三五話 平和的な落としどころ
カリンの身柄を欲した光人教団。その目的が金ではない事が分かったが、光人教団側の真意が読めない。なぜ誘拐した子供をジャンプと一緒に幽閉しているのか。
そこまで思索したところで、ふと一つの可能性に思い至った。
「ストックホルム症候群、か?」
「――ッ」
もしやと思ってカマを掛けてみると、女の感情は肯定を表していた。
ストックホルム症候群。監禁犯と被害者、その両者が長く同じ時間を過ごす事によって、被害者が犯人に好意的な感情を抱くというものだ。
つまり、この女の目的は――『神桜カリンの懐柔』だったという訳だ。
光人教団という分かりやすい敵役を作り、味方の顔をした付き人が都合よくカリンを操るという魂胆だったのだろう。
同じ部屋に加害者側の人間が監禁されていたので妙だと思っていたが……しかし、その真相は実に馬鹿げたものだった。
確かに、対象と手っ取り早く仲を深めるには悪くない手段ではある。
なにしろ表面上は同じ誘拐被害者という立ち位置だ。被害者同士で親交が深まるというのは分からなくもないのだ。
だが、それでも『馬鹿らしい計画』だという俺の感想は変わらない。
「下らないな。お前はカリンを見くびり過ぎだ」
他の人間が相手であれば、この計画は上手くいったのかも知れない。しかし、カリンは真実を見分ける眼を持った子供だ。
「誘拐されて監禁されようが、カリンはお前に心を開いていないはずだ。それも当然だ、お前の薄汚い本性がカリンに分からないはずがないからな」
「くっっ……」
いくら表面を取り繕ったところで、俺やカリンにとっては意味がない。
俺やカリンには人の心が見える。たとえ極限状態に追い込まれたとしても、外面と内面が異なっている人間を信用出来るはずがないのだ。
実際にカリンから避けられていたらしい女が歯噛みしているが、俺はそんな女の態度に構うことなく尋問を続ける。
「だが、そこまでしてカリンを手懐けようとする理由はなんだ? 金? 権力? 神桜、特許、不動産……」
俺は次々に単語を挙げて女の反応を見ていく。
もはや俺のコミュ障感は加速するばかりだったが、それでも心を強く持って単語を列挙していく。すると、意外なところで大きな反応を見つけた。
「――能力? カリンの持っている特別な能力が目的なのか?」
「な、なぜ、それをっ……!」
女は驚愕に目を見開き、俺の言葉を認めるような言葉を漏らした。
俺がぶつぶつ単語を呟いている時には薄気味悪そうな目を向けていたが、計画の核心を突かれた事で本音が漏れてしまったようだ。
しかし、驚いているのはこちらの方だ。
カリンには俺と同じく感情が見えるという能力があるが、カリンはこの能力について家族にも話していないと言っていたのだ。
背中のカリンが息を呑んでいるのも当然だ。
秘匿していた能力を第三者に知られていたばかりか、その能力を目当てに誘拐までされているのだから驚かないわけがない。
探偵事務所に盗聴器が仕掛けられていたのか? と一瞬思ったが、おそらくそれは違う。なにしろカリンは俺と関わる前から狙われていた。
そもそもあの事務所は他人が訪ねてこないので、事務所に人が出入りするだけで階下のテナントで噂になる。夜にはラスも居るので不審者の侵入は不可能だろう。
話の詳細を聞き出そうと視線を向けると、女は焦ったように口を開く。
「あ、貴方が何を言っているのか全く分からないわ! そ、それに、私がジャンプだったとしても、私が罪に問われるような事は何もないわよ!」
開き直ったような金切り声。
どうやら次々と真相が暴かれた事で平静さを失っているようだ。もはや自分がジャンプだと自白しているようなものだが……しかし、事はそれほど単純ではない。
残念ながらこの女の言い分には理がある。
超能力が世間に認知されていない以上、司法機関ではこの女の犯罪を裁くことができない。それは認めざるを得ないところだ。
「私を捕まえる事なんて誰にもできないわ! ……ふふふっ、でも貴方は違う。私に暴力を振るった事は犯罪よ。このままでは済ませないから覚悟しなさい!」
俺が黙っているので優位に立ったつもりになったのか、女は調子に乗っていた。
この様子からすると『カリンに取り入る』という当初の目的を完全に忘れているようだ。カリンが不快そうに歯を噛み締めているのに全く気付いていない。
そもそも、この女は大きな勘違いをしている。
この女は『名探偵に暴力を受けました!』と警察に駆け込むつもりでいるらしいが、無事にこの場を切り抜けられるという前提からして間違っているのだ。
――そう、俺はこの女に未来を与えるつもりなどない。
超能力犯罪が法で裁けないのは分かっていた。
だからこそ、元よりこの女は直々に処断するつもりだった。誰にも止められない者を止める為に手を汚す必要があるなら、俺はそれを躊躇ったりはしない。
俺は冷めた目で女を見ていた。
楽観的思考で嗤う女。多くの人命を奪っておきながら反省は欠片も見えない。
もはやこの女に慈悲は無用だ。
尋問で聞きたい事を聞き出した後、速やかに処断させてもらうとしよう。
「アハハ、アーハッハッハッ……ッグボァッ!」
「うおおっ!?」
び、びっくりした、思わず驚きの声を漏らしてしまったではないか。
なにしろ狂ったように笑っていたかと思ったら――急に大量の血を吐いたのだ!
「ッゴフッ……ッ……」
女は咳き込みながら血を吐き続け、やがてその動きを止めた。床を濡らす大量の血液。ピクリとも動かない女。
俺は女に近付いて容態を確かめる。
「な、なるほど……死んでいるな」
「ええっ!? し、死んじゃったの!?」
女は臨終の時を迎えていた。
背中のカリンが驚愕の声を上げるのも無理はない。冷静沈着な俺ですらびっくり仰天してしまったほどなのだ。
「死因は笑い死にといったところか。まだ聞きたい事があったんだがなぁ……」
俺は素知らぬ顔で死因を決めつけた。
実際のところ、本当の死因は明らかだ――そう、俺の放った蹴りによるものだ。
骨を砕いた手応えはあったが、腕だけではなく肋骨も砕いていたという事だ。
そんな重傷の身で絶好調の高笑いとなれば、笑った弾みで折れた骨が臓器を傷付けてしまっても不思議ではない。
考えてみれば、女の顔色はあまりにも悪かった。これは動揺で蒼白になっていたのもあるだろうが、単純に重傷で瀕死になっていたからなのだろう。
「最期に俺を驚かせるとは、敵ながら恐ろしい奴だったな。――まぁ、それはそれとして。そろそろ俺たちもルカと合流するか」
「っ、そ、そうね……」
カリンは何かを言いたそうにしながらも俺の話題転換に乗っかった。
このまま死因を追求すると『俺が犯人になる』という事実に気付いてしまったのだろう。カリンに名探偵思想が無いのは幸いだった。
どのみち女は処断する予定ではあったのだが、笑い死にという平和的な結果がそこにあるならカリンも安心出来るというものだろう。
次回、三六話〔シュレディンガーの猫〕