二二話 運命の分岐路
パーティー会場は郊外の邸宅。
山の中とも言える立地なので、必然的に邸宅からの帰り道は山道となっていた。
「ほんっと信じられないわ。これでよく紳士だなんて自称出来たものね」
帰りの車中でもカリンの怒りは収まっていなかった。子供故の潔癖さなのだろう、完全に俺を性犯罪者扱いしている有様である。
カリン検察官曰く、パイタッチ後の言葉責めがセクハラポイントの大量獲得に繋がったとの事のようだ。決着後の不要な発言だったので反論が難しいところだ。
それでも今回の顛末は全体的には悪くない。
ルカに関しては申し訳ないという気持ちはあるが、結果的にはカリンが三大派閥の二人をやり込めたとも言える結果だ。
パーティー開始時には子豚少年のようにカリンを軽んじる者も存在していたが、三大派閥の二人に一泡吹かせた事でカリンを見る目は変わった。
俺をポカポカ殴っていた事もあってか、幼女への軽視が畏怖に転じていたのだ。
唯一の心残りはルカに逃げられてしまった事だが、あの純朴な少女が勝負を反故にするとは思えないので、おそらくまた俺の前に顔を出してくれるはずだろう。
またルカと再会が叶った時には非礼を謝罪したいと思ってはいるが……しかし、全ては今夜を乗り切ってからの話だ。
「それよりカリン。これからの事を忘れてないだろうな?」
「っ……み、耳元で囁くのは止めなさいよっ!」
車内の護衛に聞かれないように気を遣ったにも関わらず、カリンは紅潮した顔で文句を飛ばした。しかしカリンに緊張した様子が見られないのは悪くない。
これから帰り道で襲撃を受ける予定になっているが、俺たちがそれを知っている事を悟られない為にも自然体を保つのは重要なのだ。
――そう、帰り道での襲撃。
帰路で他の学園生と一緒なら襲撃が延期になる可能性もあったが、生憎と夜の山道を走っているのは俺たちを乗せた車だけだ。
学園所有の邸宅には宿泊施設もあるらしく、夜間に郊外から帰宅するよりは一泊していくという者が多数派だったのだ。
この状況では予定通りに帰路で襲撃されるものと考えるべきだろう。
「あんたの方こそ大丈夫なの? 警察には伝えてあるって聞いたけど」
「ああ、ちゃんと伝えてある。襲撃が予測される場所についても連絡済みだ」
襲撃予測地点を調べるのは難しくなかった。
護衛たちの前で地図を広げ、『進級祝いパーティーはこんな場所でやるんだな』とカリンと話しているだけで見当がつく。心の動きが見えるとなれば、護衛の反応を見ながら場所を探っていくだけの話なのだ。
襲撃予定時刻もパーティーの終了時間から予測がつくので、警察には襲撃予測地点と併せて伝えてはいるが……それでも安心はできない。
「あまり警察には期待するなよ。なにしろ大人数を動かせるだけの証拠が無い」
あくまでも襲撃計画であって、この段階では襲撃者たちは直接的に法を犯していない。なにより、これは神桜家のお家騒動とも言える案件だ。
天下の神桜家が敵とも言えるので、警察としては尚更に動きにくいはずだろう。
一応は信用出来そうな刑事に話せる範囲で事情を説明しているが、どこまで当てになるのかは未知数だと言わざるを得ないのだ。
「最悪の場合は俺一人でも守ってやる。敵の総数は十人に満たないようだからな、その程度ならカリンを守りながらでも問題無い」
「……そ、そう。あんたって、いつも無駄に自信満々よね」
カリンはプイッと横を向いたまま喋る。
呆れているような言葉だが、その声音からすると嬉しそうな雰囲気だ。
しかし俺が自信を見せているのは当然だ。
実際に問題無いと考えているのもあるが、護衛を務める者が『ど、どうしよう、襲われちゃうよぉぉぉ』などと動揺していたら護衛対象を不安にさせてしまう事になる。どんな状況下であっても、俺の立場では泰然自若に構えているべきなのだ。
――――。
それは運命の分岐路だった。
俺は周囲の地形については事前に調査している。
だからこそ、すぐに分かった。
この車は曲がるべき道ではない場所で曲がった、という事実に。
その行き先は考えるまでもない、この先にあるのは――襲撃予測地点だ。
これで護衛たちが犯行直前に思い留まるという可能性は否定された。善良な少女と同じ時間を過ごせば改心するのでは? と少しだけ期待していたので残念だ。
この道を選んだという事実もそうだが、車中の護衛たちから溢れ出ている悪意は見間違えようもない。黒に近かったグレーが完全に黒になったと言えるだろう。
「…………」
カリンも道が逸れた事実に気付いたらしく、小さな身体から不安の色を漏れさせている。それでも、カリンは裏切った護衛への敵意が弱かった。
車中の護衛から発している敵意はどろどろと粘性の高い液体のようなものだが、カリンの敵意は目を凝らさなくては見えないほどに薄いものだ。
これはおそらく、カリンが意識の奥で人間の善性を信じているからなのだろう。……かつての俺が持っていて、失ってしまった想いだ。
そう思うと、この少女には汚い世界を見せたくないと改めて思わせられる。
俺とカリンを乗せた車は、急に止まった。
それでもすぐに車内の護衛が襲ってくるわけではない。車を止めた運転手は、俺とカリンに状況を説明するかのように独り言を呟く。
「なんだあの車は。車で道を塞いでどういうつもりなんだ?」
白々しい演技が始まってしまった。
計画通りに仲間が道を塞いでいるにも関わらず、運転手は素知らぬ顔でとぼけている始末だ。そして他の護衛も三文芝居に参加する。
「なにか妙だな。あの車の様子を見に行くぞ」
警戒している演技を見せつつも、このまま車を切り返して戻るという選択肢はないらしい。なにやら護衛一同で不審な車に向かうという流れになっているが、もちろん連中の魂胆は把握している。
あの不審者は囮。不審車に乗っている襲撃者たちが注意を引き、その隙を狙って護衛たちが俺に不意討ちを仕掛けるというのが本命の計画だ。
俺一人を排除する為に随分と手間を掛けている形だが、過去の失敗があるので今回は万全を期しているのだろうと思う。
しかし、敵側の情報は全て筒抜けだ。
敵の人数は、待ち伏せしている車に四人。この車の護衛を合わせると合計で八人だ。彼我の人数差は大きいが、敵の出方が分かっているなら対応は難しくない。
とりあえず、今は相手の流れに乗っておく。
「たしかに不審な車だな。もしかするとカリンを狙う不届き者かも知れないぞ?」
「っ……そ、そうだな」
さりげなく核心を突いた軽口に、大きな動揺を見せてしまう護衛。
軽く突くだけでボロを出しそうな演技力の低さだ。車から出るまで交戦しない予定なので気を付けてほしいものだ。どれ、俺が演技のお手本を見せてやるか。
「カリンを狙う不届き者か。……許さん、許さんぞ。よくもカリンをぉぉぉ!」
「ちょっと、私が殺されたみたいになってるじゃないの!」
おっと、いかんいかん。
気持ちが入り過ぎて思わず激昂してしまった。名探偵たるもの常にクレバーであるべきなので我を失ってはいけない。
ともかく、車を降りて不審車に向かうとしよう。
「こんな事をしている場合じゃない。お前たち、だらだら遊んでないで車から下りるんだ。――いつまで学生気分でいるつもりだ!」
「くっっ……」
俺は新入社員に一喝するように護衛たちを叱責する。もはや気を遣う必要性もないという事で『前から一度は言ってみたかった台詞』を放ってしまった次第だ。
ちなみに護衛グループでは俺が最年少である。
「あんたの神経は本当にどうなってんのよ……」
カリンを呆れているが、この状況で緊張した様子が見られないのは良い傾向だ。俺に怒られた護衛たちが殺気立っている事など些細な問題だろう。
明日は昼と夜に投稿予定。
次回、二三話〔一陣の風〕