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泣き虫お嬢様と呪われた超越者  作者: 覚山覚
第一部 始まりの神桜
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六話 聖人的新聞配達

 草木も眠る未明、俺は静かにベッドから身を起こした。


 ソファの背を倒したソファベッド。ここが事務所兼自宅である事を象徴するような代物だが、その寝心地は決して悪いものではない。


 テーブルの上ではカラスがクッションに埋もれるようにして眠っている。

 野生の心を感じさせないその寝姿に苦笑しつつ、俺はカラスの眠りを妨げないようにひっそりと事務所を出ていく。


 時刻は深夜三時。今日は風の弱い日だが、それでも夜中の寒さは体に優しくない。これからバイクに乗らなくてはならないので尚更の話だ。


 夜中にバイクに乗る――そう、新聞配達だ。


 千道探偵事務所を開業して三カ月。

 これまで依頼らしい依頼もほとんど無かったので、現在はアルバイトを掛け持ちして生活費を工面しているのだ。


 もっとも、バイトに本腰を入れると探偵ではなくプロのフリーターになりかねない。あくまでも探偵業が本業という事で、早朝の新聞配達をベースとして、昼間は必要最低限の日数だけ日雇いで働くようにしている。


「――おはようございますチャイクルさん。今日も早いですね」


 通い慣れた職場に着いて早々、俺は礼儀正しく朝の挨拶を口にする。

 俺はあまり敬語を使わないが、敬意を払うべき人間には礼節を忘れたりしない。昨日の老執事のような相手は論外だが、この人は尊敬に値するだけの人物なのだ。


「オヤハヨ、ビャク!」


 少々言語が怪しいチャイクルさん。

 彼はいわゆる他国からの出稼ぎ労働者だ。今日も彼のニカッと清々しい笑みには邪心が欠片もなく、俺も自然と頬を緩めてしまう。


 俺には他人の負の感情が見たくなくとも見える。そしてそれ故に、チャイクルさんと初めて出会った時には衝撃を受けた。


 このチャイクルさんは、目を疑うほどに負の感情を発しない人物だったのだ。


 聖人気取りの偽善者は掃いて捨てるほどにいるが、本物の聖人とは彼のような存在なのだろうと思う。……しかし、お人好しの善人ほど損をするのが世の常だ。


「チャイクルさん。今日は四区の担当がお休みだからそっちの配達もお願いね」


 さらりと仕事を押し付けようとしているのは、新聞販売店の副店長だ。

 新聞配達は各人に担当区域が割り振られており、一人が休むと周囲の人間がカバーするという形になる。だから別の人間に仕事が振られるのは仕方ない。

 だが、それをチャイクルさん一人に背負わせるのは間違っている。


「それは聞き捨てならんな。そもそも四区のフォローなら、隣接する区の担当が分担して受け持つべきだろう」


 配達区域の近い人間がフォローした方が効率的であるのは明白だ。

 しかし副店長は頼みやすい人間に声を掛けたのだろう、担当区域の遠いチャイクルさん一人に任せようとしている。これは俺が口を出すのも当然だ。

 だが……面倒事を押し付けられたにも関わらず、チャイクルさんは笑顔だった。


「ワタシ、釜茹(かまゆ)デネ!」


 ふ、ふむ……なるほどなるほど。

 会話の流れや語感から察するに『私は構わないよ』という事なのだろう。チャイクルさんの発言は難解なものが多いが、名探偵である俺には全てお見通しなのだ。


「……分かりました。では、俺が四区の配達分を半分受け持ちます」


 チャイクルさんが快く受け入れている以上、俺に出来るのは彼の負担を減らす事だけだ。ベテランが二人で分担すれば大した手間でもないだろう。


 俺の手伝いの申し出を受け、副店長は悪びれる事もなく「じゃあ二人ともよろしくね」と新聞の束を置いて去っていく。


 これで特別に手当てが出るなら分からなくもない態度だが、サービス残業のような仕事を押し付けておきながらこの態度だ。後ろめたさすら感じていないのは恐ろしいという他ない。


 ここの賃金形態は、一カ月間配ることを前提として一軒あたり三百円。

 俺の場合は二百軒担当しているので月に六万円の給料になるという計算だ。


 本来なら余分に配達する場合は手当てを付けてもらって然るべきだが、この営業所ではそんな配慮は無い。そう、とんだブラック職場なのだ。


 しかし、それでも不平を訴えるのは難しい。


 下手に動いてチャイクルさんが職を追われるような事態になったら取り返しがつかないし、なによりここはブラックではあってもグレー寄りのブラックなのだ。


 近年では移民や出稼ぎなど海外からの労働者が急増しているが、ここの労働環境は相対的には上等な部類に入ると言えるのが実情だ。


 当のチャイクルさんがニコニコしているのなら、第三者の俺が余計な波風を立てるわけにはいかない。ここで騒いだところで俺の自己満足にしかならないのだ。


「アルゴット、ビャク!」

「いえいえ、構いませんよ。配達の仕事自体は好きですからね」


 チャイクルさんに爽やかなお礼を言われたので笑顔で返しておく。

 実際、俺の言葉に嘘はない。俺は今まで様々な職種を経験しているが、新聞配達という仕事は楽しい仕事の部類に入るのだ。


 無人の時間帯にバイクを運転するのは楽しいし、この仕事は時給制ではないので担当区域が終わったら帰宅が許されるという点も好みだ。


 定期的な休みが月に一度しかなく、大雪や台風の日も休めないという欠点もあるが……まぁ、多少のデメリットはやむなしだろう。


「しかし相変わらずチャイクルさんは人間が出来てますね……。今回のような依頼は断っても構わないと思いますよ?」


 チャイクルさんのような善人は傍から見ていると心配になる。

 今回のような些事ならともかく、高額の借金を申し込まれても『イイネ!』と流行りのSNSばりの快諾をしかねない危うさがあるのだ。

 そんな俺の懸念にも、チャイクルさんの朗らかな笑顔は変わらない。


「私、ロボット、作ッテル!」


 くっっ、分からん……!

 ど、どういう意味なんだ……。なぜ急にロボットの話になったのか……?

 いくら名探偵と言えども万能ではない。神ならぬ身では限界があるのだ。


 しかし、ここで推理を諦めてはいけない。


 チャイクルさんはリスニングに関してはしっかりしている。ただほんの少しスピーキングに問題があるだけなのだ。


 ここで大事なのは文脈だ。

 直前の俺の発言内容から鑑みると、『人間が出来てますね』という発言に対しての返答が『ロボット作ッテル!』なのだろう。


 そう考えれば繋がりがあるような無いような…………だ、だめだ、考えれば考えるほど思考の迷宮から抜け出せない。

 名探偵として恥ずべき事だが、ここは本人に直接答えを聞くしかなさそうだ。


「ロ、ロボットとはなんでしょうか……?」

「ロボット、機械ネ!」


 なっっ!?

 まさかのマジレス……!


 なんてこった……答えとして間違ってはいないが、なにやらすごくモヤモヤしてしまう。しかし俺にはこれ以上攻める自信が無い。今日のところは深入りを避けるしかないだろう……。


次回、七話〔思わぬ来訪者〕

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