四話 約束された味
安全確保が終わったとなれば、次は被害者のケアに移るべきだろう。
なにやら金髪幼女は呆然として固まっているので、年長者として優しく声を掛けて安心させなくてはならない。俺は金髪幼女にゆっくりと近付く。
「ひっっ……」
しかし、金髪幼女は恐怖を露わにして後ろに下がってしまった。
もちろん俺には幼女の心境は分かっている。不埒者から解放されて安心した事で、今更ながらに恐怖を感じているのだろうと思う。
被害者の心を解きほぐすのも名探偵の役目。
こんな時にはアレの出番だ。
俺はポケットを漁り、対幼女向きの秘密兵器を取り出す。ランニング用のトレーニングウェアから取り出したのは――飴玉。
俺の容姿は子供に警戒されやすいので、常に子供のご機嫌を取れるように飴の所持は欠かしていない。しかも今日持っているのは『ミルクの村』、優しくも濃厚な味がするミルクキャンディだ。
この飴をもってすれば俺の勝利は約束されている――『この飴、優しい味。この人、優しい人。この人は――生き別れのお兄ちゃん!』
やれやれ、まさか天涯孤独の俺に妹が出来るとはな……。俺とこの幼女、髪の色から顔立ちまで全く共通点がない事など些細な問題だろう。
というか……よく見るとこの幼女、恐ろしいほどに整った容姿をしている。
輝く金色の髪、透き通った空のような碧眼。
ある種の芸術作品を思わせるほどの綺麗な顔だ。
営利目的の誘拐に巻き込まれたものと考えていたが、これは幼女好きの変質者に襲われたという可能性もあるのかも知れない。
――いや、今はそんな事はどうでもいいか。
金髪幼女からは依然として怯えの気配が感じられる。事件の背景を探るより、名探偵として被害者を安心させるのが先決だ。
なぁに、この飴をあげればすぐにニコニコの笑顔に…………いや、待てよ。
仮にも名探偵を名乗る者として、ただ飴をポンと渡すだけでは芸が無い。
ここは小粋なサプライズ。飴をヒュッと口に放り込んで喜ばせてやるとしよう。
俺は指弾を得意としているが、もちろん汚れた手で飴に触れるような不衛生な真似はしない。袋越しに指で弾けば衛生面の問題もクリアだ。
「幼女よ、少し口を開けてみろ」
「な、なによ……っふごっ!?」
しまった……!
勢い余って喉奥にストライクしてしまった!
金髪幼女は苦しさからか、透き通った瞳に涙を浮かべているではないか……。
「わ、悪い、すまなかった……。予定では口内にソフトランディングさせるつもりだったんだ。本当に悪かった……」
幼女が目の前で殴られて気持ちが昂っていたのだろう、迂闊にも力加減を誤ってしまった。俺とした事が、こんな小さな子供を泣かせてしまうとは……。
これでは幼女を泣かせていた男を責める資格はない。骨を折られるべきは俺。誰か、誰か――俺の骨を折ってくれ!
俺はあわあわと著しく動転していた。
そんな俺の様相に警戒心を解いたのか、金髪幼女はくすりと笑った。
「……あんた、変なヤツね。いいわ、働きに免じて今回だけは許してあげるわ」
随分と尊大な態度を取られてしまったが、今回は俺に非があるので仕方ない。
それに、怯えられるよりは偉そうな態度を取られた方が望ましいというものだ。
「それにしてもあんた、無茶苦茶な事するわね。ガラスの破片で私が怪我をしたらどうするつもりだったのよ」
続けて金髪幼女は救出方法に文句をつける。
無事に助かったからこそ言える不満だろう。
「他に手段が無かったからな。それともあのまま攫われた方が良かったか?」
「ふ、ふん。ま、まぁ、一応は礼を言ってあげるわ。この私が礼を言ってあげるんだから感謝しなさい」
金髪幼女の窮地を救ったはずなのに、なぜ俺が感謝する側の立場になるのか。
明らかに良家のお嬢様といった雰囲気なので、常識的な感覚が欠落しているのかも知れない。ここは年長者として常識を教えてやらなくては。
「幼女よ、こういう時は『ありがとうお兄ちゃん!』と礼を言うものだぞ」
「なにがお兄ちゃんよ! それに私を幼女と呼ぶのは止めなさいっ!」
俺の優しいアドバイスに対し、金髪幼女からは激しい反発が返ってきた。
もしかすると社会のルールに逆らいたい年頃なのかも知れない。
そして幼女呼びは止めろと言われたが、俺は金髪幼女の名前を知らないのだから仕方がない。……いや、考えてみれば俺もまだ名乗っていなかったか。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺は千道、千道ビャクだ。『千道お兄ちゃん』でも『ビャクお兄ちゃん』でも好きなように呼ぶといい」
「なんでお兄ちゃんに限定してるのよ。おっさんのクセに図々しいわね」
反抗期の幼女はすかさず痛烈な批判を飛ばす。
しかし、これは聞き捨てならない発言だ。
「誰がオッサンだ、俺はまだ二十歳だぞ。まったく、人の容姿をあげつらうような発言は感心しないな」
「あんただって私の事を幼女とか言ってるじゃないの!」
とにかく噛みついてしまう幼女。
荒ぶる幼女をどうどうと宥めつつ、余裕のある大人として「名乗られたら名乗り返すものだぞ」と優しく常識を教えておく。
「いいわ、聞いて驚きなさい。私は神桜。私の名前は神桜カリンよ」
ふふん、と得意げに胸を張って名乗る幼女。
偉そうに言われて驚くのも癪だったが、不覚にも俺はその名に驚いていた。
この国の人間で……いや、世界でも『神桜』の名を知らない人間は少ない。
神桜財閥。ゴッドグループなどと呼ばれる一族。
その一族は実業家だけではなく、政治家や研究者など多方面に傑出した人材を輩出している事でも有名だ。……しかし、おかしい。
俺の知っている神桜家の人間は、黒髪黒目のアジア系だったはずなのだ。
「な、なによ……わ、私の顔をじっと見て」
金髪碧眼の幼女を凝視していると、幼女は照れたように顔を赤くした。
神桜の一族に西洋の血が入っているという話は聞いた事がないが、この幼女に嘘を吐いている気配はない。何かしらの複雑な事情があるのだろうか?
だが、他所様の家庭の事情を根掘り葉掘り聞くのは失礼というものだろう。
「いや、綺麗な顔だと思ってな。不躾な視線を向けて悪かった」
「なっっ!? な、なに、当たり前の事言ってんのよ! も、もしかして、私を口説いてるつもりなの!?」
真実を交えた言葉で誤魔化すと、金髪幼女は今にも爆発しそうな顔でまくし立てた。容姿など褒められ慣れてそうなものだったが、存外に耐性が無かったらしい。
しかし、俺をロリコンにしようとしているのは見過ごせない発言だ。
「まったく、なぜ口説くという発想が出てくるんだ。俺に幼女趣味はないぞ」
「私は幼女じゃないわよ! 今年で中等部に上がったんだからね!」
中等部、という事は十二歳?
この幼女は俺の腰くらいの大きさしかないのに……。俺は切なくも優しい気持ちになり、無言で幼女の頭を撫でてしまう。
「か、軽々しく私に触らないでちょうだい!」
おっと、いかんいかん。
俺とした事が軽挙な振る舞いだった。
この幼女は口で言うほど不快感を示していないが、これは危うい行動だ。
俺には負の感情がダイレクトに見えるので、幼女の嫌悪感を目にしたら深く傷付いてしまうところだったのだ。
「それはともかくとして……この音が聞こえるか、カリン?」
「ななな、な、なに気安く私の名前を呼んでるのよっ!!」
幼女と呼ぶなと言われて名前で呼んだらこれだ。反抗期の子供の扱いとは実に難しい。とりあえず騒がしいので、手でカリンの口を「もごっ!?」と塞いでおく。
「ほら、遠くからサイレンの音だ。ようやく警察のご到着というわけだ」
「んーっ!!」
もちろん幼女と会話をしている俺を不審者として捕まえにきたわけではなく、路上で寝ている不埒者たちの存在が警察を呼び寄せたのだろうと思う。
しかし……警察の到来を伝える為にカリンを黙らせたが、冷静に考えると手で口を押さえていると犯罪臭を感じる気がする。
不埒者一味と間違えられてはいけないのでサッと手を離すと、「な、なにすんのよッ!」と金髪幼女は真っ赤な顔で叫んだ。
「まぁまぁ、落ち着いて話を聞け。俺は警察が来るまでに退散するつもりだ」
「えっ……な、なんでよ」
「残念ながら俺は警察とは相性が悪いんだ。警察には通りすがりの親切なお兄さんが助けてくれたと言っておいてくれ」
俺はなにかと警察から犯罪者扱いを受けてしまう傾向がある。
カリンの精神状態が落ち着くまで離れるつもりはなかったが、もう元気過ぎるほどに元気になったので警察の対応を任せても問題無いだろう。
ではさらば、と立ち去ろうとすると――不意に、カリンの様子が一変した。
瞳を不安そうに揺らし、寂しさに耐えるかのように下唇を噛む。何かを言いたそうにしながらも、それでも何も言葉を発しない。
さっきまではズケズケと物を言っていたくせに、こんな時だけ何も言わないとは……まったく、不器用な子供だ。
「……いや、そうだな。久し振りに取り調べ室でカツ丼が食べたくなった。もう少しだけカリンに付き合ってやろう」
なるべく警察とは関わりたくなかったが、不安そうにしている子供を置いていくのは気が引ける。この辺りの警察は俺への風当たりが強いから気が進まないが、ここは覚悟を決めるしかないだろう。
「ふ、ふん。当然よ。これだけやっておいて逃げるなんて無責任だわ」
厳しい発言内容とは裏腹に、カリンの言葉はどこか弾んでいた。
実際、カリンの言う通りではあるのだが……警察は剥き出しの敵意をぶつけてくるので関わり合いを避けたくなるのも仕方ない。
まぁしかし、今回は過去の教訓を活かして手加減をしてある。カリンも口添えしてくれるだろうし、一方的に断罪されるような事態にはならないはずだろう。
次回、五話〔騒がしい同居者〕