六二話 沈着的な恋慕
「場も解れたところで、本題に移るとしよう。ここは俺から説明させてもらうぞ」
本来なら緩やかに雑談してから本題に入りたいところだったが、ツバキが迅速な話し合いを求めているように見えたので応えておく。
ただ正直に言えば、ツバキが積極的な姿勢を見せているのは意外な感がある。
仲介人の雨音から情報が伝わっているはずだが、今回の主目的はライゲンの勧誘になる。ツバキからすれば、護衛の一人が休暇を取るだけの話になるはずなのだ。
ツバキ主従は感情が読みにくいので何とも言えないが……もしかすると、俺が考えていた以上にライゲンは重宝されているのかも知れない。
「……というわけで、こちらが襲われる前に暗殺者の一族を潰したい。当事者であるライゲンの力を借りたいのだが、都合がつくようなら一緒に行かないか?」
途中で質問も無かったので一人で喋り続けるという偉業を達成しつつ、ささやかな観光旅行に誘うかのようにライゲンを誘った。
ツバキ主従は揃って無表情を保っているが、この二人が真面目に話を聞いていた事は分かっている。見た目に変化が無くとも感情は少しだけ動いていたのだ。
この場で話を聞いていないのは一人だけ、こちらサイドのルカだけだ。カリンの分のマドレーヌまで食べてご満悦の笑顔である。
ライゲンは沈思するように動きを止めていたが……しばらくすると、主に伺いを立てるように視線を向けた。その瞬間、ツバキが即座に応えを返す。
「構いません。片付けてきなさい」
「……承知致しました」
この部屋を掃除しておきなさい、と言わんばかりの軽い口調だ。おそらくはライゲンの力に絶対的な信頼を置いているからなのだろう。
しかしそれよりも何よりも、ライゲンが敬語を使っている事が気になった。
護衛と護衛対象の間柄なので当然と言えば当然なのだが、まさか海龍家に常識という概念が存在しているとは思わなかったのだ。
俺と同じ想いを抱いているのだろう、カリンも複雑そうな顔でマドレーヌの包み紙をぺろぺろしているルカを見ている。これはもはや問題外である。
「こらルカ、そのような意地汚い真似は止めるんだ。――カリンもカリンだ、ちゃんと注意してやらなくては駄目だろう」
「ええっ、う、ううん……うん」
カリンは解せぬという様子で唸っていたが、最終的には自分の責任を認めた。
とりあえず悲しそうなルカに俺のマドレーヌを与えてニコーッとさせつつ、今にも会談を終わらせそうな主従に話を振る。
「それにしても、海龍の人間が同時期に二人も同じ家で働くことは前例が無いらしいな。ライゲンはどんな切っ掛けで護衛になったんだ?」
この主従は話題を振らないと口を聞かない雰囲気があるので、面子的にも俺が率先して会話を主導しなくてはならない。
特にツバキが問題だ。
会談前のカリンは自分が姉に嫌われていると誤解していた節があるが、そう勘違いしてもおかしくないほどにツバキの表情は動かない。
幸いにもカリンの誤解は解けたようだが、この機会に姉妹の絆を深めてもらいたいので、まずは少しでも取っ付きやすそうなライゲンから話を広げさせてもらう。
俺の質問を受け、ライゲンは厳然とした顔のまま低い声を出した。
「……一目惚れだ」
「ん、んん? 一目惚れ?」
「……お嬢様を一目見て、心を奪われた」
あまりにも信じ難い単語が出てきたので聞き返してしまったが、しかし寡黙なライゲンの答えは変わらなかった。
見るからに堅物という外見をした偉丈夫。
そのライゲンが護衛になった切っ掛けが、まさかの『一目惚れ』だ。
しかもそんな事を言いながらライゲンの表情筋はぴくりとも動いていない。
ライゲンばかりかツバキも平然とした顔をしている。……これは困ったな、この話をどんな顔で聞けばいいのか分からないぞ。
こちらも真顔で返すべきなのか、はたまた笑顔で軽やかに返すべきなのか。
反応に困っているのは俺だけではなく、恋バナが好きそうなカリンですら真っ赤な顔であたふたしている。どうやら尊敬する姉の恋愛話に動揺が隠せないようだ。
そこで動いたのはカリン軍の切り込み隊長。
「よかったなっ、ライ兄!」
「……ああ」
満面の笑みで祝福するルカと、むっつりとした顔のまま返答を返すライゲン。
しかし、これは何が『よかった』なのだろうか……。ライゲンに好きな女性が見つかって良かったという事なのだろうか?
それとも『一目惚れ=結婚』という、ルカらしい超理論によって伴侶が見つかった事を祝福しているのだろうか?
いや、まずは肝心な事を確かめなくては。
可能性は低そうだが、この二人が恋人関係になっているという可能性はある。そう思ってツバキに視線を向けると、俺の質問を察したのか問わず語りに口を開く。
「色恋にうつつを抜かしている暇はありません」
なるほど、やはりフラれていたようだ。
だがそれも無理はない。ツバキは神桜家の次期当主とも言われている才媛だ。
このライゲンは好感の持てる青年ではあるが、神桜家の次期当主候補となると流石にハードルが高過ぎるというものだ。
それでも、全く脈が無いとは言い切れない。
ライゲンの情熱的な告白に対して、ツバキは一切の不快感を示していなかった。少なくとも嫌われていない事は間違いないだろう。
正の感情が見えるカリンなら違うものが見えているのだろうが……しかし、他人の色恋事情を執拗に詮索するのは無粋なので確かめたりはしない。
俺としては遠くから温かい目で見守るのみだ。
「海龍は金では動かないと聞いていたが、まさかそのような動機もあるとはな」
ライゲンは初対面で求婚して断られたらしいが、その拒絶理由が『そんな暇はない』というものだったので、自分の力を活かして傍で支える選択をしたとの事だ。
昨今では珍しい情熱的な若者だが、ルカの兄だと考えれば違和感はない。
ちなみに求婚した時の年齢がライゲン十六歳、ツバキ十四歳という犯罪的な年齢だったらしいのはご愛嬌である。
ライゲンは村を出たばかりで法律を知らなかったようなので仕方ない。
「ところでライゲン、これまでに天針の暗殺者に襲われた事はないのか?」
ライゲンが里を出て四年。
護衛対象が海外を中心に活動しているので天針家も狙いにくいとは思うが、それでも今回のようなタイミングを狙って襲撃するという手はある。
ルカの父親が『天針家は絶対に諦めていない』と断言していた事でもあるし、これまでにライゲンが一度も襲撃を受けていないとは考え難いだろう。
「…………分からない」
考え込んでから言葉を出したライゲン。
その言葉は興味深いものだ。天針の暗殺者に襲われた事があるか? という質問に対して、イエスでもノーでもなく『分からない』だ。
この言葉から導き出される結論は限られる。
「襲撃者に襲われた経験はあるが、それが天針家かは分からないという事か?」
言葉足らずを補足するように質問したところ、肯定の頷きが返ってきた。
つまりは『襲撃者を尋問せずに処断したから素性が分からない』という事だ。
黒幕を特定しないまま片付けるのは浅慮である気がするが、相手が相手だけに間違った判断だとは言い切れないところだ。
相手が常人ならば生け捕りにしても問題は無い。俺がそうしているように、普通に両手足を折って尋問すれば良いだけの話だ。
しかし、相手が天針家であれば話は変わる。天針家の暗殺者を生け捕りにするには危険が伴う――そう、相手が超能力者である可能性が高いのだ。
先のジャンプのように、相手に触れるだけで危険という可能性は充分にある。得体の知れない相手を問題無用で処断するのはある意味では正しいだろう。
「そうか、まぁ分からないなら分からずとも構わない。もう過ぎた事だからな」
ライゲンが過去に天針家の暗殺者に襲われている可能性は高いが、特に支障なく乗り切っているのなら問題は無い。
暗殺者に狙われている当人たちが気にしていなくとも……それでも、俺のモヤモヤ解消の為に天針家には消えてもらうとしよう。
明日も夜に投稿予定。
次回、六三話〔報告されてしまう訓練〕