二五話 謝るべきパイタッチ
夜の森に運ばれた襲撃者たち。彼らの表情は、恐怖と絶望に染まっていた。
交通の邪魔になってはいけないので森に運んだのだが、もしかすると夜の森という独特の雰囲気が恐ろしいのかも知れない。
ちなみにカリンには車でそのまま待機してもらっている。これから襲撃者を尋問する予定なので関わらせるわけにはいかない。
この段階では可能性は低いが、黒幕としてカリンの親族の名前が出てくるかも知れないのだ。カリンに必要な情報だとしても可能な限り柔らかい形で伝えたい。
「さて、お前たち。誰の命令でカリンを襲ったのか答えてもらおうか」
「…………」
卑劣な襲撃者たちは怯えながらも一様に押し黙っていた。
手足を折る過程では森に響き渡るような大声を上げていたのだが、尋問を始めた途端に静かになってしまったようだ。その膠着を破ったのは、ルカだ。
「おい、答えろよッ!」
ルカは一喝と同時――男の顔面を殴りつける!
殴られた男はかつてのハム少年のように宙を飛び、ガンッと背後の木に叩きつけられてしまった。……まったく、これはルカに一言言ってやらねばならない。
「こらこら、殴るなら顔や腹以外にしておけ。打ちどころが悪かったら死んでしまうだろう? このような時は手足を狙うのが基本だぞ」
俺は年長者としてルカに常識を教える。
ルカに殴られた男は辛うじて生きているが、顔の形が無残にも変形してしまっている有様だ。この状態では尋問の続きは難しいはずだろう。
そもそもいきなり暴力を振るうとはスマートさの欠片もない。俺が巧みな尋問で聞き出そうと思っていたのに、これではまるで拷問をしているかのようなのだ。
……いや、もしかするとルカの狙いはアレなのかも知れない。
怖い刑事と優しい刑事。怖い刑事が散々に脅し、優しい刑事がそれをフォローする事によって自作自演的に恩を着せるという交渉テクニックだ。
もう怖い目に遭いたくない、という気持ちも相まって口を割る人間も少なくないと聞く。飴とムチで人を動かす手法に似ていると言えるだろうか。
少々乱暴なやり方だが、結果的に襲撃犯たちの心は完全に折れている。これはルカのファインプレーに感謝すべきなのかも知れない。
しかし、ルカの厳しいムチはまだ終わっていなかった。
「てやぁッッ!」
目にも留まらぬルカの手刀。
俺が尋問を始めようとする直前、ルカは電光のような手刀を放ってしまった。その暴威のターゲットは、仲間が殴り飛ばされて瞠目していた襲撃者の一人。
「っぎゃぁぁっ!」
魂が千切れたような絶叫を上げる男。
しかしそれも当然だ。なにしろ……男の腕がリアルに千切れている!
信じられん……。どこをどうすれば手刀で腕が切断出来るのか。いや、それよりもこの野生少女の思考回路は明らかにおかしい。
「こらこら、話を聞く前に攻撃するんじゃない。まずは質問に答えるか確かめてからだ。もしかすると心変わりしていたかも知れないだろう?」
もはや尋問よりも攻撃が主になっている野生児に注意する。飴とムチどころではない、これではムチの打ち過ぎだ。
「そっか。それもそうだな」
ルカはニカッと笑みを浮かべて矛を収めた。二人も半死半生にしておきながら罪悪感が欠片も見られない。……サイコパスかな?
男たちは重傷を負っていたのに全く躊躇していないのが恐ろしい。
なにしろ襲撃犯は戦闘でボロボロになっていた上に、安全確保の為に手足まで折っていた状態だったのだ。これほどの相手に容赦しないのは尋常ではない。
しかもルカは行動に柔軟性が欠けていたので、俺の『手足を折ってくれ』という依頼に対して、元から骨折している者にまで追い打ちをかけるように折っていた。
死体蹴りも甚だしいので、客観的に見ればこちらが悪者のように見えてしまう。
――――。
「――なるほどな。これだけ分かれば充分か」
俺は尋問を終えて溜息を吐く。予想通り黒幕の名前が出てくる事はなかったが、それでも最低限の成果は得られたと言える。
後は命令者の糸を手繰っていくだけだが……ある程度の権力者が相手となると、俺が直接会って問い質すことも難しいのが問題だ。
しかし、尋問で判明した事には朗報もあった。
俺が協力を依頼した刑事、彼が無事に生きている事が分かったのだ。襲撃直前の段階で暴漢によって病院送りになったようだが、幸いにも命には別状ないらしい。
「ビャク、これからどうするんだ?」
俺が沈思していると、ルカの声が耳に届いた。
しかし『これからどうするんだ?』とは、こちらがルカに聞きたい疑問だ。
なぜかルカは木の上を移動するという奇行を取っていたが、俺たちと遭遇しなければどうするつもりだったのか?
……いや、違う。思い返せばルカが野生化していたのは俺が原因だった。
「ルカ、俺はお前に謝らなければならない」
「ん? なんでだ?」
俺は自分の非を認められる男。
再会直後はゴタゴタしていたので謝罪の機会を逃していたが、襲撃事件が片付いた以上は誠意をもってルカに謝罪すべきだ。
「それが実を言うとだな……例のパイタッチは俺の仕業だったんだ」
「パイタッチ?」
おっと、簡略化しすぎて伝わらなかった。
これは慣れているが故の傲慢さだと言わざるを得ないだろう。
工場でのバイト中に『パイレン持ってきて』と言われて首を傾げたことがあるが、本来なら初心者にも分かるように『パイプレンチ持ってきて』と言うべきなのだ。……ちなみに俺にはパイプレンチがどの工具なのかも分からなかった。
いやはや、まったくもって気遣いが不足していた。俺は内心で反省しつつ、改めてルカに対して懇切丁寧に説明する。
「パイタッチ――つまり、おっぱいタッチだ。ほら、腕相撲の時におっぱいがふにっとしただろ? あれは俺の仕業だったという訳だ」
「なぁっっ!?」
俺の説明の直後、夜闇でも分かるほどにルカの顔が真っ赤に染まった。
どうやらルカはおっぱい方面に弱いらしく、どのようにノータッチパイタッチを実現したのかを考える余裕もないように動揺している。
だが、俺は止まらない。逃げ出す気配を発していたルカの肩をがっしり掴み、目力で縛り付けるように目をしっかり合わせる。
「しかし、しかしだ! 勝つ為に持てる力を尽くすのは間違っているだろうか? ――いや、間違ってはいない!」
「ぅぁ、ぅぁぁっ」
俺はルカの両肩に手を置いたまま力説する。
ルカは俺の迫力に呑まれているのか、赤い顔で弱々しい声を漏らすばかりだ。
それにしても、気が付けばセクハラ行為を開き直っているような気がしないでもないような……いや、今は余計な事を考えてはいけない。
「もちろん腕相撲に勝ったからと言って護衛を強制したりはしない。無理矢理にやらせるような事ではないからな。――しかし、俺はお前が気に入った」
俺は攻勢の手を緩めない。
ルカは勢いに飲まれて思考能力を失っている。攻めるべきは、今この時だ。
「ルカ、俺の目を見ろ」
「はわっ、わわっ!?」
ルカは野生動物のような少女。
そして野生動物の争いでは、先に目を逸らした方が負けだと聞く。
だから俺は逃げない。
ルカの肩を掴んだまま、真っ直ぐに目を見詰めながら顔を至近距離に寄せる。
「ルカ、お前が必要だ。お前の力を貸せ」
「ぅぅぅっ……」
鼻と鼻がくっつきそうな至近距離。
ルカの熱い吐息が顔にかかるほどの距離だ。
俺の気迫に飲まれて平静さを失っているのか、ルカの呼吸は全力疾走をした直後のように荒い。戦闘時にも息を切らしていなかったが、今はすっかり弱っている。
やがてルカは重圧に耐えかねたように、真っ赤な顔でぎゅっと目を瞑った。
「――そこまでよ!! その場から離れなさいセクハラ探偵っ!」
俺が勝利を確信した瞬間、犯罪を糾弾するような声が割って入った。誰の声かと思考するまでもない。その声は幼く、この場に幼女は一人しか存在しないのだ。
全てが終わるまでは車で待機するように言い含めておいたはずだが、なぜかその幼女は森の中に姿を見せてしまった。
「カリン、戦闘が終わっても油断は禁物だ。遠足は家に帰るまでが遠足だぞ」
「あんたの行動が一番油断ならないわよ!」
口の減らないカリンは当然の如く言い返す。
森で寝ている襲撃犯にではなく、不可解にも俺の方に怒りを向けている有様だ。
「い、いつまでくっついてるのよ!」
カリンはとたとたと走り寄り、俺の足を押すようにしてルカから引き離した。
ルカは重圧から解放されて気が抜けたのか、脱力したようにペタンと地面に座り込む。そしてカリンは、ルカを守るように立ちはだかった。
犯人から被害者を守っているような様相だが……正義の探偵が犯人役になっている空気なのは解せない。彼我の立ち位置を交換してほしいものである。
次回、二六話〔手慣れたご機嫌取り〕