七四話 バタフライエフェクト
「――そこまでだ」
長老会の殲滅が終わったところで声を掛けた。
この殺人鬼は天針衆まで襲いかねなかったので止めないわけにはいかない。
長老会が不慮の死を遂げた事によって天針家との和解の道は開けている。ここで皆殺しにされてしまっては全てが台無しなのだ。
「なんだ、お前? オレに命令しているのか?」
斬鬼は血に酔った瞳をこちらに向けた。
周囲にばら撒いていた殺気も俺に集中させているが、これは命令された事が不快だったからではないだろう。……この男は、ただ殺したいだけだ。
一目見ただけで分かった――斬鬼は長老会の手に負える存在ではない、と。
これまで見たことがないほどの殺意の塊。枷から解き放てば長老会に襲い掛かるだろうと予想していたが、案の定の結果になった。
しかもこの男、相当に強い。
戦闘狂のルカが笑みを浮かべるだけあって、天針家の中で頭二つは抜けている。長老会が為す術もなく蹂躙されるのも当然だ。
ともかく、まずは斬鬼に聞いておく事がある。
「お前に確認しておきたい。過去に罪の無い子供を殺したとは、本当の事か?」
「ハッ、クソ兄貴みたいな言い草だな。弱い奴がくたばるのは当然だろうが」
予想に違わぬ答えだった。
混じり気のない純粋な殺意を目にした時点で察していたが、それでもこの男を処断する前に確かめないわけにはいかなかった。
この男は間違いなく快楽殺人者。金銭や怨恨の為ではなく、己の快楽を目的として他者を害する存在だ。このような害悪を生かしておくわけにはいかない。
「超常の力を悪用する存在は許せないが……それでなくとも、子供を傷付けるような輩は万死に値する。お前にはここで死んでもらうとしよう」
俺はあえて挑発的な言葉で宣言した。これは俺の性格に問題があるからではなく、斬鬼の凶悪な目を他人に向けさせない為だ。
戦闘狂のルカなどは戦いたそうにしているが、この相手は並々ならぬ力量の持ち主なので戦わせはしない。ここは俺がケリを付けさせてもらう。
「……小童が、老いぼれと一緒に刻まれたいか」
こちらに鋭い眼光を向ける斬鬼。
狙い通りと言いたいところだが、しかし斬鬼からは苛立ちの感情が見えない。俺の挑発を意に介していないのは明らかだ。
この生粋の殺人鬼は、人を殺す理由を欲しているだけに過ぎない。
「千道さん……まさか、一人で戦うのですか?」
俺と斬鬼が戦闘態勢に移行したところで、死鷹から不安そうな声が掛かった。
これは俺の身を案じている気持ちもあるのだろうが、わざわざリスクを負わずに袋叩きにすべきだという考えもあるのだろう。
「そうだっ、アタシが代わりにやってやる!」
どさくさに紛れてなんの解決にもならない事を言い出すルカ。
死鷹の意見に同調しているような体だが、ルカは一人で挑もうとしているので全く意味が違う。自分が戦いたいだけなのは明白である。
「駄目だぞルカ、ちゃんと順番は守るんだ。長老会は全滅してしまったが、それで勝負が無効になったわけではないからな。次は予定通りに俺の出番だ」
血気盛んなルカに理路整然と道理を語る。
今回の取り決めには審判が居ないが、勝手に終わったつもりでいると『それでは約束が違う!』と天針衆にクレームを入れられてしまう可能性もあるのだ。……天針衆の怯えた様子を見る限りでは可能性は低いが。
「……しかし、千道さん一人では危険です」
死鷹は不安そうな様子だが、斬鬼が強敵である事は確かなので気持ちは分からなくもない。膂力が強いとかではなく、純粋に上手い。血に酔った獣のような男だが、粗暴な言動に似つかわしくない洗練された戦闘技術を持っている。
そして特筆すべきは斬鬼の能力。
その能力は戦闘に、殺人に特化している。
「ふふ、そう心配するな死鷹。俺に斬鬼の『刃』は届かない。暗器使いの類と戦うのも初めてではないからな」
斬鬼の能力は自己干渉型――身体から『刃』を生み出す能力だ。長老会の老人を斬り裂く瞬間、斬鬼の手首から湾曲した刃が現れたのが見えていた。
透明な爪のようにも見えたので、カンジの硬化のように身体を変化させる能力なのだろうが……厄介な能力ではあっても、俺に通じるほどの攻撃ではない。
チーム海龍において一人だけ心配してくれる若者の頭にポンと手を置き、気持ちを切り替えて斬鬼に向き直る。
「お前がクソ兄貴のガキか?」
「全く違う。……まぁ、わざわざ説明する必要もあるまい。お前はすぐにこの世を去るのだからな」
何かとおかしい海龍一族と一緒にされたので自己紹介をしようかと思ったが、数分後には死亡している相手に説明するのも労力の無駄だと考え直した。
どのみち斬鬼は俺たちの素性に興味を持ってなどいない。自分を幽閉した兄の子供であろうとなかろうと、目の前の相手を殺す事しか考えていないのだ。
「ハッ、老いぼれは斬り応えがなかったからな。お前は斬り刻んで遊んでやろう」
「そうか。俺は一撃で決めるつもりだがな」
この男の邪悪な感情は見るに堪えない。早急に片を付けるべく、今回ばかりは本気で……能力の段階を上げて、斬鬼の相手をするつもりだ。
そう、能力の段階。
超能力は鍛えれば鍛えるほど強くなるが、そこには『壁』がある。壁と言っても超えられない壁ではない、その壁を超えると飛躍的に能力が上昇するという壁だ。
ルカの父親も知っていたので一部では有名な話のようだが、聞くところによると大多数の者が壁を超えることなく生涯を終えるとの事だった。
しかし、俺はその壁を超えている。
念動力は発展途上だが、読心能力の方は『壁を超えている』という実感がある。
その切っ掛けは、ただの思いつきだった。俺には敵対者の害意が見えるが、それは気体で形成された糸のように見えている。
その糸は一本ではない。戦闘技術の高い者ほど数多くの糸を放出しており、基本的には最も太いものが直近の攻撃になる傾向がある。
当然の事ながら、その糸の太さは些細な切っ掛けで変化する。こちらの行動によって相手の行動が変化するのは自然な事だと言えるだろう。
だが、ある時にふと気付いた。
俺の行動によって害意の糸が変化するのなら、『俺の思い通りに相手を動かせるのではないか?』という事に気付いたのだ。
視線、体勢、声、あらゆる要素を使って揺さぶりを掛ければ、相手はそれに応じた行動を選択することになる――つまり、間接的に相手を操れるという訳だ。
俺と斬鬼は静かに対峙する。
狂った殺人鬼とは思えないほどに慎重な斬鬼。無造作に足を進めていたかと思えば、俺の射程を目前にしてピタリと足を止めていた。
俺の力量を見抜いて警戒している様子だが、しかしそれは既に俺の術中。俺は斬鬼に自覚させない次元で動いていた。
左手の小指を動かす、視線を小さく逸らす、呼吸を僅かに早める。それらは極めて微細な動きだが、熟練の戦闘者である斬鬼は次々に行動を変化させていた。
おそらく本人すら意識していない感情の動き。俺はそれを少しずつ調整していく――そしてその結果は、一瞬の機に凝縮された。
それは思い描いた通りの結末。俺の上段蹴りにタイミングを合わせたように、斬鬼の頭部はそこに存在していた。
ドゴッ、と響く最期の音。
斬鬼の身体は床に叩きつけられながら吹き飛んでいくが、最初の一撃で終わっているので追撃の必要性はない。最初の上段蹴りで全てが終わりだ。
「えっ、今……」
死鷹は狐につままれたような顔をしていた。
困惑しているのは死鷹だけではない、道場の隅で観戦していた天針衆たちも何が起きたのか分からない様子だ。
傍から試合を見ていると、斬鬼があまりにも無防備に攻撃を食らったように見えたのだろう。斬鬼ほどの実力者らしからぬ動きだったので混乱するのも当然だ。
「すげぇなビャク、親父みたいな感じだ!」
フワフワッとした感想のルカ。
しかし実を言えば、ルカの言葉は的外れどころか正鵠を射ていた。よく分かっていなくとも本質を掴んでいるのは流石の野生児である。
「探偵秘技、バタフライパペットだ。確かにルカの父親の技術に似ているな」
ある場所で蝶が羽ばたくと、その羽ばたきが引き金となって遠方で竜巻が起きる。小さな切っ掛けが大きな結果に繋がるという『バタフライエフェクト』と呼ばれる思考実験だが、俺の技術と類似性があるので名前をパクらせてもらった。
そして俺ほど精度は高くないが、ルカの父親も似たような事が出来る。
僅かな身体の動きで相手を誘導するという、言うなればフェイントを突き詰めたような芸当だが、ルカの父親は純粋な技術だけでそれを成立させているのだ。
ルカの父親が『歴代最強の天針』と呼ばれていた事も納得である。
「あの動き、バタフライパペット……もしかして、思考誘導の一種でしょうか?」
感覚派のルカとは違い、死鷹は断片的な情報を重ねて真実に辿り着いていた。
なにやら真面目に考察されたので、思い付きで『バタフライパペット』と命名したのが申し訳ないほどだ。直訳すると『蝶人形』という意味不明な単語なのだ。
「……うむ、その通りだ。正解した二人には黒糖飴をやろう」
気が付けばクイズのようになっていたのでルカと死鷹に賞品を与えておく。
ライゲンも無言で察していた空気があったので平等に渡してしまう。この男は戦闘直後に感心したように頷いていたのだ。
それにしても……久し振りに能力の段階を上げたので、頭が重たく感じる。
普段は受動的に使っている能力を、あえて意識して能動的に使うという形だ。脳に負担が掛かって頭痛に見舞われるのも仕方ないだろう。
しかし、俺の仕事はまだ終わっていない。長老会が昇天してしまったので、天針家の人間たちは指針を失って右往左往しているのだ。
「これで勝負の決着はついた。試合前の約定通り、今後は海龍家への手出しを厳禁とする。――皆の衆、異論は無いな?」
長老会になったつもりで宣言すると、道場の隅で小さくなっていた天針衆は何度も頷いてくれた。この様子なら今後の憂いも無いはずだろう。
「後はそうだな……ライゲン、お嬢様を安心させる為に証拠写真を撮るか?」
一時間に一回という高頻度の定時報告を求めていた事からしても、ツバキはライゲンの身を心配していたものと推察している。
定時報告に勝利の写真を添付しておけばビジュアル的にも安心だろう。
「……ああ」
それは名案だとばかりに頷くライゲン。
もちろんルカも断るはずがなく、チーム海龍は死体の山を背景にしてニッコリと肩を並べる。当然の如く死鷹も一緒である。
写真を送られたツバキは『誰?』と思うかも知れないが、死鷹を仲間外れにするような事は許されない。死鷹はチーム海龍の良心なので尚更だ。
ともあれ、これで為すべき事は終わった。
全ての厄介事が片付いたとなれば、都心に戻って観光を満喫するばかりだ。ライゲンとルカが一緒に行動する機会は少ないはずなので、この機会に兄妹仲良く観光旅行を楽しんでもらいたいものである。
第二部【躍動する海龍】終了。
明日からは第三部【守護する真星】の開始となります。
次回、七五話〔教授する映え〕