九四話 世界を変えた大厄災
「そういえば、怪盗ロスターが成り代わっていた警備員は無事だったそうだな」
騒々しい場を断ち切って話を変えておく。
モゴモゴ幼女が復活してしまったら糾弾大会が開催されるのは目に見えている。今の内に話を変えておくのが得策だ。
「……え、ええ。自宅で拘束されていた所を発見しています。多少の衰弱は見られますが、命には別状ありません」
動揺を残しながらも氷華が話題転換に乗ってくれた。氷華としても暗黒面に堕ちたユキの視線が厳しかったのか、真面目な話題を振られてホッとしている様子だ。
そしてそう、怪盗ロスターに成り代わられていた元来の警備員。
正直に言えば怪盗ロスターに始末されているものと思っていたが、事件後に冤罪を着せるつもりだったのか無事に生きていたとの事だ。
爺さんと親しい間柄と聞いていたので俺としても喜ばしい限りである。
しかし恐るべきは怪盗ロスターの周到さだ。
爺さんが正体を見抜けなかった事からすると、怪盗ロスターは対象の口調や態度まで模倣していたという事になる。おそらくは綿密に調べ上げていたに違いない。
或いは変身能力で対象の記憶もコピーしたという可能性もゼロではないが……流石にそこまで万能だったとは考えにくいだろう。
「過去に窃盗被害に遭われた方々にも、先日の一件についてお伝えしています。怪盗ロスターの変装術は極めて優れたものだった、と」
「……それは良かった。まず間違いなく冤罪を着せられた者が存在するだろうからな。怪盗ロスターの手口を知らせれば名誉回復の助けになるはずだろう」
変身能力を利用して獲物に近付き、事が終わったら元に戻るという悪辣な手口。
これまでの事件でも無実の罪を着せられている者が存在するはずだが、真星家が怪盗ロスターの手口を周知すれば再調査の動きもあるかも知れない。
「怪盗事件は公には伏せられていたが、被害者の身内が関わっていたからという事も大きかったのかもな。……なんにせよ、もう新しい被害者が生まれる事は無い」
過去の窃盗事件について犯人に自供させたかったところだが、怪盗ロスターは物言わぬ身となってしまったので致し方ない。
それに怪盗ロスターを公の場に出すと、超能力者のイメージが悪くなるという問題もある。世間に初めて認知される超能力者が犯罪人では印象が悪いのだ。
超能力者の存在が世に認められるにしてもマイナススタートは避けたいので、怪盗は超能力者ではなく『変装の達人』だったという事にした方が望ましいだろう。
「まぁそれはそれとして、ルカにちょっと聞きたい事があるんだ」
真面目な話が終わったところで、上機嫌でむぐむぐしているルカに声を掛けた。
甘やかされを恥じていたようだが、カステラを食べている内に全てを忘れ去ったかのような雰囲気だ。このポジティブな精神は見習いたいものである。
「ん? なんだビャク?」
「ルカは村の近くにある大きな森――『樹海』に入った事はあるか?」
「ないぞ。親父が入るなって言ってたからな」
ふむ、なるほど……。
ある程度予想はしていたが、ルカの樹海への立ち入りは禁止されていたようだ。
そして、樹海。
この国には、この世界には、人々から樹海と呼ばれる場所が存在している。それは自殺の名所として昔から知られているような場所ではない。
現代の人々が樹海と呼ぶものは一つ、二十年前に突然現れた森のことだ。
世界各地に前触れもなく生え始めた木々。ものの数日で新芽から成木へと成長するという常識を覆すような植物群だ。
もちろん、成長速度が速いだけの樹木ならそれほど問題にはならなかった。問題の一つは、それらの木々が現れた場所が『各国の中枢都市』だったという事だ。
アスファルトを突き破って急成長する木々。過去に前例のない、誰にも予測できない異常事態。しかも、それらの木々は成長力以外にも厄介な性質を持っていた。
この世界には食虫植物と呼ばれる植物が存在するが、これは虫を誘き寄せて捕食する性質を持つ植物であり、言うなれば『受動的な捕食をする植物』だ。
そして二十年前に現れた木々は、『能動的な捕食をする植物』だった。
しかもその植物が積極的に狙う対象は、生物ではなく金属類――機械や建造物など、文明の礎となっているものだった。
圧倒的な物量で金属を襲う植物群。そんなものが各国の中枢都市に発生したという事で、当然の事ながら世界中が大混乱に陥った。
後年になって『緑化』と呼ばれる大厄災。
その標的は人間ではなかったが、結果的には似たようなものだった。車に乗っていれば車ごと樹木に取り込まれ、スマホを持っていればスマホごと襲われたのだ。
大都市を中心として爆発的に広がっていく森。世界中でおびただしい死者が生まれ、幾つもの国が形を失って消滅した。
このまま世界が森に覆われるかと思われた時――唐突に、緑化侵攻が止まった。
始まった原因も終わった原因も、今でも全く分かっていない。ただ、当時発生した森は枯れることなく今でも現存している。それが『樹海』と呼ばれる場所だ。
現在は周囲への侵攻こそ止まっているが、何かの切っ掛けで緑化が再動するとも限らないので、国によって厳重に管理されている区画である。
「そうか。ルカなら樹海に入った事があるかと思ったが……うむ、親父さんの言いつけを守っているのは偉いぞ」
「へへっ……」
龍の里から樹海は遠くない場所にある。
ルカなら区画を守る自衛軍を薙ぎ倒して侵入するくらいの事はやりかねなかったが、基本的には素直なので父親に言われた事を守っていたようだ。
そこでカリンが疑問の声を上げる。
「なによ、樹海がどうかしたの?」
「それがな……実は爺さんが『樹海関係の仕事を紹介してやろう』と言ってるんだ。それでルカから樹海の情報が聞ければ、と思ったまでだ」
怪盗ロスター問題を解決した後、爺さんが謝礼を申し出てきた事が発端だ。
最初から報酬は要らないと伝えていたのだが、自分の身内が危ういところで助かったので、俺に礼をしたいという気持ちが抑え切れなかったようだ。
もちろん俺がそれを受け入れるはずがない。
意地でも謝礼金を渡そうとする爺さん。断固として受け取りはしない俺。そして押し問答を続けた結果、最終的には『仕事の紹介』という形で落ち着いたのだ。
「ちょ、ちょっと、仕事の紹介はともかく、それがなんで樹海関係になるのよ!」
「なんでも爺さんは国の研究機関と繋がりがあるらしくてな。樹海に入れる人間が少なくて困っていると聞いていたらしい」
基本的に樹海は立ち入り禁止となっているが、完全に封鎖しているわけではない。また緑化が起きるとも限らないので、国が主導して研究を続けているのだ。
だが、樹海とは常人が踏み込める場所ではない。森の中ではペットや動物園から逃げ出した動物が野生化しているし、それ以外にも数多くの危険が存在している。
そんな場所に金属製品――銃や刃物を持たずに踏み込むとなれば、樹海に入れる人間が限られてしまうのは当然の事だろう。
「そう心配するなカリン。前々から樹海に興味はあったが、自分の手に余るほどの仕事は引き受けるつもりはないからな」
「べ、別に心配なんてしてないわよ……」
樹海の区画は広大だが、その全ての領域が危険というわけではない。
樹海の深部などは体力自慢であっても生きて帰れない魔境と聞くが、外周部などは金属製品さえ持っていなければ普通の森と大差ないらしいのだ。
あの爺さんとて、深部に派遣するような無茶な仕事の紹介はしないはずだろう。……ユキに近付く人間を始末するという事で無茶振りをする可能性もあるが。
とにかく、腕の立つ人材を探しているという話なら断る理由はない。
個人的には頭脳派探偵としての仕事が望ましかったが、必要とあらば調査員の護衛でも荷物持ちでも引き受けてみせよう。
明日も夜に投稿予定。
次回、九五話〔もう一つの故郷〕