三話 愚者の見えざる手
無事に取り巻きたちは戦闘不能となった。
残るは、車中で幼女を拘束している男だけだ。
「これで勝敗は決した。見逃してやるから子供を置いて立ち去るがいい」
最大戦力らしき巨漢の男が倒れた以上、この男も諦めざるを得ないはずだ。
それでも、ここで追い詰めすぎてはいけない。ヤケになって幼女に危害を加えられては不味いので、穏便な逃げ道を示してやらなくてはならないのだ。
「……チッ。どこのどいつだか知らねぇが、余計な真似をしてくれたな」
「きゃっ!?」
男は幼女を片手で拘束しつつ、懐から素早い動作でナイフを取り出した。
これは厄介だな……。堂に入った動きからすると熟練のナイフ使いのようだが、この期に及んでまだ諦めてないらしい。
「そこを動くなよ。少しでも動けば、このガキに一生消えない傷が残ると思え」
「おいおい、俺とその幼女は縁もゆかりもない関係なんだぞ? 俺に対して人質になると思っているのか?」
俺が冷静に言い聞かせようとすると、男は無言でナイフを幼女の頬に当てた。
……こいつ、本気でやるつもりだ。殺意は見えていないが、幼女の顔を斬りつける事には躊躇わない気配を見せている。
不埒者の目的は金髪幼女の誘拐と見ていたが、幼女が生きてさえいれば五体満足でなくとも構わないというスタンスらしい。
俺が動きを止めていると、男は幼女を拘束したまま油断なく車を下りた。
「そこで寝ている二人を車に乗せろ。この車はお前が運転するんだ」
幼女にナイフを当てたまま命令する男。
このまま唯々諾々と従ったところで暗い未来が待っているだけだろうが……しかし、何かあればこの男は本気で幼女を害するつもりだ。
純粋な一対一ならナイフを持った相手でも負ける気はしないが、子供を人質に取られてしまっては手出しが難しい。ここはとりあえず要求に従うべきだろうか?
そんな中、人質の幼女が声を張り上げた。
「いい加減にしなさい! 私にこんな事して……いたっっ!?」
「黙れよクソガキが。まだ自分の立場が分かってないのか?」
金髪幼女が男を糾弾している最中、男はナイフを握っている拳で――――幼女の顔を乱暴に殴りつけた。
容赦のない暴力。
勝ち気な幼女の瞳に浮かんだ涙。
眼前の光景に、俺は煮えたぎるような怒りを覚えていた。男の蛮行にも激怒していたが、それ以上に――自分自身に腹が立っていた。
実のところ、俺はこの状況を打開するだけの力を持っている。
俺の能力は感情を見る事だけではない、俺にはもう一つ実用的な能力がある。
その能力を使うことに抵抗があったので自制していたが、俺が出し惜しみしていたせいで幼女が傷付けられてしまった。
この局面で迷っていた俺が愚かだった。使うべき時に使わないのなら、俺が特別な能力を持っている意味などない。
――――集中する。
俺はある一点を凝視する。その対象は、幼女を拘束している男の腕。
ナイフを幼女から離すように、男の腕を押し出すように――空間を動かす。
「な、なんだ!? て、手が勝手に……!?」
ナイフを持った男は信じられないものを見るように自分の手を見ていた。
自分の意思に反して手が動いているからだろうが、それは俺の意思通りだ。
ナイフは幼女から離れた。もう俺を止めるものは何もない。
俺は即座に距離を詰め、男の側頭部にドゴッと上段蹴りを放った。
「ッぐぁッ!?」
幼女から引き剥がされるように吹き飛ぶ男。
ナイフも明後日の方向に飛んでいるので、これで幼女の脅威は全て消えた形だ。
俺のもう一つの能力――『念動力』が珍しく役に立ってくれたおかげだろう。
発動するまでに時間が掛かるという欠点はあるが、今回は上手く状況が噛み合ったのが幸いだった。基本的には実戦で使える能力ではないのだ。
対象の感情を見る能力とは異なり、実際に物理的な影響が現れる能力。
大っぴらに使うと騒ぎになるので普段は使用を自粛しているが、今回はもっと早く使うべきだったと言わざるを得ない。自身の遅鈍を恥じるばかりだ。
俺は自己嫌悪に襲われながら、人質から解放された金髪幼女に視線を向ける。
まだ事態が飲み込めていないのかポカンとしているが、見たところ大きな怪我はしていないようだ。……大事に至らなくて、本当に良かった。
――いや、まだ安心するのは早いか。
勝って兜の緒を締めよ。
まだ油断するには早過ぎる。
最初に車外へ放り投げた男、幼女を人質に取っていたナイフ男。この二人は失神して、巨漢の男の両腕は奪っているが、まだ油断するわけにはいかない。
両腕が折れている巨漢の男はともかく、失神している男たちが目覚めたらまた幼女に襲い掛かる可能性がある。
警察に引き渡す前に、不埒者たちをしっかりと拘束しておくべきだろう。
しかし……ロープなどの縛るものが無い。
不埒者たちは黒いスーツを着ているが、近年の流行に倣っているのかノーネクタイだ。ネクタイがあれば拘束に使えたのだが。
よし、ならばあの手だ。道具が無いなら工夫でカバーするまでの事よ。
俺は失神しているナイフ男の右腕を掴み――ボキッと優しく折っておく。
「……っぎゃぁぁぁ!」
ナイフ男は骨が折れた痛みで目が覚めたようだが、これはやむを得ない対応だ。
俺は心を鬼にし、左腕も同じ要領でボキッと折る。男の絶叫がますます大きくなったが、加害者の苦痛より被害者の安全が優先されるので仕方がない。
よしよし、これでナイフを持つことも出来ないはずだ。あとはそうだな……警察が来るまで逃げられないように、男の両足もしっかり折っておくとしよう。
「ぁぁぁッ!?」
俺は淡々と足の関節を踏み砕く。
少々手荒ではあるが、幼女を傷付けて泣かせるような男に遠慮は無用なのだ。
これでナイフ男については完璧だ。
次は失神しているもう一人の男の四肢を――――いや、待てよ。
そう言えば、過去に似たようなケースで警察から『過剰防衛だ!』と厳しい叱責を受けてしまった記憶がある。
被害者を守るべき存在が加害者に肩入れするのは納得しかねるが、このままではまた俺が犯罪者扱いを受けることになりかねない。
ナイフ男については手遅れだが、もう一人については手加減しておくべきか。
ここは大負けに負けて、五割引き。手と足を一本ずつ折るだけにしておこう。
「……っぐぎゃぁぁ!」
寛大な心で手足の骨を折り、ついでに巨漢の男の片足も折っておく。
うむうむ、これで不埒者たちの無力化は完了だ。よかったよかった。
安全確保――――ヨシ!
おっと、ついつい指差確認までしてしまった。
こんなところで工場でのバイト経験が活きてしまうとは、世の中何が役に立つのか分からないものだなあ……。
次回、四話〔約束された味〕