四七話 微笑ましき主従の絆
「――ビャク、カリン、一緒にあっちのコースに行こうぜ!」
「向こうは上級者コースか。俺たちにはまだ早いから一人で行ってくるといい」
俺がやんわりと誘いを断ると、ルカは一瞬だけ残念そうな表情を浮かべてから「分かった!」とほぼ崖のようなコースに走り去った。
スキー板を履いた直後は『これ動けないぞ!』と文句を言っていたルカだが、持ち前の運動神経で滑りのコツを掴んでからは手が付けられない。
今や自分がカリンの護衛を務めているという事実を完全に忘却していた。
「分かってはいたが、やはりルカの順応性は尋常ではないな。スキーもスノーボードも短時間で乗りこなしてしまうとは見事なものだ」
ルカはスキーを習熟した直後にはスノーボードに転向しているが、そちらも上から一度滑っただけで上級者の仲間入りをしている。
最初に提案された丸太滑りは詳細を聞くまでもなく否定してしまったが、ルカの運動神経からすると丸太でも華麗な滑りを見せてくれたのかも知れない。
「ふん、ビャクも行きたいなら行けばいいじゃない。別に私は一人でも大丈夫よ」
おっと、ルカの滑りを褒めていたらカリンが拗ねてしまった。
三人の中で唯一まともに滑れないので面白くないのもあるだろうが、これは比較対象が悪い。ルカは別格として、俺とて身体を動かすのは得意な方なのだ。
それでなくともカリンは運動慣れしていないので、一人だけ初心者コースから抜け出せないという現状になっているのも仕方ない。
「俺は上級者コースに行きたいとは一言も言ってないぞ。それにカリンやラスと話しながら気楽に滑るのも好きだからな、カリンは気にせずに練習していろ」
「っ……そ、そう。仕方ないわね」
憎まれ口を叩きながらも嬉しそうなカリン。
これで寂しがり屋なところがある幼女なので一人になるのは嫌だったのだろう。
もっとも……煽りカラスが「頻繁に転ぶやつを見てるのは面白いぜ」と煽っているくらいなので、俺が同行しなくともラスが付いていたという可能性は高いが。
――――。
「カァーッ、もっと内側に体重をかけてエッジを利かせんだよ」
「わ、分かってるわよ!」
煽りながらも適切なアドバイスを送るカラスと、悪戦苦闘しながらも少しずつ上達している幼女。俺と一緒に動画を観ただけのラスが名講師のような顔をしているのはともかく、これで中々に悪くないコンビだと言えるだろう。
「……って、ビャクは何してんのよ!」
「ああ、これか。雨音がカリンの滑っている姿を見たいと言っていたからな」
なにげなくスマホを向けてカリンの転ぶところを動画で撮っていると、被写体のカリンからクレームが入ってしまった。
着ぐるみ的な幼女が転び続けている姿はほっこりする映像だったが、やはり撮影許可を取っていなかったのは問題だったかも知れない。
「雨音が私の滑っているトコを……。だったら撮るなとは言わないけど、もっとちゃんと滑れるようになってから撮りなさいよね」
入院中に退屈している雨音の事を気遣ったのか撮影自体は許されたようだ。
しかし成長記録を見せるという意味では失敗シーンは欠かせない。こればかりは名監督として譲るわけにはいかないのだ。
「それにそれ、さっきからラスが普通に喋ってるけど大丈夫なの?」
カリンの懸念はもっともだ。
雨音にはラスの会話能力を伝えていないので、雨音からすれば謎の声が動画に入り込んでいるという事になりかねない。……下手をすれば俺が『カァッ』と口走っていると誤解される恐れもあるだろう。
「ラスのところは編集か……もしくは、事前にラスの事を紹介しておくかだな」
雨音にならラスの特異性を知られても支障は無いのだが、しかし雨音は病院に入院しているという問題がある。
なにしろラスは鳥類。
どれだけ身綺麗にしているとしても、基本的には病院に入り込むことが許されない存在だ。そうなるとビデオ通話を利用して紹介するのが無難な線だろうか。
「紹介で思い出したが、ラスはユキとも親交があるんだったな。あの子にはどこまでラスの事を教えたんだ?」
真星ユキ。有名な冷凍食品メーカー『マジ吉』の娘でありカリンの友人。
そのユキがラスと親交を持っている理由は他でもない、共通の友人であるカリンを通じてチャット仲間になっているからだ。
そう、チャット仲間。
事の発端は先の誘拐事件。
カリンの救出にはラスも一役買ったという事で『借りを返さないのは神桜の名が廃るわ!』と、カリンがラスにスマホを贈ったのが切っ掛けだ。
ラスとて見返りを求めていたわけではないので最初こそ渋っていたが、今となってはスマホが手元にないと落ち着かなくなるほどのスマホ使いに成長していた。
「オレ様の事は直接会って話したいが、なにせユキ嬢は忙しいからなぁ……」
なるほど、まだラスの正体はカミングアウトしていないようだ。
チャットのプロフィール画像がカラスになっているので隠していないとも言えるが、まさかユキもチャット相手そのものの画像だとは思っていないだろう。
「ユキは習い事が多いらしいからな。今回も旅行の日程が合えば良かったんだが」
一応はカリンがスキーに誘ってはいるが、一週間前に旅行を決めたという事もあってユキとは日程が合わなかったのだ。
もうスキーシーズンも終わりなので旅行を延期できないという事情も悪かった。
「旅行に行くならもっと早くに言いなさいよね。事情が事情なのは認めるけど」
「まぁ、ユキとスキーに行くのは来年だな。その時には『えっ、ユキは滑れないの!?』と存分にマウントを取ってやるといい」
「私はそんな事しないわよっ!」
ぎゃいぎゃい騒ぐカリンを受け流しながら滑っている内に、麓へと到着した。
まだティータイムには早いが、体力の無いカリンがはぁはぁしているので一旦小休止だ。そして程なくすると、ルカも上から颯爽と滑ってきた。
「カリン、もう上級者コースで一緒に滑れるか?」
「無理に決まってるでしょ。あの急斜面、ほとんど崖じゃないの」
初心者コースすら怪しいカリンに、さらりと無茶な誘いを掛けるルカ。
一緒に滑りたいという気持ちは分からないでもないが、初心者を上級者に合わせようという発想は中々のものだ。
「そこはルカが初心者コースに来るところだろう。……まぁしかし、カリンのスキーウェアなら上級者コースでも怪我をする心配は無さそうだが」
この着ぐるみスキーウェアは見た目以上に高性能な代物だ。
雨音がカリンの為に用意した特注品のようだが、動きを観察する限りではモコモコしているのに可動性も悪くないのだ。
「前々から用意していたスキーウェアだと聞いたが、カリンがスキーに行くかどうかも分からない内から用意しているとはな……カリンは本当に愛されているな」
雨音がカリンを大切にしているという事は言動の端々から感じられる。
そもそも俺が雨音の信頼を獲得した要因の一つが――『お嬢様を傷付けた者を半殺しにして両手足を折ったと聞いております』という素直に喜べないものなのだ。
それは事実として間違ってはいないのだが、雨音にニッコリ笑顔で言われてしまうと微妙な感があると言わざるを得なかった。
「……雨音はちょっと過保護なのよ。私はもう子供じゃないのに」
不満そうな発言内容とは裏腹に、カリンの声音は柔らかいものだ。この様子からすると、カリンはカリンで雨音から大事にされているのが嬉しいのだろう。
そこで、ルカが触発されたように口を挟む。
「アタシもカリンの事は好きだぞ!」
どうやらカリンの事が大好きな雨音に対抗心を持ってしまったようだ。
普通なら照れ臭くて口に出せないような事だが、このような事を臆面もなく言えてしまうのがルカの良いところだろう。
むしろ言われたカリンの方が「そ、そう……」と赤面して照れ照れしている。
「よしよし。ほら、ミルク飴をやろう」
「あむ……」
素直な良い子はしっかり褒めるのが俺の役目。
ついでにルカの頭をわしわし撫でてやると目を細めて嬉しそうだ。この純粋な気持ちを忘れないでほしいものである。
お決まりのようにカリンが不機嫌そうになったので、こちらにも飴を与えて頭を撫でる――が、モコモコのフードが邪魔をして頭を撫でている感覚は皆無だった。
「むむっっ……ちょっと、私は飴なんかで誤魔化されないわよ! いつもいつも、ルカに餌付けするのは止めなさい!」
そのせいかカリンの機嫌は直らない。
公園の鳩へのエサやりを咎めるかのように俺を責め立てる始末だ。それでも頬を膨らませてミルク飴を舐めているあたりは好感が持てるが。
ともあれ、カリンの怒りを逸らしておこう。
「休憩はこれくらいにして、そろそろまた滑りに行くか。次はソリに乗ってみるのはどうだ? あれなら二人で一緒に乗れるぞ」
まだカリンの足には疲労が見えるので、気分転換も兼ねてソリに乗ってみようという訳だ。ソリは操作性が悪いという問題があるが、この貸し切りのスキー場では人にぶつかる心配もない。ソリで滑るには打ってつけの環境だと言えるだろう。
「カリン、アタシと一緒に乗ろうぜ!」
予想通りと言うべきか、ルカのソリへの食いつきは抜群だった。
元よりカリンと一緒に滑りたがっていた事もあるだろうが、どちらかと言えば未知の乗り物に興味津々といった気持ちの方が強そうだ。
「ちょっと子供っぽい気がするけど……いいわ、私が一緒に乗ってあげるわ」
大人ぶりたい年頃のカリンには子供っぽさが気になったようだが、それでもソリに興味を持っている気持ちが見て取れる。
気乗りしない口調ながらも期待に頬を紅潮させているのは微笑ましい。俺も少しソリに興味があったが、この場は仲の良い主従に先を譲るとしよう。
明日も夜に投稿予定。
次回、四八話〔砕かれた主従の絆〕