に引きつつも同行者の存在を伝えると、カンジからは邪気のない笑みが返ってきた。全てをプラスに受け止める前向きな思考と言い、裏表のない真っ直ぐな性質と言い、カンジは本当に相変わらずのようだ。
――そしてそう、俺はルカとカリンを連れて村を再訪していた。
事の発端は爺さんに紹介された仕事。
国の調査機関の仕事という事で、調査員と一緒に樹海入りするものと思っていたが……調査機関から依頼されたのは『遭難者の救助』だった。
なんでも機関の調査員が予定日を過ぎても戻ってこないらしく、樹海に入れる人間が少ないので手をこまねいていたとの事だ。
もちろん人命に関わる依頼を断るはずもない。俺は二つ返事で仕事を引き受け、その日の内には樹海に向けて旅立った。
そしてそれが折り良くも週末のタイミングだったので、当人たちの希望でカリンたちも今回の仕事に同行しているという訳だ。
と言っても樹海に向かう途中まで、龍の里まで同道するだけの約束だ。
「そうだカンジ、今日はお前の家に泊まっても構わないか?」
一刻を争う救助活動ではあるが、このまま向かうと樹海に到着する頃には夜になる。夜の樹海での捜索は二次遭難に繋がりかねないので、今日のところは村で一泊して翌朝に発とうというプランである。
「おう、当たり前だろ。また朝まで飲もうぜ」
「今回は仕事で来てるから酒は駄目だ。それは仕事が終わってからだな」
人命救助に来ておきながら『二日酔いが厳しいから明日にしよう!』となっては目も当てられない。カンジには申し訳ないが、ここで優先すべきは人命だ。
無事に救出に成功した暁には、その時は気兼ねなく飲み明かしたいものである。
――――。
「ちっとも大きくなってないじゃないか、ちゃんと食べてるのかい?」
「もごごっ」
俺たちは海龍家で歓待を受けていた。
ルカの母親はカリンがお気に入りらしく、ニコニコしながら大福をカリンの口に詰め込んでいる。元護衛対象の孫という事で特別な想いがあるのかも知れない。
「おいこら、カリンを窒息させる気か。それに最後に会ってから二カ月も経ってないぞ。カリンが成長してないのは当たり前だ」
とりあえず過剰に甘やかす母親を止めておく。
本人に悪意が無いのは分かっているが、カリンの口に大福を詰め込んでいる光景は嫌がらせにしか見えなかった。まさに善意の押し付けである。
「……っんぐ。私は成長してるわよっ!」
復活して開口一番に反論するカリン。
まず文句を言うべき相手はルカの母親だと思うが、同世代と比べて発育が遅れているので聞き捨てならなかったようだ。ここはフォローを入れておくべきか。
「外見をそれほど気にする必要はないぞ。俺はお前の善良な精神を、優しい心を、誰よりも高く評価している。それは外見どうこうで色褪せるものではない」
「っ……」
コンプレックスを刺激してしまったのでフォローを入れると、照れ屋なカリンは真っ赤な顔になって黙り込んだ。相変わらず褒められる事に弱いらしい。
カリンが静かになったという事で、そろそろ真面目な話に入るとしよう。
「――というわけで、天針家の始末はつけている。これは俺個人の希望になるが、今後は親戚として仲良くしてもらいたい」
天針家との顛末。
諸悪の根源である長老会と、ルカの父親の弟である天針斬鬼を処断した話だ。こればかりは俺の口から直接報告しなければならなかった。
「……そうか。面倒を掛けたな」
斬鬼の死去に思うところがあるのか一抹の哀しみが見えたが、ルカの父親はその感情を表に出すことは無かった。
だから俺もその想いには触れずに話を続ける。
「この程度はなんでもない。それから……そのうち機会があったら斬鬼の息子、死鷹をここに連れてきても構わないか?」
「構わぬ。いつでも連れてくるがいい」
「そうかそうか、それは良かった。どうも死鷹は先代当主に興味津々らしくてな、一度会わせてやりたいと思ってたんだ」
死鷹とは今でも連絡を取り合っているが、あの若者は先代当主に憧れを持っているような節がある。それは直接聞かずとも会話の節々から感じ取れているのだ。
しかし、死鷹が憧れる理由は分からないでもない。死鷹は天針家で無能力者として冷遇されていた過去を持っており、ルカの父親は歴代最強の天針と畏怖されていた存在だが……実はその超能力は戦闘向きではないらしいのだ。
つまりは純粋な戦闘能力だけで『歴代最強』の称号を得ていたという事なので、超能力を持たない死鷹が憧れるのも当然だと言えるだろう。
「先代当主の話を聞いたが、あんたが動物と話せるというのは本当なのか?」
動物との会話能力。それこそが歴代最強の天針と呼ばれた男の能力と聞いた。
直接戦闘に役立つ能力は意外と少ないとは聞いているが、これほど非戦闘向きの能力で暗殺者一族の頂点に君臨していたとなれば尋常ではない。
果たして、ルカの父親はあっさりと肯定する。
「いかにも。この村では存外に重宝しておる」
まさかと思っていたが、やはり動物との会話能力は事実だったようだ。
しかもこれで自分の能力を気に入っているらしい。凄腕の暗殺者のような雰囲気を漂わせているので本当に意外だ。
「カァーッ、そいつはすげえ。動物と話せるとは大したもんじゃねぇか」
そしてラスも感嘆の声を上げる。
人語を喋るカラスが言うとモヤモヤしてしまうのだが、これは決して煽っているわけではない。ラスは好奇心が強いので純粋に興味があるのだろう。
「どうやって会話を成立させてんだ? 犬と話す時はワンワン吠えてるのか?」
「こちらは人語だ」
なにやら危うい会話をしているが、ラスは馬鹿にしているわけではないし、ルカの父親も不快感を発しているわけではない。
むしろ動物好きなのかラスとの会話が楽しそうですらある。動物好きだと考えれば自分の能力を気に入っているのも頷けるところだ。
「そういえば……当主と言えば、あれから海龍家の長男は顔を見せたのか?」
ラスの質問攻めが終わったところで、少し気になっていた事を尋ねてみた。
現在は放浪の旅をしている海龍家の長男。ルカはライゲンと再会した時に喜んでいたので、行方知れずの長男とも再会させたいと思っていたのだ。
「いや、コクロウは未だ帰らぬ。今も強者を探し求めて彷徨っているのであろう」
海龍コクロウ。
海龍家の当代当主であり、ライゲンに勝るとも劣らない実力者と聞いている。
会話から垣間見える人物像が明らかに戦闘狂だが、ライゲン級の実力者となると相手を探すだけでも一苦労のはずだろう。
「そうか……。帰省の機会にルカと会えればと思ったんだがな」
「コクロウが最後に帰ってから一年になる。そろそろ帰ってくる頃合いであろう。もっとも、お主の事を聞けばそちらに出向くやも知れぬが」
「ちょっと待て、俺は平和主義者だからコクロウと戦うつもりはないぞ」
不吉な予言を告げるルカの父親に釘を刺す。
海龍一族なので人格面は心配していないが、この一族は常識に欠けているので不安が尽きない。俺の仕事中に『勝負するぞっ!』と現れても不思議ではないのだ。
前回の訪問時にはルカの母親に挑まれているので可能性は充分にある。……何が楽しくて友人の家族と戦わなくてはならないのか。
もしもコクロウが訪ねてくるような事があれば、その時は野蛮なバトル展開ではなく、友人の家族として平和的にもてなしてやるとしよう。
明日も夜に投稿予定。
次回、九六話〔栄華を誇った大都市〕