三九話 バニッシュの天敵
バニッシュの小太郎を名乗る男への投降勧告。
それは慈悲深いものだったが、男の反応は予想したものとは異なっていた。
「――そうか、そういう事か! そこの女は写真で見たぜ。お前、海龍だなッ!」
そもそも男は話を聞いていなかった。
せっかく穏便な提案をされているにも関わらず、わざわざ自分から虎の尾を踏むような真似をしている有様だ。男は上機嫌に言葉を続ける。
「護衛の海龍は殺したって聞いてたが、やっぱり生きてやがったか。そうだよなぁ、あの海龍が簡単にくたばるわけがねぇよなぁ!」
ルカは空高く跳んでいたので、光人教団には死亡したと思われていたようだ。
しかし……海龍の名は有名と聞いていたが、この男がルカの生存に歓喜している理由が分からない。ルカから敵意を向けられている現状を考えれば尚更だ。
「ハハッ、たまらねぇなぁ! 海龍が生きてたってこたぁ、このバニッシュの小太郎が最強だって事を証明出来るじゃねぇか!」
なるほど、そういう事か。
高名な海龍を倒すことによって自分の名を上げようという魂胆らしい。
それにしても……この小太郎、やたらと通り名のプッシュが強いのが気になる。
俺も可能な限り『名探偵』の枕詞を付けるようにしているが、この男に比べれば甘かったと言わざるを得ないだろう。
「無駄に命を散らすような真似は止めておけ。お前の勝てる相手ではないぞ」
「こいつはたまらねぇ、たまらねぇなぁ……!」
純粋な善意で説得しておくが、やはり小太郎はこちらの話を聞いていない。
いくら俺が巧みな話術の使い手であってもこれではどうしようもない。……まったく、コミュ障とは恐ろしいものである。
そして小太郎は止まらない。
ヒーローが必殺技名を叫ぶかのように、勢いよく大声でその言葉を放つ。
「――バニッシュ!!」
「えっ!?」
カリンが驚きの声を漏らした。
思わず声が漏れてしまったという感じだが、それも無理はない。なにしろ目の前に立っていた男の姿が、突如として『消えた』のだ。
男の着ていたライダースーツだけが宙に浮いているという不可思議な光景。……この超常現象の意味するところは明白だ。
「……なるほどな。お前も能力者だったのか」
俺は内心の動揺を隠したまま呟く。
バニッシュの小太郎。妙な通り名を自称していると思っていたが、この男は文字通りの『消失』の能力者だったという訳だ。
あのジャンプが宗教団体に絡んでいた事にも驚かされたが、もしかすると光人教団は超能力者を抱え込んでいた組織なのかも知れない。
「ハハッ、バニッシュの小太郎を敵に回した事を冥途で後悔するんだな!」
そしてバニッシュの小太郎は次なる行動に移る。
見えない手に導かれるように下がっていくファスナー。宙に浮いているライダースーツが自然に脱げていくという目を疑う光景だ。
しかし、本当に目を疑うのはそれからだった。
パサリと落ちるライダースーツ、その後に残っているのは宙に浮いたパンツ。
しかもただのパンツなどではない、これは間違いなくボクサーパンツ――そう、フィット感に優れたボクサーパンツだ!
……いやいや、そんな事はどうでもいい。本当にどうでもいい。
俺とした事が冷静さを失ってしまうとは不覚だ。ライダースーツの下にボクサーパンツ一枚という恰好に畏怖を覚えている場合ではなかった。
なにしろ、まだ男の動きは終わっていない。
宙に浮いたボクサーパンツがもぞもぞと動き出す。まさかと思っている内にボクサーパンツは宙を舞い、脱ぎ捨てられたライダースーツの上に鎮座した。
な、なんてこった……この男、自分が何をやっているのか分かっているのか?
俺やラスはともかくとして、この場にはカリンやルカも居る――そう、この男は少女たちの前で全裸になったのだ……!
「ハハッ、たまらねぇなぁ! もう海龍の時代は終わりだ、このバニッシュの小太郎が終わらせてやるぜっ!」
小太郎は消えたまま高らかに叫ぶ。
全裸で少女たちの前に立って『たまらねぇなぁ!』と叫んでいる男には引いてしまうが、確かに大した能力ではある。潜入や暗殺などにはうってつけの能力だ。
ただ、それでも俺の言葉は変わらない。
「……これが最後の警告だ。無駄な抵抗は止めて大人しく投降しろ」
この男の能力は決して弱くない。
敵の前で透明になるのは愚行としか思えないが、完全に消えた状態で対峙すれば太刀打ち出来る人間は少ないはずだ。
しかし、今回は相手が悪かった。
当人は完全に姿を消したつもりなのだろうが、俺の目には黒々とした気体がしっかりと見えている。――そう、実体は見えなくとも敵意が見えているのだ。
モザイクをかけられているかのように、存在自体がいかがわしいかのように、負の感情に形作られた人間が見えてしまっている。
そして俺に見えているという事は、間違いなくカリンにも見えているはずだ。
カリンの場合は正の感情なので見え方は違うだろうが、ハイテンションの小太郎が喜びの感情を発していないはずがないのだ。
消えた小太郎が見えているのは俺とカリンだけではない。
高みの見物をしているラスも鳥類的感覚で居場所を察知しているらしく、その視線の先はしっかりと小太郎に向いている。
ここに居る面子はバニッシュの天敵ばかりだと言えるが――もちろん、残された最後の一人も例外ではなかった。
「――そこだぁッ!!」
「っぐぼぁっ!?」
ルカの回し蹴りは小太郎を捉えていた。まぁ、当然と言えば当然の結果だ。
身体が透明になったくらいでルカの超感覚を欺けるはずがないのだ。
「むっ、いかん!」
そして俺は即座に動く。
その向かう先は、脱ぎ捨てられたライダースーツ。ボクサーパンツに触れないようにスーツを拾い上げ、蹴り飛ばされた小太郎にふわりと投げ掛ける。
それはまさにジェントルマンの如き行動。……だが、これはルカの蹴りで死亡した小太郎を丁重に弔ったというわけではない。
これは情操教育上の処置。
そう、全裸で倒れている男を少女たちの視界から隠しただけの事だ。
「虎は死して皮を留めると言われているが、死んでからもカリンたちに悪影響を与えようとするとはな。まったく、とんでもない奴だった」
ルカの回し蹴りが炸裂したと思ったら全裸男の登場である。死亡と同時に透明化が解けたのだろうが、子供の成長を見守る大人としては許し難い敵だった。
「どうだビャク、アタシが悪いヤツをやっつけてやったぞ!」
「よしよし、よくぞ情操教育の敵を討ち取ったな。偉いぞルカ」
誇らしげに戦果を誇るルカを褒めておく。
俺が片付けるつもりだったので先を越された形だが、別にキルスコアを競っているわけではないので構わない。
背中のカリンが「情操教育の敵はビャクでしょ」と憎まれ口を叩いているが、目の前で起きた殺人事件に動揺していないのは良い傾向だ。
ともあれ、これで直近の問題は片付いた。
これからは今後の方針についての話し合いだ。話し合いでルカが役に立つとは思えないので、今度は知恵者であるカリンの力を借りることになるだろう。
――――。
俺たちはティータイムを満喫していた。
施設の応接室にて、コーヒーを啜りクッキーを摘みながら優雅なひと時だ。
もちろんこれは現実逃避をしているわけではない。やるべき事は既に終えたので、ただ単純に『待ち』の状態というだけだ。
「カァッカッ、いつの間に相棒を名前で呼ぶようになったんだ?」
「ち、違うわよっ!」
「アタシも名前で呼んでるぞ!」
噛み合っているのか噛み合っていないのか分からない会話を穏やかに聞いている中、俺のスマホが着信を報せた。
これこそが俺たちが待っていたもの――そう、外部協力者からの連絡だ。
「カリン、電話が掛かってきたぞ」
「ん、ありがと」
今回の一件は俺たちの手には余るという事で、カリンが頼りにしている人物に連絡をつけていた。カリンは通信手段を奪われていたので俺のスマホが連絡先だ。
本来なら外部協力者に頼ることなく事を収めたかったのだが……しかし、教団員が数十人も亡くなっているとなれば隠蔽するのも容易ではなかった。
これほど大事になると神桜の権力にモノを言わせて『控えおろう!』と押し通すしか手がないが、カリンに権力を駆使するような真似が出来るはずもないのだ。
「――うん、分かったわ。私たちは施設の入り口で待ってるから」
どうやら間もなく応援が到着するようだ。
突然に『大量殺人事件の後始末』という難題を投げられている事を思えば同情を禁じ得ないが、相当な傑物だと聞いているので心配は要らないはずだ。
名探偵として事件の後始末を丸投げするのは引っ掛かるのだが……どのように始末をつけるつもりなのか楽しみではある。
明日も夜に投稿予定。
次回、四十話〔転生してしまう新世界〕