五四話 静かな職業殺人者
旅の汚れを落とした風呂上がり。ほかほかと上機嫌なカリンたちも交えて歓談していると、ルカの父親が帰還したという報せが山龍家に届いた。
海龍は村の中心的存在だけあって、村人が気を利かせて報せに来てくれたのだ。
龍の里は大半が血族で構成されているそうだが、上流社会で有名な『海龍』の性を名乗っているのはルカの家族だけと聞いた。
にこにこ顔でジュースを飲んでいるルカ。この純粋無垢でカリスマ性の感じられない少女は、これでも数少ない宗家の直系という訳だ。
「ルカの父親か……。いきなり襲い掛かってくるような事がなければいいが」
村人たちの反応から判断する限り、ルカの家族にも俺の人間性が誤解されている可能性は高い。しかもルカの父親は極めて腕が立つという話だ。
物騒な話も聞いているので出会い頭に命を狙われる想定はしておくべきだろう。……軽く話を聞きに来ただけのはずが、なにがどうしてこうなったのか。
「親父に襲われても大丈夫だ。ビャクにはアタシがついてるからな!」
「それはありがた……いや、そもそもの原因はルカだったな。ルカがきちんと説明しておけば何も問題は無かったんだ」
一瞬だけ心強い言葉に感謝してしまいそうになったが、すぐにルカが元凶であった事を思い出した。セクハラ委員会の代表を務めているカリンが「元はと言えばセクハラしたビャクが悪いんでしょ!」と俺を悪者にしているが、こちらはいつもの事なので聞き流しておく。
「では、また後でな」
カンジに暫しの別れを告げ、俺たちは海龍家へと足を向けた。
これでカンジは気遣いの出来る男らしく、とりあえず部外者は遠慮しておくとの事だ。……トラブルの予感を嗅ぎ取ったわけではないだろう、多分。
俺たちは荘厳な門を抜け、海龍家の玄関に足を踏み入れる。
すると来訪を待ち構えていたかの如く、ルカの父親が玄関に立っていた。
「――お主が千道ビャクか」
事前にイメージしていたのは野性的で『ガッハッハッ』と笑うような人物だったが、実際に会ってみると想像していた人物とはまるで違った。
鋭い眼光の奥に見えるのは理知の光。
俺の内面まで見抜こうとしているような深い眼差し。想像よりも若くなく年嵩の男ではあるが、気を抜けば心臓を抉られてしまうような凄みも感じられる。
想定していた人物像とは異なるが、これは想像とは別の意味で危険人物だ。
「うぉぉぉッ!」
そんな緊迫した空気の中、気合一閃とばかりに咆哮が響き渡った。
その野性味溢れる声の主はルカ――そう、なぜか実の父親に襲い掛かっていた!
「ぬっ――」
首を飛ばさんばかりの勢いで放たれた拳。狂気すら感じさせる猛拳は、父親の大きな手によって軌道を逸らされた。
それは円を描くような動き。
舞を舞うような滑らかな動きで、ルカの父親は重い一撃を流していた。ルカは躍起になったように連続して拳を放つが、それでも結果は変わらない。
ルカの父親は子供の頭を撫でるように柔らかく連撃を受け流していく……いやいや、感心して見ている場合ではない。ルカの蛮行を一刻も早く止めなくては。
「こら、何をやっているんだルカ」
「いでっ」
ルカの頭をビシッと手刀で小突くと、暴走兵器はようやく動きを止めた。
後方の警戒が疎かになっていたので介入は難しい事ではなかったが、しかし本当にルカの行動は理解できない。
もしかすると俺がルカの父親に襲われるかも知れないとは思っていたが、なぜルカが挨拶もしない内から先制攻撃を仕掛けているのか?
そんな疑問の最中、ルカが悔しそうに呟く。
「ぅぅぅ、親父を倒せなかった……ビャクにちゃんと頼まれてたのに」
なっっ!? ば、馬鹿な……!
それではまるで、俺がルカをけしかけたかのようではないか……!
これでは俺が手刀を放ったのも犯人を止める為ではなく『殺害に失敗するとは愚か者め!』と、黒幕の怒りを表しているかのような印象を与えてしまう。
「な、何を言っているんだ。本当に何を言っているんだ。俺が依頼したかのような言い草だが、俺はそんな事は一言も頼んでいないぞ」
俺は動揺を露わにしていた。
探偵が冤罪をかけられる展開は推理小説的にはままある事だが、まさか自分がその立場になるとは思ってもみなかったのだ。紛れもない事実を訴えたのに見苦しい言い逃れをしているかのような有様である。
「皆まで語らずとも構わん。ルカが早合点して先走った行動を取ったのであろう」
なんと素晴らしい、ルカの父親だけあって見事な読みだ。
殺されそうになったのに怒りの感情が見えないので、このようなルカの蛮行は日常茶飯事なのかも知れない。それはそれでどうなのかと思わなくもないが。
「その推察の通りだ。――が、俺に責任が無いとは言わない。ルカが迷惑を掛けた事を謝罪させてもらおう」
父親に対して娘の不始末を謝るのはモヤらないでもないが、ルカの蛮行については俺にも責任の一端があるのは事実だ。
おそらく『ルカの父親に襲われる可能性がある』と俺が口にしていた事で、戦闘脳のルカが『殺られる前に殺る、先手必勝!』と脅威的な結論を出してしまった可能性が高いのだ。被害者が気にしていなくとも謝罪するのが筋というものだろう。
「なに、この程度の事は構わぬ。娘の戯れを受け止めるのも父親の役目だ」
案の定と言うべきか、ルカの父親は寛容な返答を返した。
どう考えても戯れの域を超えていた気がするが、この父親にとっては娘にじゃれつかれたようなものだったようだ。
俺としては『娘に父親の殺害命令を下した外道』と誤解されなかったので安堵するばかりだ。危うく名探偵の看板を汚すところだった。
「久しぶりだな親父っ!」
「ああ、久しいなルカ」
襲撃しておきながら何事も無かったかのような笑顔のルカ。あまりにも図太い態度だが、しかし応える父親の方も涼しい顔だ。
これはルカが脳筋モンスターに育ってしまったのは父親の影響が大きいと考えざるを得ない。……まぁ、それはともかくとして。
「玄関で立ち話をする事もあるまい。とりあえず家の中に案内してもらおうか」
「……ビャクって誰にでも偉そうな態度よね」
カリンが俺の背中に隠れたまま悪態を吐く。
人見知りの幼子のように警戒しているが、これは無理からぬところではある。
ルカの父親は悪人という感じではないが、その身に纏っている空気は尋常なものではない。強力な兵器が眼前に存在していればそれだけで緊張するというものだ。
ふてぶてしいラスでさえ俺の肩にとまったまま口を聞いていないので、これで臆病なところがあるカリンが小さくなっているのも当然だ。
ここは俺が安心させてやるべきだろう。
「なぁに、心配するな。ルカの父親は危険人物だが快楽殺人者などではない。おそらくは職業殺人者、暗殺者の類だろう」
「それのどこに安心出来る要素があるのよ……っていうか、本人の前で暗殺者とか失礼な事を言うのは止めなさいよね」
警戒しているカリンとラスの為にフォローを入れたにも関わらず、反抗的な幼女に無礼者扱いされてしまった。カリンの付き人に初対面で『殺し屋のような方』と言われてしまった俺の立場はどうなるのか。
そもそも本人の前で陰口を叩くのは失礼だからこそ堂々と伝えたのだが、その心意気がカリンには理解できなかったようだ。
「――ほう、いい目だ」
現にルカの父親は気分を害すどころか感心している様子だ。
あっさりと暗殺者説を肯定されてしまったので複雑な思いではあるが、しかしルカの父親に害意が見えない事は間違いない。
知性的で超能力事情に詳しそうな雰囲気もあるので、この友好的な空気なら色々と有益な話を聞き出せるはずだろう。
明日も夜に投稿予定。
次回、五五話〔狙われていた海龍〕