八話 不埒者の正体
ついに日の目を見た探偵事務所のホームページ。
その事実に俺は感激していたが、そんな温かい気持ちにカリンが水を差す。
「それよそれ、なんなのその貧相なサイト。何か仕事を受ける気があるなら、せめてメールフォームくらいは作りなさいよ」
容赦のないダメ出しを飛ばす小癪な幼女。
我が子を侮辱されたような悔しさはあるが、トップページのみというシンプルな構成であるのも事実だ。カリンの指摘は正論だと認めざるを得ない。
「これはまだ成長過程だからな。それでも事務所の住所が分かったのだから充分だろう? ――それより、今日は何か用があって来たんじゃないのか?」
俺は話を逸らしがてら本題に入った。
この幼女が改めてお礼を伝えにきたとは思っていない。カリンはなにかしらの目的を持っているものと見ている。
それはカリンが訪ねてきた直後から分かっていた。なにか言いたい事があるのに、それを言い出せないような雰囲気を匂わせていたのだ。
俺の率直な問い掛けを受け、カリンは落ち着かない様子で逡巡していた。
言うべきか言わざるべきかを迷っていたようだが、ぎゅっと目を瞑って覚悟を決めたらしく、勢いに任せるようにビシッと俺を指差した。
「こ、光栄に思いなさい! あんたを私の護衛にしてあげるわ!!」
んん? 護衛?
俺は話の流れが飲み込めずに困惑していた。
探偵事務所の看板を掲げている相手に対して、なぜか護衛へのスカウトだ。
俺は戦闘能力には自信があるが、天下のゴッドグループともなれば人材は引く手あまただ。わざわざ一国一城の主を引き抜く必要性があるとは思えない。
カリンは緊張しながら返事を待っているが、俺の返答は決まり切っている。
「いや、遠慮する」
「な、なんでよ!?」
当然の如く辞退すると、金髪幼女が紅潮した顔で声を上げた。
しかし、それはこちらの台詞だ。
「なんでもなにも……俺には探偵の仕事があるからな。カリンに四六時中張り付いて護衛するような時間はない」
たとえ閑古鳥が鳴いていようとも、開業して三カ月で護衛に転身するわけにはいかない。それに、俺には探偵として為すべき使命があるのだ。
だがしかし、俺の言葉を聞いてもカリンは納得していなかった。
「探偵って、どうせ仕事なんか無いんでしょ? もう辞めちゃいなさいよ」
この幼女め、なんという失礼な事を……。
確かに図星ではあるのだが、説得の言葉としては論外と言う他ない。
こんな事を言われて『その通りだな。よし、探偵を辞めて護衛に転職だ!』などと言う人間がいると思っているのか。
悪意が欠片も無いのは分かっているので腹は立たないが、ここはカリンの為にも一言注意してやるべきだろう。
「俺は探偵を辞める気はない。カリン、全ての人間が金で動くと思うなよ」
俺は毅然としてカリンに告げた。
全てが思い通りになるのは当たり前、という考えを持っているのは危険だ。
神桜家の娘ともなれば大抵の望みは叶うはずだが、世の中には例外もある事を知っておくべきなのだ。……しかし、カリンの反応は予想外のものだった。
「っ……」
じわっと濡れる碧眼の瞳。
その今にも泣き出しそうな顔は、圧倒的な罪悪感となって俺に襲い掛かる。
俺の言葉は正当な指摘だが、子供の泣き顔が胸を締め付ける事実は変わらない。
――ここは早急に慰めなくては。
何と言っても俺は孤児院の出身。幼い子供たちの面倒を見る機会も多かったので、泣きそうな子供を笑顔にする事には自信がある。
俺はベビーもキッズもこなせる一流のシッター。
ここは熟練の技を見せつけてやるとしよう。
「よしよし。ほぉら、たかいたかーい」
「きゃぁぁ! ド、ドコ触ってんのよ変態っ!」
カリンの脇の下に手を入れて持ち上げると、なぜか幼女は甲高い悲鳴を上げた。
一流のキッズシッターが『シットッ!』と拒絶されている不可解な事態。孤児院の子供なら大喜びするところなので首を捻るばかりだ。
「おいおい、悲鳴を上げるのはよすんだ。第三者に目撃されたら、まるで嫌がる事を無理矢理やっているみたいに見えるだろうが」
「その通りじゃないの!」
カリンは鼻息荒く吠える。
仕方なく幼女を下ろすと、カリンは真っ赤な顔で罵詈雑言を並べ立てた。
これは負の感情を見るまでもない。この幼女は間違いなく……怒っている!
まぁしかし、想定とは異なっていてもカリンが元気になったのは間違いない。荒ぶる幼女へ適当に謝罪しつつ、カリンを刺激しないように話の続きに戻る。
「ともかく、そもそもカリンの護衛なら他にいくらでもいるだろう?」
俺は雑居ビルの下方に指を差す。
雑居ビルの前に停車している車には、カリンの護衛らしき黒服の男たちが乗っている。専門の護衛がいるなら、わざわざ門外漢の俺をスカウトする必要はない。
「……あの連中は駄目。信用できないわ」
「神桜家が雇った護衛ではないのか? 身元調査も徹底してるだろうし、それなりに信用出来るはずだろう」
ゴッドグループには大手警備会社も含まれているので、おそらく彼らもそこから派遣されている――そして、神桜家の娘に有象無象の輩を派遣するとは思えない。
少なくとも、先日に会ったばかりの俺よりは信頼出来る存在であるはずだろう。
「……昨日の三人。あの連中も、神桜家が雇った護衛だったわ」
カリンのその声は、無力感を滲ませていた。
まさか……と思ったが、言われてみると確かに思い当たる節はある。
身代金目的の誘拐事件。昨日の事件は警察からそのように聞いているが、あの一件には何かと不審な点が多かった。
なにしろ昨日の不埒者たちは、誘拐に際して目立つ黒服を着込んでいた。
人目をはばかる必要がある誘拐犯にしては妙だと思っていたが、元々が護衛だったと聞けば目立つ服装にも頷ける。
そもそも、本来ならお嬢様を守るべきはずの護衛があの場には居なかった。
神桜家のお嬢様にしては無防備過ぎると思っていたが、護衛が裏切ったという事なら不自然な状況にも納得がいく。
しかし……神桜家の護衛が揃って造反するとは異常に過ぎる。あり得ない事だからこそ、あの連中が護衛だったという可能性を意識から除外していたのだ。
だが、カリンは嘘を吐いていないし、わざわざ嘘を吐くような理由もない。
そうなると、考えられる可能性は一つだ。
「……なるほど。昨日の一件には神桜家の人間が絡んでいる、という事か」
本来なら徹底した身元調査を受けているはずの神桜家の護衛。
その護衛たちが揃ってカリンに牙を剥いたとなれば、外部の犯罪組織ではなく身内の関与を疑うべきところだろう。
「…………」
カリンは俺の言葉に応えず、ただ悔しげに唇を噛んだ。
神桜家の現当主は子供が多いことで有名なので、その中の一人がカリンを疎ましく思ったとしても不思議ではない。この様子からすると心当たりもあるようだ。
「まぁ、しかし……昨日の事件に神桜家の人間が絡んでいる可能性は高そうだが、カリンの家族が直接絡んでいる可能性は低いんじゃないか? 事件への関与が露見した時のリスクが高すぎるからな」
これはカリンを慰める為に適当な事を言っているわけではない。
相続問題などでカリンの存在を邪魔に思ったとしても、直接カリンに危害を加えるような真似は考えにくいのだ。
「むしろ家族の周囲の人間が怪しいな。ほら、アレだ。今流行りの忖度というやつだ。秘書が勝手にやったから知らないというやつだな」
実際のところは不明だが、自分の家族が敵だと考えるのは気が滅入ることだ。
現段階では何も分からないので、とりあえずは『家族の周囲が勝手に動いている』と考えておいた方が精神衛生上好ましいはずだろう。
俺の言わんとするところを悟ったのか、カリンは少しだけ頬を緩める。
「……なによそれ。それって、実際には関与してるけど秘書に責任被せてるやつじゃないの?」
俺のフォローにケチを付けるような言い方だが、その声音は柔らかいものだ。
身内も信用できないという境遇から、攻撃的な言葉が習慣になっているのだろうと思う。そう考えれば、カリンに何を言われても腹を立てられるはずがない。
この幼い子供を追い詰めている環境を改善するのは困難だが、せめて暴言くらいは温かく受け入れてやりたいものである。
次回、九話〔見せるべき手の内〕




