二十話 汚れなき瞳
重傷を負ったハム少年に近付こうとする同級生は誰も居なかったが、俺がハム少年の介抱をしているとカリンがこわごわと顔を出した。
「そいつ、生きてるの……?」
カリンの声音は心配そうなものだった。
直前のやり取りからすると険悪な関係だったはずだが、カリンは良識的な心を持っているので学友の身を案じたのだろう。他の学友にも見習ってほしい性質だ。
「ああ、全く問題無い。しばらくは病院で寝たきりだろうがな」
「それのどこに問題がないのよ……」
とりあえずハム少年の無事は確認した。
俺の次なる行動は、学園側の警護たちを止めることだ。学園生が瀕死の重傷を負ったという事で、不動の構えだった警護たちが動きを見せているのだ。
「――待て、お前たち。あれは俺が対応するから任せておけ」
俺の宣言を受け、警護たちは天の恵みを受けたように安堵の色を見せた。
一見すると不可解な反応だが、俺には彼らの気持ちがよく分かる。
なにしろ少女の一撃は明らかに人間離れしていた。座ったままの裏拳でハム少年をフライング。警護たちが『海龍』の名を実感するには充分過ぎるほどの一撃だ。
警護たちが少女に関わりたくないと考えるのも当然であり、実際に彼らは『お、おい、お前が行けよ』とお互いに譲り合いの精神を発揮していたのだ。
そんなところに神桜家の護衛が名乗りを上げたのだから、彼らは聞き分けの良い子供のように「はい!」と二つ返事である。
しかし、残念ながらこの場には聞き分けの悪い子供も存在していた。
「ま、待ちなさいよっ! なんであんたが海龍と戦う必要があるのよ!」
カリンは寝耳に水とばかりに異を唱えた。
好戦的だったハム少年がフライングしてしまったので、もはやこちらに戦う理由は存在しないという事なのだろう。
カリンの言葉は正しいが、そもそもこの幼女は根本的に勘違いをしている。
「落ち着けカリン。あいつに興味が湧いたから友好的に話すだけだ」
俺は一言も戦うとは言っていない。
病院送りにされてしまったハム少年について思うところはあるが、俺には少女に戦いを挑むだけの理由は無いのだ。
「し、信じらんない……! 私の護衛中にナンパするつもりなの!?」
おっと、この幼女は良からぬ勘違いをしている。お得意の桃色思考が発動しているのだろう、すぐに恋愛事に結び付けて考えてしまうとは嘆かわしい。
「俺が好色な人間だと誤解されるような事を大声で言うんじゃない。俺が言っているのは――あいつをカリンの護衛にスカウトするという話だ」
思春期真っ盛りの幼女を窘めつつ、俺の目的をストレートに告げた。
そう、少女への興味は異性としてではなく『カリンの護衛候補』としてだ。
なにしろあの少女は俺の求める条件を満たしている。単独でもカリンを守れるだけの戦闘力に加え、しかもカリンと同性で年齢も近い。
最も重要なのは信用が置けるかどうかという点だが、俺が軽く見た感じでは悪い印象はない。あの少女からは濁った感情が見えないのだ。
ハム少年を殴った瞬間は害意を出していたが、基本的には善良な部類なのだろうというのが俺の判断だ。俺は人物眼には自信があるので確度は高い。
「カリンの目から見てもどうだ? あいつは悪い奴には見えないんじゃないか?」
「実際のところは直接話してみないと分からないけど、そんなに……って、ちょっと待って。あんた、本気で言ってるの?」
考え込んでいたカリンだったが、不意に我に返ったように俺の正気を疑った。
しかしカリンの懸念も当然と言えば当然だ。
なにしろあの少女は、ほんの数分前に護衛対象をフライングハムに変えている。
あの光景を目撃した直後に護衛候補に挙げているのだから、カリンの失礼な発言にも目を瞑らざるを得ないところだ。
「当たり前だろう、俺はいつだって本気だ。あいつは少しやんちゃなところがあるようだが……まぁ、多分大丈夫だろう」
「あれのどこが少しなのよ」
カリンはまだブゥブゥと不平を漏らす。
必要以上にむーっと不満そうにしているのは、俺が護衛を辞めようとしているのが面白くないからなのだろう。
しかし、どのみち俺以外にも護衛が必要なのは明らかだ。護衛の休日などの面から考えても、一人や二人で全てをカバーするのは現実的ではないのだ。
そんな俺の理路整然とした説得を受け、カリンは「あんたにスカウトなんか無理よ」と憎まれ口を叩きながらも――最終的には、俺の勧誘工作を認めてくれた。
カリンの許可さえ下りれば話は早い。
俺は意気揚々と少女のテーブルへと足を運ぶ。
説得には好都合と言うべきか、少女の周りに他の人間は誰も居ない。
カリンの同級生たちは避難するようにホールの隅に固まっているので、近い場所に居るのはカリンとユキ主従だけだ。
避難している同級生たちは俺と海龍少女が戦うものと考えている雰囲気だが、もちろん俺はそんな野蛮な真似はしない。
名探偵たるもの犯人を自首させるだけの話術は必須技能。俺の会話技術をもってすれば少女をスカウトする事など児戯に等しい。
「――おい、スペアリブを持ってきてやったぞ。これも美味いから食ってみろ」
戦闘において相手の弱点を突くのは基本だが、それは戦闘に限った話ではない。交渉の場においても相手の心の隙を突くのは当然の戦略となる。
そしてこの海龍少女。この少女が食事に強い関心を持っているのは明白なので、抜け目なく別のテーブルからスペアリブを持参したという訳だ。
自然な流れで対面に椅子を置いて腰を下ろしつつ、スペアリブをテーブルに置く。すると匂いに釣られたのか、少女は格闘中の食事から視線を上げた。
「おっ、そんな美味そうな肉もあったのか! お前、イイ奴だなっ!」
少女は眼前のスペアリブに目を輝かせ、ニカッと邪気のない笑みを見せた。
一応は目論見通りではあるのだが……肉を持ってきただけでイイ奴認定されると、少女の今後が心配になってしまう。
「俺が言うのもおかしな話だが、初対面の人間にはもう少し警戒心を持った方がいいぞ。俺が善良な人間である事は否定しないが」
「へへっ、それなら大丈夫だ! お前はイヤな感じがしないからな!」
汚れのない澄み切った瞳で断言されてしまった。
ワイルドな少女なので野生の勘で判断しているのかも知れないが、しかし勧誘対象が心を開いてくれているならそれに越した事はない。
「そうか、それは光栄だな。ところでお前の事はなんと呼べばいい? ちなみに俺は千道ビャク。人は俺を名探偵ビャクと呼ぶ」
はぐはぐとスペアリブに喰いつき始めた少女に自己紹介を迫る。
会話の最中に食べ始められようとも会話を途切れさせはしないのだ。
「……んぐっ、んぐっ……なんだ、アタシの名前か? アタシは海龍ルカだ」
「海龍? 戦闘集団の通称が『海龍』と聞いたが、それはお前の本名なのか?」
「はっはひあえあおっ!」
何をバカな事を言っているんだとばかりに『あったり前だろっ』と返ってきた。
口にモノを入れたまま喋る行儀の悪さは躾けてやりたくなるが、とりあえずそれは後の事だ。今は他に優先すべき事柄が多い。
この少女の名が、海龍ルカ。
海龍とは組織名のようなものだと思っていたが、ルカの発言からすると単純に海龍という血族の姓であるらしい。
もしかするとスポーツ一家ならぬ戦闘一家という事なのかも知れない。
「それは失礼した。それはそうとルカ、それほどの力を持っていながら子供に暴力を振るうというのは感心しないぞ」
簡単な自己紹介の直後、先の行き過ぎた蛮行について説教に入った。
このルカは純粋な心を持っているようだが、しかし同時に極めて不安定な性質をしている。近くに居る大人としては言い聞かせてやらなくてはならない。
「たとえ下衆な子供であったとしても、子供には未来がある。将来的にはまともな人間になる可能性もあるんだ。年長者としては正しく導いてやるべきだろう」
俺は孤児院育ちなので小さな子供の面倒を見る機会も多かった。だからこそ、子供の可能性を摘むような真似は見逃せないのだ。
「……んぐ? ああ、あいつはイヤな感じがしたからしょうがねぇよ!」
ハムを食べながらハム少年の事を思い出したのか、ルカは笑顔で言い切った。
まったく、なんという奴よ……。ハム少年は『イヤな感じがする』というフワッとした理由で半殺しにされてしまったのか。
しかもこの笑顔。
ルカがフライングハム事件に微塵も罪悪感を抱いていないのは間違いない。
俺が心中で戦慄していると、ルカは上機嫌にニコニコしながら言葉を続ける。
「アタシの親父も『大人は殺しても構わんが子供は殺すな』って言ってたけど、ビャクは親父にちょっと似てるな!」
とんでもない父親と一緒にされている!?
俺は『大人は殺しても構わん』なんて一言も言っていないのに……!
いやはや恐ろしい……明らかにルカの父親からはサイコキラー的な臭いが漂っている。さりげなく俺まで殺人容認主義者にするのは止めてほしい。
「い、いや、俺はそんなに大層な人間ではない」
しかし俺の反論の言葉は弱かった。
俺には家族が存在しない事もあって、家族が関係する話題にはなんとなく躊躇してしまうのだ。……カリンの家庭事情について詮索していないのもその為だ。
というか、ルカの口振りからすると発言ばかりか雰囲気も似ているような感じだが、俺と似ているなら慈愛に溢れた人間のはずなので節穴という他ないだろう。
明日も朝と夜に投稿予定。
次回、二一話〔目覚めてしまう探偵魂〕