三七話 褒めるべき戦果
調子の戻ってきた幼女に罵倒されつつ、俺は血塗られた廊下を進んでいく。
そして破壊の痕跡を辿っていった結果、それらしき部屋を前方に発見した。
「ルカが居るのはここだな。会議室……いや、イベントホールと言うべきか」
各部屋の扉の間隔から目算する限りでは、相当に大きな部屋だ。
宗教団体だけあって宗教的儀式でも行っている部屋なのかも知れないが、しかし廊下から部屋まで血痕が続いているので惨劇の予感しかしない。
ゲームでボス部屋に突入する時のような心境で足を踏み入れると――果たして、そこには予想通りの光景が広がっていた。
視界に映るのは赤色。屠殺場に紛れ込んだのかと錯覚するほどの血の海だ。
咄嗟に『おっと、間違えた』と引き返したくなる気持ちになるが、しかし俺に現実逃避は許されない。名探偵は現実から目を逸らしてはいけないのだ。
どのみち将来的には殺人事件を華麗に解決するつもりなので、名探偵的には血の海にも慣れておくべきという事もある。
さりげなく目の前の凄惨な死体から目を逸らしつつ、鮮血に染まったホール内をざっと見渡すと――捜していた少女は、そこに居た。
「ッ、ルカっ!!」
カリンのその声には、ルカの身を案じる想いが込められていた。
しかしカリンが心配するのも当然だ。
なにしろホール内で倒れている男たちの重武装ぶりは只事ではない。
自動小銃や大剣など統一性に欠ける武器の数々だが、そのどれもが致死性の高い代物ばかりなのだ。……しかもルカは、全身が真っ赤な血に染まっていた。
「カリンっ!!」
だがルカへの心配は杞憂だった。
カリンに応えるその声には弱さが欠片も感じられない。そうだろうとは思っていたが、ルカの全身が赤く染まっているのは敵の返り血だ。
こちらに駆け寄る速度にも衰えが見られないので、怪我どころか疲労すらしていないに違いない。海龍を敵に回してはならないとはよく言ったものだ。
「怪我してるのかカリン!?」
ルカから開口一番に飛んできたのは、カリンの身を案じる声だった。
カリンはおんぶされている上に顔色も悪いという有様なので、ルカが勘違いしてしまうのも分からなくはない。
ちなみに顔色が悪いのはスプラッタな殺人現場を目撃したから――つまりルカに原因があるのだが、心配している相手にそれを言うのは無粋というものだろう。
「安心しろルカ。カリンは怪我一つしていない」
カリンが元気である事を伝えつつ、それを証明するように幼女を背中から下ろした。このホールに敵意は見えないので警戒する必要もないのだ。
「ルカの方こそ血塗れじゃないの!? す、すぐに病院に行かないと……」
そして俺が床に下ろした直後、カリンはおろおろしながら心配の声を上げた。
ルカは全身が真っ赤に染まった状態なので、一見して大怪我を負っていると誤解するのも無理はない。……焦っている二人には悪いが、お互いに心配し合っている姿には微笑ましさを覚えるものがある。
「これはアイツらの血だから大丈夫だ!」
動転しているカリンを安心させるような笑顔。
清々しい爽やかな笑みではあるのだが、返り血に染まった姿で笑っているのでサイコパス感があるのは否めなかった。
「そ、それは良かったわ……って、ルカ! あんたなんて格好してるのよっ!!」
若干引きつつもルカの無事を喜んでいたカリンだったが、冷静になった事でルカの格好に気付いたようだ。
ルカは事務所でシャワーを浴びてから俺の服に着替えている。つまりカリンが文句を付けているのは俺の服のことだ。もちろん『その色の組み合わせは時代遅れよ!』というファッションセンス的な問題ではない。
「――なんでTシャツしか着てないのよっ!」
そう、ルカはぶかぶかのTシャツ一枚しか着ていない。部屋着でしか許されないような豪快なコーディネートである。
見ようによってはワンピースに見えなくもないのでセーフかと思っていたが、カリンとしては許し難い恰好だったようだ。
「へへっ、このシャツはビャクの匂いがするんだぞ。ちょっといいだろ?」
「っ……!」
ルカは反省するどころか不可解にも自慢げな態度だった。
しかもあのTシャツ……元々は白いシャツだったはずだが、返り血によって赤いシャツに変わってしまっている。俺の匂いがするなどと言っているが、あの有様では血の臭いしかしないのは間違いないだろう。
なぜかカリンが微妙に悔しそうにしているのが謎だが、とりあえずルカの服について口を挟んでおくとしよう。
「ルカの服が汚れていたから俺のを貸してやっただけだ。ほら忘れたのか、ルカは川に墜落したと言っただろう?」
「そ、そうだったわね。というかルカ、あんたよく無事だったわね……」
カリンが呆れているのも納得だ。雲より高く打ち上げられたとなると、たとえ川に落ちたとしても無事で済むはずがないのだ。
それに過去の被害者は下半身の筋繊維が断裂していたと聞くが、このルカに関してはそんな事もない。どう見ても元気溌剌としている。
おそらくルカにはジャンプの能力が十全に作用していなかったと思われるが……超能力を力で捻じ伏せるとは恐ろしい少女である。
「そういえば……ルカ、教祖は生け捕りにしたと言ってなかったか?」
ルカの出鱈目ぶりに感心しつつ、内心で気になっていた事を尋ねた。
なにしろシュレディンガー的な視点で見渡しても死亡者ばかりという異常事態だ。ルカは『生け捕り』の意味を勘違いしているのでは? と疑うのも仕方ない。
血の池に死体を浮かべてスマホでパシャっと一枚――『ほら、池撮りだっ!』
自撮りみたいなノリで言うのは止めてほしいなぁ……などと恐ろしい想像をしていると、ルカは俺の言葉で思い出したのかポンと手を打った。
「そうか、教祖か。ええと、あれはどこに置いたんだったかな……」
散乱する死体の中から教祖を探すルカ。
部屋に置いたメガネを探しているような軽さだが、この様子からすると教祖を生かしてあるというのは事実のようだ。
それにしても、本当に壮絶な光景だ。
身体が分断されている者、身体に大穴が空いている者、反射的に目を逸らしたくなるような者たちがそこかしこに散乱している。
どんな戦い方をしたのかは謎だが、敵を派手に倒すのは戦略的には正しい。倫理的な問題はともかく、一人を派手に倒せば全体の戦意を挫くことに繋がるのだ。
だからこそホール内の惨状は異常だ。
状況からするとルカが一方的に蹂躙する形になっていたはずなのに、教団員たちは全滅するまで戦闘を継続しているのである。
巷の噂で『光人教団は宗教団体の看板を隠れ蓑にしたテロリスト集団』という真偽の怪しい情報があったが、いずれにせよ光人教団がまともな宗教団体でないのは間違いないだろう。
「――あった、これだこれだ!」
砂漠で砂金を見つけたかの如く、ルカは死体の中から男を引っ張り上げた。
血塗れの小太りの男、贔屓目に見ても死体にしか見えない男だ。血に染まった教団服を着ている事もそうだが、ルカに首を掴まれているのに微動だにしていない。
「ほら、ビャク! これが教祖だぞ!」
ルカは男の首を掴んだまま駆け寄ってきた。
そのルカの顔は嬉しそうであり、どこか誇らしげな様相でもあった。
フリスビーをキャッチして戻ってきたワンちゃんを彷彿とさせるので、発作的に『そぉれ、取ってこーい!』とフリスビー教祖を投げてやりたくなるほどだ。俺は慈悲深いのでそんな事はしないが。
――そこで俺は気付く。
ルカが何かに期待しているように俺を見上げている。これはまさか、俺がルカを褒めるという流れなのだろうか……?
死体の山を築いたルカを褒め称えるのは抵抗を覚えるが……しかし、成果を出したのだから評価しないわけにはいかない。ここは全力で褒めてやるべきだろう。
「よしよし、よくやったぞルカ。こんなに大勢の敵をやっつけただけではなく、しかも教祖まで生け捕りにするとはな」
俺は教祖に視線を向けないようにしつつ、ルカの頭をわしわしと撫でる。
ルカの頭にも血がべっとりなので俺の手も血塗れになるが、これは名誉の負傷ならぬ名誉の汚れなので気にしない。
「へへへっ……」
ルカは目を細めてご機嫌だ。
ついでにハチミツ飴を口に放り込んでやると、「あむ……」とますます溶けそうな顔になった。こうしていると素直で可愛い奴なのだが、いざ戦闘が始まるとキラーマシンになってしまうのは困ったものだ。
「私の護衛を餌付けしないでちょうだい!」
そして当然の如くカリンが不満の声を上げた。
ルカばかりが甘やかされているので面白くないのだろうが、もちろん俺はエコ贔屓などしない。フェアな精神でカリンの口にも「もごっ!?」と飴を放り込む。
「っぉ、おあう……」
大玉なハチミツ飴が口に入った影響は大きく、カリンが何を言っているのかさっぱり分からなかった。怒っているようにも喜んでいるようにも見えるが、この状況で怒るはずがないので後者一択だろう。怒りの感情が見えるのは目の錯覚だ。
ぽかぽか殴ってくる幼女を「よしよし」と撫でてやると、カリンはもごもご言いながら満更でも無さそうである。
ともかく、これで一区切りついた。
問題は依然として山積みのままだが、危急は過ぎたのだから焦る必要もない。
とりあえずラスを呼び寄せて、それから教祖の尋問だ。
カリンの襲撃に関係している人間の割り出しも重要だが、この血塗れ教祖にはそれ以外にも聞き出したい事柄が多いのだ。
教祖の身近にジャンプという能力者が存在した事や、カリンの能力を知った上で狙っていた事からすると、教祖は超能力について詳しく知っていると思われる。
この千載一遇の機会に超能力について詳しく知っておきたい。
俺は感情が見えるという自分の能力が嫌いだ。そして、他人を信用できない自分の事も嫌いだ。……だからこそ、超能力について知りたいという思いがある。
自分の能力の事を、自分自身の事を、俺は少しでも好きになりたい。自分自身を嫌っている状態では生き苦しいからだ。
そういった意味では、今回の件で能力が役に立ったのは喜ばしい事だった。カリンのような善人の為に役立てるのなら、俺の能力にも意味があると思えるのだ。
カリンは俺に感謝しているのかも知れないが、むしろ感謝したいのは俺の方だ。
もしかすると俺が考えている事は、カリンには見えているのかも知れない。そう思うと気恥ずかしくなり――それを誤魔化すように、小さな頭を優しく撫でた。
第一部【始まりの神桜】終了。
明日からは第二部【躍動する海龍】の開始となります。
次回、三八話〔導きの教育者〕