七五話 教授する映え
俺たちは屋敷の庭に集まっていた。
周囲に漂うのは香ばしいソースの香り。ちょうど腹が空いていた頃合いという事もあって理性を奪うような香りだ。
当然の事ながら、この状況で食いしん坊が自制出来るはずもなかった。
「こらルカ、それはまだ焼けていないぞ」
「はへはへふほっ!」
生焼きのタコ焼きを頬張ったまま『食べられるぞっ!』と豪語するルカ。
ルカなら焼かなくても食べられるのは間違いないだろうが、しかしこれはそういう問題ではない。人として守るべきマナーがあるのだ。
「そんな問題ではない。調理途中で食べてしまうのは料理人への侮辱だぞ」
食材をそのまま食べるだけなら料理人は無用の存在となってしまう。
タコ焼き返しの技術が優れた職人であっても、鉄板にネタを入れた直後に食べられてしまっては技術の持ち腐れなのだ。
ましてや業務用のタコ焼き器というプロ御用達の調理器具まで使っているのだから、食べる側としては尚更にフライングが許されない。
「ほらルカ、焼いてくれているタコ焼き職人にちゃんと非礼を詫びるんだ」
「おう、悪かったなっ!」
威勢よくニッコリと謝罪するルカ。
四十過ぎのタコ焼き職人に対して偉そうではあるが、そこには一欠片の反省心が見える。たとえ刹那で消える反省であってもルカ基準では上出来だ。
「い、いえ、お気になさらず……」
強面のタコ焼き職人は委縮していた。
外見に見合わない弱気な態度だが、しかしそれも無理はない。なにしろこの職人は天針家の人間、少し前まで海龍の猛威を目の当たりにしていた人間なのだ。
長老会を退治した直後に俺が提案したのは、タコ焼きパーティーだった。
諸悪の根源を退治したとなれば争う理由はなく、むしろ将来的には親戚として交流を持つという展望も開けている。
だからこそ、両家の親睦を深める為にタコ焼きパーティーを開いたという訳だ。
もちろん、長老会が消えても火種が全て消えたわけではない。
村に到着してルカが早々に殴り飛ばした男――死鷹の兄、天針死犬などは意識を取り戻した途端に反抗的な態度を取っていた。
真っ先に戦線離脱していたので死犬には敗北の実感が無かったのだろうと思う。
だがそれでも、平和集団であるチーム海龍の手に掛かれば万事解決。
騒がしく暴れていた死犬も今となっては別人のように大人しい。横になったままピクリとも動かないので、別人と言うより死人のように見えてしまうほどだ。
……さて、それはともかく。数多くの犠牲者を出した直後という事もあって、香ばしい香りの中でも人々の雰囲気は暗い。
タコ焼きパーティーの発案者としては場を和ます義務がある。とりあえず向かうべきは、広大な庭の中でも突き抜けて空気が重い一画だ。
「いやぁ、今日は絶好のタコ焼きパーティー日和だな。海龍家と天針家の新しい門出に相応しい。――どうだ、そう思わないか?」
「そ、そう思います」
気さくな笑顔で話を振ったところ、天針家の男は引き攣った顔で追従した。
この明らかに緊張した態度。これは一人だけに限った話ではない、この一画の天針衆たちは揃って地面を見詰めている有様だ。
傍若無人な暴君と相対しているかのような反応だが、もちろんこれは俺が恐れられているわけではない。この一画の天針衆が緊張している要因は他にある。
「ライゲン、精が出ているようだな」
スマホを構えてタコ焼きを黙々と撮り続けている大男。一見すると料理写真家のような様相だが、しかしその顔には一切の感情が浮かんでいない。
その厳然とした姿は、料理写真家と言うより戦場カメラマンのようだった。
「……悪くない」
なにやらライゲンは満足げな様子だ。
相変わらず感情が見えないので判別が難しいが、この様相からすると写真撮影を楽しく感じているのかも知れない。
しかし、これほど黙然としていては天針衆が静まり返っているのも当然だ。ここは俺が天針衆にフォローしておくべきだろう。
「主であるお嬢様に写真を送ったら受けが良かったらしくてな。決してお前たちの顔写真を撮って遺影にしようとしているわけではないぞ、はははっ……」
「っ、そ、そうですか……」
軽快なジョークを飛ばしながら事情説明だ。
そしてそう、ツバキに送った写真。長老会の死体を背景にして俺たちが肩を並べているという写真だが、これがどうやらツバキの琴線に触れたらしいのだ。
しかし、考えてみればそれほど不思議でもない。これまでの報告が簡素な文章のみだったところに写真付きの報告だ。劇的な変化なのでツバキから肯定的な返信が返ってきたという話も納得がいく。
とりあえず天針衆の緊張が解れたところで、改めてライゲンに向き直る。
「しかしライゲン、写真は撮ればいいというものではないぞ。お前の撮影する写真には大事な物が欠けている」
俺の厳しい忠言を受け、ライゲンはこちらに鋭い視線を向けた。
その突き刺すような目に天針衆が怯えているが、別にライゲンは指摘に怒っているわけではない。この男はルカのように短気ではないのだ。
この静謐な男が関心を示すとなれば理由は一つ――そう、神桜ツバキだ。つまり、お嬢様に送る写真には万全を期したいという思いから真剣になっているのだ。
「……大事な物とはなんだ?」
「うむ、問われれば答えてみせよう。それは――『映え』だ!」
自己顕示欲に優れた若い女性たちの間では自明の事だが、世情に疎そうなライゲンがそれを知らないのも無理はない。
大事なのは写真映え。パンケーキに乗った山盛りの生クリームは食べる前から食傷気味になるが、しかし写真の素材としては優秀なので何も問題は無い。
味よりも見た目が重要視される映え業界、戦闘能力は一流のライゲンであっても映え業界では三流にも満たない小童だ。
「皿に乱雑に乗せられたタコ焼き。ただ食べる事だけを考えるなら、この不恰好な見栄えでも一向に構わないだろう。おそらくルカなどは全く気にしないはずだ」
「――おう、気にしないぞっ!」
呼んでもいないのにルカがやって来た。
自分の名前が出てきたのが気になったのか、この一画のタコ焼きが焼けるのが早かったからなのか。おそらくは後者だろう。
「食べるのはもう少し待つんだ。――ライゲン、本当の映えを見せてやる」
勝手に食べ始めようとするルカを止め、皿に乗せられたタコ焼きを綺麗に並べていく。タコ焼きで正方形を作り、その上に一回り小さな正方形を作る。
その作業を何度も繰り返していき、最後の一個をドンッと頂上に乗せると――そう、タコ焼きピラミッドの完成だ!
「ふふ……どうだライゲン? 先程の見た目とは雲泥の差だろう」
それはまさに頂点の貫禄。汚れなき新雪のようにパラパラとかけられた青ノリ、鍛え上げた肉体から発せられる闘気のように揺らめくカツオ節。
実利だけを追求したタコ焼きたちはもう居ない。討ち取られるばかりだった雑兵たちは、それぞれが寄り集まることで『王』を戴く精兵となったのだ。
「……なるほど。見事だ」
これにはライゲンも感嘆の声だ。
俺が斬鬼を成敗した時より感心しているのはどうなのか? と思わなくもないが、ライゲンは満足そうに撮っているので口を挟む気にならない。
ライゲンが嬉しそうなので俺も満足である。
明日も夜に投稿予定。
次回、七六話〔捏造するマナー講師〕