九話 見せるべき手の内
「神桜家の雇った護衛が信用できないのは分かったが、なぜ昨日会ったばかりの俺を護衛に誘うんだ? 信用に値する人間だと判断するには早すぎるだろう」
俺はカリンの危機を救ってはいるが、それでもすぐに信用するのは不用心だ。
金で雇った人間は金で裏切る可能性があるし、それでなくとも法外な大金を積まれたら心が揺れる人間は多い。カリンの判断は軽率と言わざるを得ないだろう。
「あんたは、し、信用出来るわ。…………私には、分かるもの」
カリンは照れ照れしながら俺を肯定した。
実際に俺が子供を裏切るはずがないし、それを信用されているのは嬉しい事だが……しかし、妙に確信を持っている口振りなのが引っ掛かる。
「私には分かる、か。……まるで心でも読めるかのような言い回しだな」
「っっ……!」
息を呑むカリンに、俺の思考が一瞬停止した。
なんの気なしにカマを掛けてみたら、予想外の大きな反応が返ってきたからだ。
まるで図星を突かれたかのような感情の揺らぎ。……いや、感情を見なくともカリンの驚愕の表情が全てを物語っている。
「カリン……まさかお前、感情が見えるのか?」
「ど、どうして……」
この反応、もう間違いない。
カリンには感情が目に見えている――そう、カリンは俺の同類だったのだ。
その信じ難い事実を察した瞬間、俺の胸中に様々な想いが去来する。
俺がまだ幼かった頃、自分に特別な能力があると気付いた時は嬉しかった。子供心に自分が特別な人間だと思ったのだ。
しかし……無邪気に喜んでいた時間は、ごく短い期間に過ぎなかった。
人の心が見えても良いことなどなかった。
表面上では笑っていても、内心ではドロドロと鬱屈な想いを抱えている人間。そんな者を見れば見るほどに人間が信じられなくなっていったのだ。
いつしか優越感は孤独感に変り、自分が他の人間とは違うという事実が重荷になっていた。……だから、俺は自然と表情を緩める。
「隠す必要はない。俺にも感情が見えるからな」
「えっっ!? う、嘘でしょ……」
カリンは明らかに困惑していた。
俺とて同じ能力を持つ人間と出会ったのはこれが初めてだ。カリンが俺の言葉を疑うのも無理からぬところだろう。
「嘘ではない。それもカリンの目で見れば分かることだろう?」
「わ、わかんないわよ……」
んん? 妙だな……?
カリンに嘘を吐いている様子はない。
負の感情が見えるなら相手の嘘を見抜くことは容易であるはずなのに。
能力の練度の問題だろうか?
俺も昔から感情が見えてはいたが、当初は人間から黒いモノが滲み出ているとしか認識していなかった。敵意、憤怒、憎悪、これらの負の感情が見分けられるようになったのは慣れてからの事だ。
――いや、これは違うか。
嘘を見抜くことは初期の頃から可能だった記憶がある。嘘を口にした人間の感情は露骨に乱れるので分かりやすいのだ。……となると、残された可能性は少ない。
「俺には負の感情が見えるが、カリンには違うものが見えているのか?」
「っ…………」
カリンに感情が見えている事は確定的だ。
それでも嘘が見抜けていないとなれば、カリンには俺と違うものが見えているのではないか? と推察したのだ。
そしてこの反応から察するに、どうやら俺の推察は的を射ていたらしい。
「…………」
カリンは返答に悩んでいる様子だ。
打ち明けるべきか踏ん切りがつかないようだが、その気持ちはよく分かる。人の心が見えるというのは軽々しく話せる内容ではないのだ。
心が読める人間を自分から遠ざけたいと考える者は少なくない。おそらくカリンは、正直に能力を打ち明けて拒絶される事を恐れているのだろう。
ならば、ここは俺が胸襟を開くべきところだ。
「俺の言葉が信じられないようだな。よし、分かりやすく能力を証明してやろう」
俺には読心能力だけでなく念動力という能力もあるが、現状でこちらを見せても余計な混乱を招くだけだ。これはひとまず置いておく。
ここは、感情が見える事を証明すべき場面だ。
「手でも足でもなんでもいい。害意を持って俺に攻撃してみろ。俺には感情の流れが見えるからな、事前に全ての攻撃を言い当ててやろう」
「えっ、なによそれ……。ちょっと意味が分かんないんだけど」
カリンは俺の提案に混乱している。
いきなり『攻撃してみろ』と言われた戸惑いもあるようだが、そんな事が可能なのかと疑っている気持ちもあるようだ。
俺は負の感情が見えると言っても、最初からこんな芸当が出来たわけではない。何百回、何千回と見慣れていく内に戦闘へ応用出来るほどになったのだ。
カリンが能力の研鑽を積んでいるとは思えないので疑念を抱くのも当然だ。
「まぁまぁ、物は試しだ。さぁカリン、どこからでも掛かって来い」
俺は両腕を広げて待ち構え、来たるべき攻撃に備えてカリンを注視する。カリンの顔に視点を置きつつ、全体を視界に捉えるようなイメージだ。
その整った顔をじっと見詰めていると――カリンの顔が赤みを帯びてきた。
「……顔が赤くなってるぞ」
「ジ、ジロジロ顔を見ないでよっ!」
どうやら顔を凝視されるのが恥ずかしかったらしい。真っ赤な顔で恥じらっているので俺が幼女にセクハラを働いたかのようだ。
「仕方のない奴だな……。直接見られるのが駄目なら、鏡越しに見てやろう」
俺は事務所の隅から姿見を運ぶ。
直接見るのが駄目なら間接的に見るという寸法だ。……いや、鏡越しでも真っ直ぐ見詰めると緊張させるかも知れない。
では、鏡越しに横目で確認するとしよう。
俺は鏡越しにさりげなく幼女の動向を観察する…………うむ、なにやら犯罪性が増したような気がしないでもない。
多少怪しげな絵面にはなったが、当のカリンは少し落ち着いた雰囲気だ。
カリンは表情を引き締め、これから自分が取る行動を静かに考えている。
「――おっと、角砂糖を投げるのは止めてくれ。ああ、その置物も駄目だからな」
俺の先読みは早かった。
カリンはまだ動いていなかったが、俺の目にはハッキリとそれが見えていた。
見逃しそうなほどの小さな害意。
ほんの一瞬だけ、カリンの身体から黒い糸のような気体が放出されていたのだ。
それは軌跡を作るようにテーブルの上の『角砂糖』に向かい、俺の指摘の直後に『置物』へと揺らいでいた。重量物である置物に関しては一瞬考えただけのようだったが、その僅かな逡巡も全てお見通しだ。
「えっっ!? なんでそこまで分かるのよっ……!?」
行動する前に言い当てられた事でカリンは愕然としている。
未来予知に近いので驚くのも無理はないが、実際はそこまで万能なものではない。これは『攻撃を受ける』という前提条件があったからこその精細な予測だ。
カリンに意識を集中していなければここまで上手く読めるものではない。
「カリンも経験を積めば似たような事が出来るようになるんじゃないか? 俺くらいになると銃撃を受けても問題無いから便利だぞ」
「銃撃って……どんな生活を送れば銃撃されるような状況になるのよ」
カリンに若干引かれてしまったが、俺が過去に銃撃戦に巻き込まれたのは日頃の行いが悪いからではない。むしろ善行の結果だ。
先日のカリンの時と同じく、眼前の悪意を見過ごせなかっただけに過ぎない。
「数年前に銃刀法が緩和されてから銃犯罪も増えてるからな……まぁ、それはこの際瑣末な事だ。とりあえず、これで俺の言葉に嘘偽りない事が証明出来たか?」
「別に……最初から疑ってなかったわよ」
そっぽを向きながら言葉を漏らすカリン。
まぁ実際のところ、カリンが最初から信じてくれていたのは分かっていた。
先に実演してみせた方がカリンも口を開きやすいだろうと考え、あえて手の内を見せただけだ。現にカリンの緊張は解けているので実演の効果はあったようだ。
次回、十話〔許されざる悪〕