六一話 天空の会談
眼下に見えるのは豆粒のような人々。昼間のオフィス街という事で、地上ではスーツを着たサラリーマンたちが足早に行き交っていた。
この高級ホテルの一室から見下ろしていると別世界の住人のように感じられるが、本来の俺の立ち位置は向こう側だ。むしろこの場所こそが別の世界である。
「高級ホテルを丸々貸し切りにするとはな……スキー場を貸し切りにした雨音もそうだったが、カリンの姉もやる事のスケールが大きいな」
「そんなの当然よ。保安面を考えれば貸し切りにした方が効率的なんだから」
ホテルの窓から景色を眺めながら感嘆の声を上げると、カリンから至極当然といった応えが返ってきた。神桜的感覚では当たり前の事のようだ。
人の出入りを限定すれば警戒対象を減らせるのは分からなくもないが、庶民である俺からすれば、理屈は理解出来ても受け入れにくい思いがある。
「本来ならお姉様とは簡単に会えないのよ。私だって小さい頃に一度会っただけなんだから。……今回も絶対に無理だと思ってたのに」
「家族が会うことに遠慮する必要はないだろう。たとえ著名人であろうとカリンの姉である事に変わりはないのだからな」
カリンは会談要請が通った事が不思議そうな様子だが、俺からすれば家族に会えるだけで意外に思う方がおかしい。
今日は神桜姉妹だけでなく海龍兄妹の再会も兼ねているのだから尚更だ。
――そしてそう、俺たちはカリンの姉との会談を前にしていた。
神桜ツバキ。神桜家の中枢で辣腕を振るっている才媛であり、ルカの兄である海龍ライゲンの護衛対象になっている人物。
二人は仕事の都合で国を離れていたのだが、帰国のタイミングに合わせて会談を要請したところ、意外にもあっさりと会談が叶ったという訳だ。
「しかしツバキは忙しいと聞いていたが、上手くタイミングが噛み合ったようで幸いだったな。ライゲンを誘うついでにカリンたち姉妹も会えれば、と思って駄目元で雨音にセッティングを頼んだのだが」
「ちょっと、お姉様を呼び捨てにするのは止めなさい! それについでって何よ、お姉様に対して失礼じゃないの」
姉への呼び捨てを許さないばかりか、自分と姉との再会が副目的扱いされている事にご立腹だ。今回の主目的は暗殺者一族への対策であり、天針を潰すべくライゲンに協力要請をする事にあるので、ついでというのは紛れもない事実だったが……確かに、これは失言だったと言わざるを得ない。
姉妹の再会をおまけ扱いされているのだから面白くないのは当然だ。
「言葉が悪かった。だが、カリンとツバキの再会を軽んじているわけではないぞ」
「呼び捨ては止めなさいって言ってるでしょ!」
謝罪を受けながらも憤慨しているカリン。
カリンにとっては偉大な姉なのだろうが、俺からすれば友人の姉に過ぎない。
しかも加えてツバキは俺より年下だ。俺が呼び捨てにしても怒られる筋合いはないのだが……まったく、困った幼女である。
「それはそうとルカ、お前の兄貴であるライゲンとはどんな男なんだ?」
待合室代わりの客室でクッキーをぱくぱくしているルカに話を振る。ちなみに自称親友のカンジにも同様の質問をしているが、生憎と参考にはならなかった。
大抵の知人を『いい奴』で片付けてしまうカンジだけあって、当然のように『ライゲンはいい奴だぜ!』という爽やかな答えが返ってきたのだ。
無茶な嫁探しを引き受けるくらいなので間違いではないのだろうが、言葉の幅が広すぎてライゲンの人物像が掴めないと言わざるを得ない。
「……んぐ、んぐ……んっ、ライ兄か? めちゃくちゃ強いぞっ!」
こちらもあまり参考にならなかった。
というか、長男の事を聞いた時にも同じ答えを言われた記憶がある。ルカの中では強いか弱いかしか判断基準がないのかも知れない。
この答えではライゲンが戦闘狂のように感じられるので不安が残る。もう間もなく主従は帰ってくるとの話だが……出会い頭に襲われない事を祈るばかりだ。
――――。
一目見て、それと分かった。
案内されたスイートルームには会議室が内包されており、部屋の中にはテレビで観たことがある神桜ツバキの他にも多数の人間が控えていた。
だがそれでも、その男が海龍ライゲンだと一目見ただけで分かった。
その男がルカに似ているからではない、むしろ両者の外見は全く似ていない。
それはまるで西洋彫刻のような男。彫りの深い顔立ちもそうだが、神話に出てくる英雄のような荘厳とした雰囲気を身に纏っている。
部屋の中には護衛と思しき人間は多いが、どう考えてもこの男が海龍ライゲンだとしか思えない。隙の見えない佇まいからしても他の護衛とは別格だ。
「ライ兄、久しぶりだなっ!」
俺の推察を裏付けるように、ルカがニカッと笑顔で男に走り寄る。
そしてハイタッチをするような自然な流れで拳を繰り出す――が、男は焦ることなくガシッとその拳を掴み取った。
「……久しいな、ルカ」
男はルカの拳を掴んだまま無表情で返した。
傍目には怒っているようにも見えるが、俺の目には負の感情が見えていない。むしろ男の瞳には父親が娘を見るような温かみがある。
思い返してみれば……ルカは父親と再会した時にも殴り掛っていたので、海龍家では再会した人間に襲い掛かる風習があるのかも知れない。
龍の里への再訪が躊躇われる風習である。
「こらルカ、周囲の人間を驚かせる事をするな」
とりあえず暴れん坊を叱りつけておく。
客観的に見ればカリンの護衛が暴走したように見えたからだろう、部屋に居る他の護衛たちがギョッとした目を向けているのだ。
この粗暴な振る舞い、友人として非常識を咎めないわけにはいかない。……兄に会えた嬉しさが勝っているのか、ルカは怒られたのに嬉しそうな顔をしているが。
「――――下がりなさい」
そこで部屋に響いたのは凛とした声。
人の意識の奥底にまで届くような、神桜ツバキの冷然とした声だ。
その一声で動揺していた護衛たちは平静さを取り戻し、主の命令に迷いを抱くこともなく一礼して去っていった。
後に残ったのは神桜姉妹と海龍兄妹。
そして、非血縁者の俺だけだ。
ひょっとすると俺も退室しなくてはいけないのか? と懸念を抱いたが、部屋の主の態度からすると俺はセーフのようだ。
ふと気が付けば俺だけが非血縁者で仲間外れだったので一安心である。
「ライゲンの事で話があると聞きました」
そして神桜ツバキは前置きもなく本題に入った。俺に自己紹介の隙を与えないのはともかく、妹との再会に雑談も交わさないとは無粋な振る舞いである。
カリンは緊張で言葉が出ない様子なので、俺がひと肌脱いでやるべきだろう。
「まぁ待て、家族との交流を疎かにするな。カリンもいつものように言ってやるといい――『お姉様の時代はもう終わりですわ、オーホッホッホッ!!』とな」
「なっ……ちょ、わ、私の声音で変なことを言うのは止めなさいっ!」
よしよし、カリンはいつもの調子を取り戻したようだ。探偵の嗜みとして変声術を練習していた甲斐があったというものである。
カリンは姉の前という事を思い出したのか「……ご、ごめんなさい」と赤面して口を噤んだが、それを見たツバキは小さく首を振る。
「謝罪は不要です。それからカリン、貴女の事はよく聞いています。道化者の戯言に惑わされる事はありません」
鉄仮面を被っているように表情が動かないツバキだが、しかしその発言内容は明らかにカリンを気遣ったものだった。
他人に興味が無さそうな雰囲気を持っているので少し意外だ……いや、他人に誤解されやすいという意味ではカリンと似ていると言えるだろうか。
小粋なジョークを放っただけで俺が道化者にされてしまったのは不本意だが、カリンが嬉しそうにもじもじしているので結果的にはこれで良かったのだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、六二話〔沈着的な恋慕〕