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泣き虫お嬢様と呪われた超越者  作者: 覚山覚
第一部 始まりの神桜
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五話 騒がしい同居者

 まったく酷い目に遭った。

 近年では犯罪件数が激増しているので警察の対応が厳しくなるのは分かるが、それを考慮しても俺への扱いは酷いものだった。


 理不尽を極めていた結論ありきの尋問。


 罪を認めないと帰さないという刺々しい雰囲気だったので、心の弱い者なら『出来心でした』と不埒者の一味として自供させられていたに違いない。

 しかし、厳しい尋問は唐突に終わりを迎えた。


「――この度はお嬢様が大変お世話になったとお聞きしております。神桜家の使用人の一人としても感謝の念に堪えません」


 慇懃(いんぎん)な態度で頭を下げる老執事。

 あの金髪幼女が神桜家のお嬢様とは分かっていたが、執事という存在を目の当たりにすると改めて別世界の人間だと実感させられる。


 俺の事情聴取が唐突に終わったのも、神桜家が警察に手を回したからなのだろうと思う。明らかに不自然な終わり方だったのだ。


「心ばかりのものではありますが、どうぞこちらをお納めください」


 そう言って、老執事は分厚い封筒を差し出す。

 わざわざ中を確かめずとも分かる。この封筒の中身は『現金』だ。しかもこの厚みからすると相当な大金が入っているようだ。

 だが、これを受け取ることは許されない。


「そんなものは要らん。俺は金目当てで動いたわけじゃないからな」


 本業の探偵業で依頼料を貰うならともかく、困っている子供を助けただけで大金を貰うわけにはいかない。そもそも見返りを期待して行動したわけではないのだ。……それに、この金を受け取りたくない理由は他にもある。


「心配せずとも余計な事を言い触らすつもりはない。(わずら)わしい取り調べを終わらせてくれただけで充分だ」


 俺の率直な言葉に、老執事は微笑を浮かべたまま眉をぴくりと動かした。

 そう、この金に『口止め料』が含まれている事は明白だ。なにしろカリンは神桜家の息女。名家が体面を気にして内々で処理したいと考えても不思議ではない。


「……左様でございますか。お嬢様へのご配慮、重ねてお礼を申し上げます」


 老執事は穏やかな笑みを浮かべて頭を下げた。

 しかし、表面を取り繕ったところで俺の目には薄汚い感情が見えている。


 俺という人間を完全に見下している侮蔑心。

 見ているだけで気分が悪くなるような暗い猜疑心。……老執事が疑心を抱いているのは素直に金を受け取らなかったからだろう。


「もう会う事はないだろうが、あのお嬢様によろしく言っておいてくれ」


 魅惑的な現金の誘惑を振り切り、俺は早々に警察署を後にした。

 老執事のような人間と会話を続けるのはストレスになる。用が済んだからには長居は無用という訳だ。


 しかし実のところ、醜悪な感情を内面に抱えている人間は珍しくもない。むしろ闇を抱えていない人間の方が珍しいくらいだろう。


 そういった意味では、あの幼女――神桜カリンという子供は稀有な存在だった。


 辛辣な言葉を口にしているのに暗い感情の見えない幼女。余人には分からなくとも、俺にはカリンの善性がよく分かった。今後はカリンと会う機会もないだろうが、あの善良な子供の健やかな成長を願うばかりである。


 ――――。


 警察署を発って一走りすると、目的地の雑居ビルに到着した。四階建ての雑居ビル。一階層に一店舗の小さな雑居ビルだ。


 一階には風俗案内所、二階と三階にはそれぞれ消費者金融が入居し、最上階の四階に俺の自宅兼事務所が入っている。


 千道探偵事務所――この千道ビャクが所長を務めている探偵事務所だ。


 所長と言っても俺以外の所員は存在しない。

 まだ開業して三カ月という事もあって、従業員を必要とするほど仕事の依頼がないのが実情だ。大手探偵事務所の系列ならともかく、個人で立ち上げた探偵事務所に早々依頼が来るはずもないのだ。


 俺は雑居ビルの薄暗い階段を上る。

 当然と言うべきか、このビルにエレベーター的な贅沢設備は設置されていない。

 階段を使うことは健康的で悪くないのだが、自宅に毎日出入りしているだけで消費者金融のヘビーユーザーに見えてしまうのが難だろうか。


 この辺りの事情も客を遠ざける一因になっている気はするが、しかし若輩者の俺に選べる事務所は限られるので贅沢は言えない。


 俺は軽快な足取りで四階まで上がり、我が家である探偵事務所の扉を開ける――その直後、室内から声が飛んできた。


「――カァッカッ、遅かったじゃねぇか相棒。なにかあったのかよ?」


 この事務所兼自宅に住んでいる人間は俺だけだ。

 しかし、事務所に出入りしている『生物』は俺だけではない。


「なんだ、まだ晩飯を食ってなかったのか。相変わらず律儀な奴だな」


 事務所の電気を点けると、見慣れた存在がテーブルの上に居座っていた。

 テーブルの上にあるサンゴを模した置物。声の主は、その置物の上に居た。


 ガラス玉のように無機質な瞳、艷やかに輝いている漆黒の羽――そう、部屋から聞こえた声の主は『カラス』だ。


「オレ様はなぁ、相棒が貧相なメシを食ってる横で豪勢なもん食うのが好きなんだよ。カァッカッカッ……!」


 この性格が歪んだカラスは俺が飼っているわけではない。一カ月ほど前、路上で横たわっているカラスを見つけたのが切っ掛けだ。


 車に轢かれて死んだのか? と思って近付くと、そのカラスは瀕死の状態でありながらも間違いなく生きていた。

 生きている以上は見過ごせるはずもない。俺はすぐに動物病院へ連れて行き、瀕死の状態だったカラスの治療を依頼した。


 保険の効かない動物病院の治療費は決して安いものではなかったが、金を惜しんで助けられる命を助けないという選択肢はなかったのだ。


 高額な治療費を支払った甲斐あって、カラスが無事に一命を取り留めたのは良かった――が、しかしこのカラスは普通のカラスではなかった。


 入院させる費用が無かったので快復するまで事務所で面倒を見ていると、ある日に当たり前のように話し掛けてきたのだ。


 鳥が喋ること自体は異常ではない。

 オウムや九官鳥が喋るのは有名であるし、カラスが喋るという話も聞いた事がある。珍しくはあっても前例が無いわけではないのだ。


 しかし、オウムなどが言葉を発するのは声真似に過ぎず、カラスにしてもこのカラスのように流暢なコミュニケーションを可能とするわけではない。眼前のカラスは明らかに異常な個体だと言えるだろう。


「まったく、物好きなカラスだな……。せめて次からは事務所の照明くらいは点けておくがいい。鳥目だから暗闇では何もできないだろう」


 このカラスは怪我が治った後に飛び立ったにも関わらず、それからも頻繁に事務所を訪れている。鍵を掛けていない小窓を器用に開けて、まるで自宅に帰ってくるかのように気軽にやって来るのだ。

 

 俺としても好んで顔を見せているカラスを邪険にするつもりはない。

 一般人であれば鳥獣保護法的に世間の目が気になるところかも知れないが、名探偵は世間的体裁などの些事には縛られないのだ。

 そもそも、カラスの怪我が治ってからは俺は食事の世話をしていない。


「また弁当を持ってきたようだな。しかもそれは……チキン南蛮弁当か」


 俺が食事の世話をするまでもなく、このカラスは独力で食事を調達している。

 コンビニの弁当を持参する事もあれば、今日のように定食屋の弁当を持ってくる事もある。このカラスが窃盗などの違法行為を犯していない事は信用しているので、賢い頭脳を利用して合法的に入手しているのだろうと思う。

 

「おうよ、今日はチキン南蛮よ。相棒にも三切ればかし分けてやらぁ」


 カラスは得意げな声で戦果を誇り、当然のように俺へのお裾分けを提案した。

 なにやら助けられた事を恩義に感じているらしく、このカラスは憎まれ口を叩きながらも何かと俺に恩を返そうとするのだ。


 しかし、俺にもプライドがある。

 名探偵としてカラスに弁当を分けてもらう事を良しとするわけにはいかない。仕事は無くとも名探偵の誇りを失くしてはならないのだ。


「ふふ、俺を甘く見るなよ。――二切れだ。それ以上貰うわけにはいかないな」


 俺は名探偵としてのプライドを守った。

 たしかに俺はチキンカツが好物であるし、チキンカツにタルタルソースをかけたチキン南蛮も大好きだ。しかしそれでも、最低限の誇りは守らなくてはならない。


 小生意気なカラスは「相棒の価値観は理解に苦しむぜ……」などとボヤいているが、このカラスは賢くとも人心の機微には疎いようなので仕方ない。


「ほら、その弁当を温めてやるから貸してみろ。お前はその間にテーブルでも拭いておいてくれ」


 俺は弁当をレンジに投入しつつ、小さな片手鍋に水を張って火にかける。沸騰したお湯にめんつゆを入れ、そこに冷凍うどんを投入だ。


 冷凍うどん――五食分で二百円を切るコストパフォーマンスの怪物。茹でても焼いても美味しいという、日々の食生活を支える強い味方である。


 先のカリンには取り調べ室でカツ丼を食べるような事を言ったが、取り調べ室での食事は自腹が基本となっている。

 生活に余裕があるならともかく、千道探偵事務所の経済事情を考えれば贅沢はできない。事務所に帰るまで食事を我慢するのは当然の事だ。


 煮立ったうどんを丼に移してテーブルに置く。

 レンジで温めた弁当をカラスに渡し、各人に飲み物を用意したところで、俺は堂々とした態度でカラスに告げる。


「では、そのチキン南蛮を二切れ貰おうか。もちろんタダとは言わない。対価として水を提供してやろう」

「カァーッ、ただの水道水じゃねぇか。相変わらずしけてやがんなぁ」


 俺より贅沢な食生活を送っている雰囲気のあるカラスが悪態を吐く。

 このカラスならミネラルウォーターを常飲していても不思議ではないが、ここは人間の代表として反論せざるを得ない。


「おいおいカラスさんよ、最近の水道水のクオリティを舐めてもらっては困るな。そもそも俺も同じ水なんだから贅沢を言うんじゃない」

「カァッ、たまには茶なりコーヒーなりを嗜むべきだと思うぜ」


 カラスは不満を口にしつつも、その発言とは裏腹にどこか上機嫌な様子だ。

 俺を相棒呼ばわりしているだけあって、こちらと同じ待遇である事に満足しているのだろうと思う。親しい者と対等で在りたいという気持ちは分からなくもない。


 ――――。


「――それで幼女に『ありがとう名探偵のお兄ちゃん!』とお礼を言われてめでたしめでたしという訳だ」


 俺はうどんを(すす)りながら今日の事件をカラスに語っていた。多少脚色を交えたことでカリンが別人のようになってしまったが、全体的な話の流れに間違いはない。


 小癪なカラスは「今の話に名探偵要素があったか?」と難癖をつけるような感想を漏らしているが、まだ人語を覚えて間もないので理解力が不足しているだけだ。このカラスは賢いので将来的には浅はかさを悟るはずだろう。


 それにしても、やはり話し相手が存在している生活というのは悪くない。


 俺は騒がしい孤児院で育ったからか、独り暮らしを始めてからは常に違和感が拭えなかったのだ。……このカラスは俺に感謝しているようだが、むしろ俺の方が感謝すべきなのかも知れなかった。


次回、六話〔聖人的新聞配達〕

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[良い点] カラスに餌付けされる人間って新しいなw
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