二一話 目覚めてしまう探偵魂
まぁしかし、殺人鬼ファーザーと一緒くたにされるのは甚だしく不本意だが、ルカは俺に親近感を覚えているようなので悪い事ばかりでもない。
「それにしてもお前、護衛として雇われてたんじゃないのか? いくらなんでも護衛対象を殴り飛ばすのは駄目だろう」
「それなら大丈夫だ! 親父からは勉強してこいって言われてたけど、気に入らなかったら殴ってもいいとも言われてたからな!」
くっっ、なんて豪快な教育方針だ……!
本来なら『海龍』は簡単には雇えないと聞いていたが、この話からするとルカの教育という名目で雇用のハードルを下げられていたのかも知れない。
「そ、そうか……。そうなると今はフリーという事だな? どうだ、別の人間の護衛をやってみるつもりはないか?」
若干の不安を覚えつつも、当初の予定通りにスカウトに入った。
フライングハム事件の後処理などの問題はあるが、海龍の一族は政財界に強い影響力を持つと聞いているから心配はしていない。
ルカの父親もこの事態を想定していた節があるので、事後処理については海龍家が上手くやってくれるはずだろう。
「どうだルカ? 今なら三食昼寝付きの高待遇だ。さぁ、『はい』と言ってみろ。さぁさぁさぁ――はいッ!!」
俺は催眠商法のような勢いで畳み掛ける。
それはまるで俺が護衛に立候補しているかのような勢いだった。
「う、う〜ん、でもアタシに護衛は向いてないからなあ……」
俺の勢いに気圧されつつも、ルカは護衛を務めることに消極的な発言だ。
担架で運ばれているハム少年の姿が『その通り!』と同意しているが、確かにルカの自己評価は正しいと言わざるを得ない。
だがそれでも、ルカはスカウトを諦めるには惜しい逸材だ。
ルカの人並外れた力も貴重なものだが、なによりカリンと年齢が近くて好ましい人柄をしているという点が大きい。
護衛としても友人としても相性が良さそうな二人なのだから、友人が少ないカリンの為にも諦めるわけにはいかない。
「ふふ、では賭けをしないか? 俺とルカで勝負して、俺が勝ったら護衛を引き受けるんだ。お前が勝ったらこのローストビーフをやろう」
ルカは勝負事が好きそうなタイプだと見たので、あえて勝負を吹っ掛けて背中を押してやろうという作戦だ。ちなみにローストビーフはテーブルにあったものなので俺は完全にノーリスクである。
「アタシと勝負? 何言ってんだよ、ビャクがアタシに勝てるわけないだろ」
ルカは冗談でも言われたかのように笑う。
実に小癪な態度ではあるが……これは俺をバカにしていると言うよりは、自身が『絶対的強者』だと自覚があるが故の傲慢さなのだろう。
しかしこれは絶好の機会だ。賭けのついでにルカの伸び切った鼻を折ってやれば、慢心している少女のいい薬にもなる。
「ルカよ、それは驕りだ。断言してやろう――お前は決して俺には勝てない」
「ハハッ、それは面白いな」
野生の獣が獲物を見つけたような獰猛な笑み。
俺の挑発に対し、ルカは怒るどころか愉快そうな笑みを浮かべていた。
やはりと言うべきか、ルカは武の才能に恵まれている事もあって本質的に争闘が好きなのだろう。戦闘一族としては正しい資質だと言えるのかも知れない。
「おっと、勘違いするんじゃないぞ。俺は紳士的な名探偵だからな、野蛮な喧嘩で決着をつけるような真似はしない」
今にも襲い掛かってきそうな野生的な少女を牽制する。外野のカリンたちも心配そうな顔をしているので尚更に格闘戦は駄目だ。
「殴り合いの喧嘩は論外として、ルカは腕力に自信があるようだからな……そうだな、腕相撲で勝負するのはどうだ?」
「なんだ、アタシと力で勝負するつもりなのか? ハハハッ、ビャクは本当に面白いな! いいぜ、やろうぜっ!」
――かかった。
腕相撲勝負を快諾したルカに、俺は心中で勝利を確信していた。
一見するとルカに有利な勝負を選んだようだが、実際にはその逆だ。この腕相撲こそが俺の得意なフィールドなのだ。
もちろんルカの怪力に真正面から力で挑んで勝てるはずがない。フライングハム事件を目撃した者なら誰もが思い知っている。
しかし、俺には奥の手がある。見えざる奥の手――――そう、念動力だ。
俺の念動力は射程距離が三メートル程度であり、しかもその発動には対象を三秒近く凝視しなくてはならないという制約がある。
その特性上から実戦では使い勝手が悪いのだが、しかし今回の勝負は腕相撲。
腕相撲という条件なら、俺の念動力を遺憾なく発揮する事が可能なのだ。
そもそも俺の身体能力は常人よりも遥かに高い。ルカの腕力は驚異的だが、俺の腕力に念動力でブーストをかけてしまえば対抗出来るはずがない。
俺とルカはテーブルの料理を横に寄せる。
その行動に外野の学園生がざわめいているが、おそらくは俺とルカが戦うものと考えていたので状況が飲み込めずに困惑しているのだろう。
しかし俺たちは外野の声など気にしない。
手早く勝負の場を整え、腕相撲をすべく向かい合わせに手を組み合う。そしてルカの手を握った瞬間、俺は直感的にそれを悟ってしまった。
――――勝てない。
数え切れないほどに勝負をこなした経験からくるものなのか、調整がてら軽く力を込めてみた感覚からくるものなのか。
これは念動力でブーストしても勝てない相手だ、と直感で悟ってしまった。
軽く力を込めてみた印象として思い浮かんだのは――――『壁』だ。
コンクリートの壁を押しているような無力感。軽くとはいえ俺が力を込めたのに、ルカの腕は微動だにしていない。
まずい、これは想定以上の力だ。
この感覚からすると、ハム少年を殴り飛ばした時には手加減していたようだ。
あまりにも信じ難い腕力だが……しかし、今は現実逃避をしている場合ではない。早急に打開策を考えなくては。
――――考えろ、考えるんだ。俺は灰色の脳細胞を疾駆させる。
ここまでお膳立てをして勝負を取りやめるという選択肢はない。
俺に求められているのは、腕相撲対決で勝利を収めること。その一点のみだ。
護衛への勧誘自体は負けても大丈夫そうだが、ここで負ける事は許されない。
慢心しているルカに敗北を教えてやる必要があるし、なにより名探偵に敗北の二文字は存在しないのだ。勝負を挑んで負けていては名探偵の資格がない。
「なぁビャク、勝負の合図はどうするんだ?」
ルカが待ちきれない様子で聞いてきた。俺が自信満々な態度だったからなのか、ルカは何かを期待しているような無邪気な笑みだ。
そして、俺の作戦は既に決まっていた。
「……そうだな。今から五秒後に開始としよう」
開始時間を限定したのは、この勝負に念動力を利用する為だ。もちろん力勝負で念動力を使っても勝ち目は薄い。
だがそれでも、俺の明晰な頭脳は念動力に新たな可能性を見出していた。
「五、四、三……」
俺は数字をカウントしつつ、ルカのある一点を鋭く凝視していた。
それは手や腕ではない。単純な力では勝てないと判断しているのだから当然だ。
俺が凝視しているのは、ルカの控え目な胸部――そう、おっぱいである!
「ひゃぁっ!?」
腕相撲勝負の開始直後、ルカは集中が途切れたように力を抜く。俺がその隙を見逃すはずもなく――ドンッ、と一気に勝負を決めた。
カウントダウン終了直後の速攻。文句のつけようもない完全な勝利である。
「なっ、なっっ……!」
一方のルカは大混乱していた。
急におっぱいを触られた感触があった事で動揺を隠せないらしい。少しは動揺を誘えそうだと思ってはいたが、予想以上の効果を発揮してしまったようだ。
「よし、これで俺の勝ちだな。いやぁ、いい勝負だったなぁ……」
「う、あ、ああっ……」
俺の勝利宣言にもルカは反応しない。真っ赤な顔で息を荒げつつ、パイタッチ犯を探すように視線を激しく動かしている。
「どうしたんだルカ? なにかあったのか?」
俺は白々しい態度でルカに聞いてしまう。
ルカの反応が面白いので楽しくなっている感があるのは否めなかった。
「ア、アタシの、胸に……」
「えっ、なんだって!? ルカのおっぱいに何かあったのか? さぁ、おっぱいに何があったのか説明するんだっ!」
俺はルカと話している内に探偵としての本分を発揮していた。言うなれば、被害者から事件の概要を聞き取りしているような感覚に陥っていたのだ。
今の俺にあるのは使命感――そう、この事件は俺が解決してみせる!
「ぅ、ぅぅ、わぁぁぁっ!」
俺が詳細を聞き出そうと迫ると、ルカは茹で上がった顔で感情を爆発させた。
爆発したのは感情だけではない。それはさながらアクション映画のワンシーン。
ルカは弾かれたように席を立ち、草原を駆ける獣のような俊敏な動きで駆け出し――バリーンッ、と窓に飛び込んだ!
窓を突き破ってもルカは止まらない。
そのまま追っ手から逃げるかのように庭園を走り、あっという間に木に登ったかと思えば、木から木に跳び移りながら消え去ってしまった。
……しまったな。調子に乗ってやり過ぎてしまったようだ。想像以上に激烈な反応だったので罪悪感を覚えてしまう。
突然のアクションシーンに場は騒然としていた。
現実では中々お目に掛かれないような常軌を逸した動きだ。学園生たちが瞠目しているのも無理はないだろう。
窓ガラスを突き破ると大怪我をしそうなものだが大丈夫だろうか? と胸中でルカの身を案じていると、不意にポカッと頭に衝撃が走った。
「あ、あんたは、あんたって奴は……この、変態っ! 変態っ!」
幼女は激昂していた。
ルカが座っていた椅子を足場にでもしたのか、カリンは瞳に怒りを浮かべてテーブルの上で仁王立ちしていた。
その手には料理を運ぶトレー。気を利かせて料理を運んでくれたわけではなく、俺を攻撃する為の武器として所持しているようだ。
カリンには念動力について説明済みなので状況を明確に察したのだろう。
「落ち着けカリン。テーブルの上に立つとは、淑女としてあるまじき行為だぞ」
「あんたに言われたくないわよっ! なぁにが『俺は紳士的な名探偵だからな』よ! このセクハラ探偵!」
カリンはラスのような事を言いながら『煩悩退散!』とばかりに俺の頭をポカポカする。幸いにもその力は弱いが、このままでは本来と異なる用途をしているトレーが変形しかねない。ここは弁明して落ち着かせるべきだろう。
「オーケーオーケー、認めようじゃないか。確かに俺はパイタッチをした」
俺が素直に自供し始めると、カリンは俺を睨みつけながらも動きを止めた。
証拠が無いのでシラを切るのも可能だが、それはさすがに男らしくない。男として自分のやった事は真摯に認めるべきなのだ。
だが、俺の方にも言い分がある。
「しかし、よく考えてみろ。今回のパイタッチはカリンの為に取った行動だ。つまりこれは――カリンがやったとも言えるんじゃないか?」
「私のせいにするんじゃないわよっ!!」
幼女はますます激昂した。
同性のカリンがやった事にすればセクハラにはならないと思ったが、残念ながらカリンには許容出来なかったようだ。
しかし、俺にも悪い事をしたという気持ちはある。周囲から怪訝な視線を向けられるのは痛いが、ここは一方的な殴打を甘んじて受け入れるしかないだろう。
次回、二二話〔運命の分岐路〕