二三話 一陣の風
俺と護衛たちは車外に出た。
これから俺と護衛たちで不審車に向かうという話になっているが……しかし、車にはカリンの他に運転手も残っている。このまま車を離れるわけにはいかない。
俺はにこやかな笑みを浮かべたまま、運転席の窓をコンコンと叩く。
「おい、ちょっといいか?」
車の窓を開けて「なんだ?」と不機嫌そうな声を出す運転手。
俺は警戒させない笑顔のまま、素早く窓のロックを外す。そのまま流れるようにドアを開け放ち、運転手の首を掴んで――座席から一気に引き抜いた!
「なァッッ!?」
豪快に路上へ投げ出された運転手。
迅速な動きだったので護衛たちは誰一人として反応していない。俺は何事も無かったかのように運転席のドアを閉め、改めて裏切り者の護衛たちに向き直る。
「な、なんのつもりだ貴様ッ!」
我に返った護衛の一人が怒声を上げるが、俺は悪びれることなく涼しい顔で聞き流してしまう。今回の案件での山場を越えたので上機嫌なのだ。
俺が最も懸念していたのはカリンの安全。
もしカリンに流れ弾でも当たったら取り返しがつかないので心配していたが、カリンを高級車に隔離した事によって安全性の問題は解決した。
この車は防弾・防爆性能を有しているらしいので、中から車のカギを閉めてしまえばカリンの安全確保に隙はない。以前に乗っていた車のガラスが砕かれた事で堅牢性を上げたようなので、ある意味では因果応報だと言えるだろうか。
カリンの安全が確保されたとなれば、後は目の前の敵を片付けるだけだ。
俺は問答無用で護衛たちに襲い掛かる。
一人は鳩尾に拳を打ち込み、一人は回し蹴りで蹴り飛ばす。まだ護衛たちの戦闘意識は低かったのか、反撃どころか防御すら間に合っていない。
またたく間に二人を片付けると、残りの護衛たちは慌てた様子で距離を取った。
護衛の残りは二人。一人は車外に放り出した運転手だが、まだダメージが残っているのか倒れたまま呻き声を上げている。
とりあえずここまでは理想的な流れだ。
こちらは数で劣っているので一撃必倒を目標としていたが、幸いにも俺が倒した二人は完全に昏倒している。当たり所が悪くて死亡したという事も無さそうだ。
「クソッ、イカレ野郎が……!」
警告もなく突然攻撃したからなのか、護衛から狂人扱いされてしまった。
しかし、俺の行動は妥当なものだ。彼我の間には圧倒的な人数差があるので『無駄な抵抗は止めて投降するんだ!』などと悠長にやっている余裕はない。
俺の敗北はカリンの危機なので手加減は無用。仕方ない仕方ないと心中で呟きつつ、路上で倒れている運転手の腹部に蹴りを入れる。
「ぐぼぁっ!?」
よし、これで三人だ。
敵の残りは護衛が一人、待ち伏せ組が四人……と思っている間に、待ち伏せ組の四人がバタバタと車から飛び出してきた。
護衛たちが襲われているので待ち伏せしている場合ではないと悟ったのだろうが、結果的に敵の増援のタイミングは悪かった。
姿を見せた増援に気を取られたのか、俺と対峙していた護衛の意識が逸れていた。その隙を俺が見逃すはずもなく、すかさずハイキックを頭部に叩き込む。
綺麗に決まった蹴りで護衛組の最後の一人が沈んだが、まだ油断するわけにはいかない。なにしろ増援の待ち伏せ組は、全員がその手に銃を持っているのだ。
「――動くなッ!」
護衛たちは銃を所持していなかったが、待ち伏せ組の四人は全員が銃持ちだ。四人掛かりで丸腰の人間を相手に『ホールドアップ!』とは嘆かわしい話である。
「おやおや、人数で勝っていながら飛び道具とは驚きだな。どうやらお前たちはスポーツマンシップを知らないらしい」
俺は格闘技を嗜む者の一人。
正々堂々と戦わない輩には一家言ある、という事で苦言を呈してしまう。
――パンッ!
返答の代わりに銃弾が飛んできた。余計な口を聞くなと言わんばかりの威嚇射撃である。……しかし、なぜ問答無用で俺を殺害しようとしないのだろうか?
「大人しくその娘を渡せ。素直に娘を渡せば命だけは助けてやる」
なるほど、合点がいった。
現在のカリンは完全防備の高級車に守られている状態だ。力尽くで攻略するには時間が掛かるので、カリンを引っ張り出す役目を負わせようという事なのだろう。
「なるほどなるほど……その前に、一つ聞いておきたい。ここに警察は来なかったのか? 事前に通報しておいたはずなんだが」
そう、警察。この場に警察の気配が感じられないのは不自然だ。
既に警察が交戦して敗北しているなら話も分かるが、この場には争いの痕跡すら存在していない。最初から警察が来ていないのは明白だ。
信用出来る刑事に相談したのでノーアクションだったとは思えないが……と疑問に思っての質問だったが、それを聞いた襲撃者の一人が嫌らしく顔を歪めた。
「くはははっ……! 残念だったな、警察内部には我々の協力者が存在する。妙な動きをしていた者は既に黙らせた」
そうか、そういう事か……。
天下の神桜家が敵とも言える状況なので、警察内部に内通者がいる可能性は想定していた。だからこそ、今回の件を相談する相手は厳選していたのだ。
俺が協力を依頼した刑事もその点は警戒していたはずだが、それでも情報管理には限界があったという事なのだろう。
反射的に刑事の生死について尋ねそうになるが、ここで心配する態度を見せたら生存していた際に人質にされかねない。今は、他の情報を引き出しておくべきだ。
「……警察にも協力者がいるとは大したものだ。やはり神桜の力だろうか?」
「くははっ、以前にお前が捕まえた連中も口封じで始末している。我々の手は司法にまで及んでいるからな、逆らおうなどとは考えない事だ」
俺が捕まえた連中とは、最初にカリンを襲っていた不埒者たちの事だろう。
手足を骨折していたので警察病院に搬送されたと聞いていたが、治療を受けるどころか死を提供されてしまったらしい。
しかし、警察に保護された容疑者を始末するというのは只事ではない。
警察には敵の黒幕を突き止めてもらう事を期待していたが、この分では今回の襲撃者を捕まえても同じ事になるような気がする。
警察が当てにならないとなれば……俺の手で襲撃者たちを尋問するしかないか。
末端の実行犯を尋問しても首謀者の名前が出てくる可能性は低いだろうが、少しずつ命令者を辿っていけば最終的には黒幕に届くはずだろう。
「警察が来ない事が分かったのなら、早くあの娘を車から誘き出せ」
男は銃を突きつけたまま要求するが、もちろんそんな要求を飲むはずがない。
相手は銃持ちが四人だが、俺にとっては窮地とも呼べないほどの状況だ。機関銃の類ならともかく拳銃が相手なら容易いものだ。
俺は相手を油断させる笑みを浮かべたまま、心中では敵に襲い掛かるタイミングを見計っていた。……だが、俺の作戦は一瞬で崩れ去った。
――――ザッ。
夜の森に一陣の風が吹いた。
それは空から、木の上から、突然に舞い降りた。木の葉が舞い落ちるような軽やかな着地。その身のこなしを見るだけでも只者ではない事が察せられた。
突然の闖入者に場が凍りつく。
襲撃者たちは木の上から部外者が現れた事に動揺しているようだが、俺は別の意味で驚いていた。そして、闖入者は俺に不思議そうな視線を向ける。
「――こんなトコでなにしてんだ?」
「それはこちらの台詞だ……ルカ」
木の上から現れたのは、パーティー会場から獣のように逃げ去った少女だった。
海龍という戦闘一族の一員であり、人並み外れた身体能力を持っている少女。まさかこの局面で木の上から飛び降りてくるとは完全に予想外だ。
ルカには謝罪したい気持ちがあったので再会したいとは思っていたが、もう少しまともな状況下で会いたかったと言わざるを得ないだろう。
次回、二四話〔蹂躙する破壊者〕